株式会社 満寿屋商店 代表取締役社長 杉山 雅則 インタビュー
『世界一の国でパンを学ぶ』 ~帯広から鹿児島、そしてアメリカへ
― 今回、『満寿屋商店の代表にインタビューする』という話を帯広出身の友人にしましたら、それはいい! 是非、一緒に行って聞きたいことがたくさんある! と言われました。
杉山雅則社長(以下、杉山)「そうでしたか(笑)」
― 先程も、部活帰りの高校生がお店の前の駐車場に自転車を停めて、モリモリ『ますやパン』を食べている光景を見かけまして、こうやって地元に愛されてきたパン屋さんなんだ。と実感しました。今日はよろしくお願いいたします。
杉山「はい。よろしくお願いいたします」
― プロフィールからお聞かせいただけますか?
杉山「1976年1月4日生まれ、O型です」
― お好きな食べ物と苦手な食べ物がありましたら、教えてください。
杉山「好きな食べ物はいっぱいあるんですけど、やっぱり、パンが好きです。苦手な食べ物は梅干しです」
― 好きな食べ物は、パン。どういった種類のパンがお好きですか?
杉山「アンパンが好きです」
― 私も札幌三越の特別出店された『ますやパン』のアンパンを買いに行きました。中身はこしあんだったのですが、十勝の小豆ですか?
杉山「そうです。あんは自社で炊いた小豆を使っています」
― 自社でお作りになっているのですね。大変に手間がかかりますでしょう。何時から作業なさるのですか? このお店 (満寿屋パン 麦音店※以下、麦音) の営業時間が6:55分~と書かれていて、その早さにも驚いたんですけれど…。
杉山「夜から作業をする職員もおりますが、交代制でやっていますから、大丈夫です(笑)」
― 杉山社長は、パンをそのまま召し上がりますか? それとも、調理して召し上がりますか?
杉山「色んな食べ方をします。フランスパンの上にウニを載せてトーストしたりとか。最近は、焼肉の時に、フランスパンのようなハード系のパンを網で焼いて食べています」
― あ、それは美味しそうですね! 炭火で焼いたパンにお肉や野菜を挟んで食べるというのは、想像しただけで楽しいです。良いことを教わりました。
杉山「美味しいですよ」
― 杉山社長は帯広のご出身で、おじいさまが『ますやパン』の創業者でいらっしゃいますね。幼少の頃はどちらにお住まいでしたか?
杉山「帯広の中心部です。生まれ育ったのが、店の3階で、父も母もその店で仕事をしていました」
― 『ますやパン』の1号店で幼少期をお過ごしになったのですね。おじいさまはどんな方でしたか?
杉山「優しい祖父でした。私が小さいころに祖父は既に引退して、隣町の音更町というところへ住んでいましたので、よくそちらへ預けられた記憶があります」
― 音更へ行かれてからのおじいさまは、どのように過ごされていたのですか?
杉山「引退してからは趣味の絵を描いたり、自転車に乗って、遊びに連れて行ってくれました」
― 杉山社長ご自身は、どういったお子さんでしたか?
杉山「工作が好きでした」
― 工作ですか、何を作っていらっしゃいましたか?
杉山「プラモデルとか、紙工作とかですね」
― それ以外の教科はいかがでしたか?
杉山「そうですね。それなりに出来たので、嫌いではなかったです」
― 学生時代は部活動に参加していらっしゃいましたか?
杉山「ハンドボール部でした」
― ハンドボール。帯広では盛んなスポーツなんですか?
杉山「いや、マイナーなスポーツです(笑)。始めたのは、友達がやっていたから、とか、そういう理由だったと思います」
― 帯広には、いつまでいらっしゃったのですか?
杉山「高校卒業までです」
― 大学は工学を専攻していらっしゃったそうですが、何か、工学に興味を持つきっかけがあったのですか?
杉山「きっかけは特にないのですが、航空宇宙産業の方に興味があったのでそちらの方へ進学しました」
― 進学先はどちらですか?
杉山「鹿児島県です」
― 遠いところへ行かれましたね。分野も特殊ですし、地域性もかなり違いがあったと思いますが、当時の印象はいかがでしたか?
杉山「そうですね。気候が全然違って、食べ物の味が違いました。醤油の味が甘いとか。火山灰が降ること。あとは、ゴキブリも初めて見ました」
― 大学4年間、鹿児島にお住まいだったのですね。どういう大学生活でしたか?
杉山「鹿児島県は、焼酎の消費量が日本一なんです。学生は、必然的に焼酎を飲みます」
― 必然的に! 杉山社長はお酒はお好きな方ですか?
杉山「その当時は多少飲みましたが、今はほとんど飲みません」
― 鹿児島のひとは、北海道のひととは大きく違いますか?
杉山「そうですね、方言がありますから」
― 言葉自体が違うんですね。聞いてすぐわかりましたか?
杉山「だいたい半分くらいは、聞いてもわからなかったです(笑)」