CITY OASIS 代表取締役 謝宗儒 社長インタビュー

CITY OASIS 代表取締役 謝宗儒 社長インタビュー
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 やんちゃだからニュージーランドへ? 

 

― 台湾生まれ、ニュージーランド育ち。そして北海道でカフェを開いて社長になられた台湾人の謝社長にお話をお伺いいたします。今日は、どうぞ、よろしくお願いいたします。

謝社長(以下、謝)「こちらこそ。よろしくお願いいたします」

 

― 今年(2016年)7月に、謝さんのお店『CITY OASIS』で開催された『台湾祭』は大盛況でしたね。北大の留学生もたくさんお手伝いで参加していて。

「ありがとうございます。みんなの力でなんとか成功しました」

 

― 謝社長の基本のプロフィールを教えてください。

「1989年1月3日。O型です。誕生日はお正月ですから、ニュージーランドだとみんな実家に帰っていて誰もいない。いつもひとりです。涙を流し、バイトするんですよね(笑)」

 

― お可哀相に(笑)。好きな食べ物と嫌いな食べ物はありますか?

「嫌いな食べ物は特にないです。納豆も普通に食べます。周りの人が心配します」

 

― 好きな食べものは何ですか?

「お寿司が好きです。ウニがすごく好きなんだけど、高くてなかなか食べられないので、他の人がウニを食べているのを見ながら、サーモンを食べています(笑)」

 

― 台湾にも日本式のすし屋さんがありますが、台湾でもウニのお寿司を食べられますか?

「いや、台湾のすし屋には100件中1件も置いてないと思います」

 

― では、最初にウニを召し上がったのは日本でしたか。

「そうです。青森ですね。100円の回転ずしで食べたんですよ。でも美味しかった。ウニは見たことあるけど、軍艦になっているのは初めて見たんです。インパクトがありました。台湾にもウニはありますが、生では食べないんです。必ず火を通して食べますから。」

 

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2016年7月16~18日 CITY OASIS で開催された『台湾祭

 

― 好きな言葉がありましたら、教えてください

「英語なんですけど、『The goddess of fortune will only smile upon people who smile at her.』 日本語だと『運命に対して文句を言わず、辛くても笑顔で行動する人に幸運の女神が微笑みますよ』。ということだと思います。出典はどこかな? ちょっとわからないけど、自分の能力でこういう風にできたらいいな。と思って、ずっと記憶に残っている言葉です」

 

― 謝さんはお生まれは台湾ですね。何歳まで台湾にいらっしゃったのですか?

「9歳まで台湾にいました。その時は台湾中部の嘉義に居て、そこからニュージーランドへ移住します」

 

― ご両親のお仕事の関係ですか?

「いえ、僕と姉の教育のために。その頃の僕は遊びが好きで、ずっと外に居ちゃうんです。小学校2~3年生なのに、どこかに居なくなって夜の11時を過ぎても連絡が取れないから、すごく危ない。親に心配をかけてしまって、それでニュージーランドへ連れていかれました。ニュージ―ランドを選んだ理由はその時、物価が安かったから。現在の約3/1、台湾と比べるとちょっと高いくらい。生活するのは難しくなかったんです。しかも、学校まで車で40分くらいかかるド田舎に住んでいました。その頃のニュージーランドの生活はすごくシンプルでしたから、子供に悪い影響が一切ない」

 

― ニュージーランドに移り住んだ頃のことは、記憶に残っていますか?

「覚えています。すごく、大変だった。僕はアルファベットも知らなくて、英語で書かれた自分の名前を見ても、さっぱりわからない。言語学校じゃなくて、みんなが英語を話している普通の学校に通いました。時々、中国語が出来る同級生がいたので、助けてもらいました。台湾からニュージーランドへ移住するルートはそれ以前からあったんです。お金持ちはアメリカかカナダ。そうでなければ、オーストラリアかニュージーランドへ」

 

― 言葉が出来ない小学生が、一般の学校で勉強をするというのは、大変でしょう。

「台湾とニュージーランドのカリキュラムが違って、台湾では小学校4年生でしたが、ニュージーランドへ行くと、間もなく6年生になりました。授業も言葉もまったくわからない。無理やりでしたね」

 

― 現地の生活に支障がなくなるまで、どれくらいかかりましたか?

「僕は意外と時間が掛かったんです。普通の人だと半年くらいである程度、話せるようになるみたいですが、僕は話せるようになるまで3年かかりました。でも3年経ってもやっと話せるくらい。学校の授業では何を書いているのか調べてもさっぱりわからない。高校まで成績は本当に悪かったです」

 

― 言葉の壁は高かったですね

「それもあるし、自分の中に『親が勝手にニュージーランドへ連れてきた』と、それに対して不満な気持ちもありました。台湾ではそんなに勉強できない方ではなかったのに、ニュージーランドではいくら勉強しても、どんなに努力しても最低の成績。それは、辛かった。その時はよくわからなくて、自分の気持ちとして素直に納得できなかったんですね。でも、今、考えてみたら、行って良かった」

 

― 良かったですか。

「大学に入ってからちょっとずつわかるようになりました。その頃からアルバイトをはじめたんですけれど、わからない仕事に挑戦する辛さがわかってるから。頑張っても、頑張っても、本当に少しのお金しか稼げない。そうして少しずつ、自分の態度も変わりました」

 

― その頃はどんなアルバイトをしていたんですか?

「ピザの配達です。今でも僕は方向感覚がすごく良いですよ。地図を見てどこでも迷うことなく行けますから(笑)。カフェで働きたかったんですけど、経験が無いと雇ってもらえないんです。だから、未経験でも働けるサンドイッチメーカーで半年くらいサンドイッチを作って、その後、カフェに入りました。最初はバリスタのアシスタントとして入って、やっと免許をとって、バリスタになりました」

 

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多くの台湾人・中国人留学生がスタッフとして参加した『 台湾祭 』

 

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