経営者インタビュー 2015年9月号

    株式会社 美光装建 代表取締役 小野寺明男
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 釣りはプロ級! 趣味も仕事も『信じる気持ちが勇気になる』

 

― 本日は、どうぞよろしくお願いいたします。

小野寺社長(以下:小野寺)「お願いします」

 

― これからアラスカへ釣りに行かれると伺ったのですが…。

小野寺:アラスカへは2012年に1度、釣りを生業とする人達と一緒に行ってるんですが、3人で行って、2人は結構、釣ったんですけど、僕は1匹しか釣れなくて。その時、でっかいのを逃がしたのでリベンジを含めて、もう一度行きたいな。と思っていたんです。でもツアー旅行だと、やりたいことが出来ない。英語もできないし、一緒に行ってくれる人もいなくて、仕方ない。一人で行くか。と。帰って来られるかどうかわかんないですよ(笑)

 

― アラスカのお話も、後程、ゆっくり聞かせてください。まずは小野寺社長のプロフィールを教えていただけますか?

小野寺「生年月日は、1970年(昭和45年) 6月24日です。血液型はA型、出身は旭川です」

 

― 1970年生まれですと、ご紹介を頂きました平賀社長(タシナム7月号インタビュー掲載)とはひとつ違いですね。

小野寺「そうです。僕がひとつ下になります。平賀社長の妹さんと僕が結婚したので、義理の兄なんですよ。年も近いので仲良くさせてもらっています」

 

― 平賀社長から、『仕事も遊びも出来る、おもしろい社長が居るよ』と、真っ先にご紹介いただきましたのが、小野寺社長だったんです。アラスカまで行っちゃう釣り人だからね。って。

小野寺「そうですか(笑)。」

 

― 趣味やお仕事で取られた資格はお持ちですか?

小野寺「職業柄、資格はいっぱいありますよ。代表的なのは一級建築施工管理技師。最近取ったのが、宅地建物取引士。あとは、第2種電気工事士。これは資格になるのかな?損害保険の普通資格も持っています。2級船舶の免許と4級アマチュア無線。以前は、自動二輪にも乗っていました。」

 

― たくさん資格をお持ちですね!船舶と無線の免許というのは、釣りには必要なのですか?

小野寺「釣りにもよります。僕が最近、釣りに行っているのは支笏湖なんです。支笏湖に小さいボートを置いていまして、そこで、ブラウントラウトという魚を釣っているんです。あそこには90cmを超えるようなバケモノみたいなブラウンがいるんですよ。」

 

― そんな大きいのがいるんですか!

小野寺「(下写真)これが、支笏湖の82cmです。これで重さが6.4kg位でした。でもこいつが目標じゃないんですよ。魚の体長が70cmだと4~5kgくらい。80cmだと、6~7kg、でも、90cmを超えると、12~13kgになる。何故か90cmを超えると体重が倍近くなるんです。その10kgを超えたバケモノみたいな魚を、過去に仲間が釣ってるのを見て、それが脳裏に焼きついてて、支笏湖に通ってるんですよ。普通、支笏湖で釣りをする人は、大体、チップ狙いだと思うんですけど、こいつを狙ってボートまで置いて通ってるのは僕くらいじゃないかなと思います(笑)」

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ブラウントラウト82cm!!(画像元:fimo『モンスタートラウトと出会うために…』 http://www.fimosw.com/u/bikou

 

 ― 釣りの方法は、ルアーですか?フライですか?

小野寺「ルアーです。といっても、僕のはレイクトローリングといってボートでルアーを引っ張るんですよ。僕のブログを『モンスタートラウト』というキーワードで検索してもらえたら写真入で解説してあります。見てみてください。」

 

― プロ級ですね!私の周りにも釣り人は居ますが、こんなすごい魚を上げている人はみたことがありません。それに支笏湖って釣れなくて有名じゃありませんか?大きい魚は経験豊富で警戒心も強いし。悠悠と泳いでいる姿は見えても、釣り人を全く相手にしない感じですよね。

小野寺「今年は2回、昨日と先週の月曜日、バケモノに当たってバラしてる(※一度針にかかった魚を逃がしてる)んです。多分、あいつです。(笑)だから、今は支笏湖に通ってます。年間通して、目標が色々あるんですよ。1月のウミアメは島牧から始まって…。って、ずっと釣りの話になっちゃいますね(笑)」

 

― いえ、こちらこそ、つい引き込まれてしまってスミマセン。では、プロフィールの部分、もう少し聞かせて下さい。好きな食べ物、苦手な食べものはありますか?

小野寺「そうですね。何でも食べますが、肉が好きです。食べられないものはブルーチーズくらいかな」

 

― 好きな色は何ですか?

小野寺「金、ですね。看板の美光装建の文字の色も金にしてます。」

 

― 好きな言葉は何ですか?

小野寺「『諦めない』っていうことですかね。『信じる気持ちが勇気になる』。前に子供と一緒に観ていた『ウルトラマン』で言ってたんです(笑)。好きな言葉だな。と思いました。」

 

― 諦めずに支笏湖に通う、小野寺社長の姿勢に結びついていますね。

 

 

不動産管理会社から建築業へ。異色派の独立まで

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―では、ここからお仕事について、お伺いいたします。美光装建では、今はどういった業務をメインに行っていらっしゃいますか?

小野寺「メインは、アパート、マンションの原状回復工事。退去された後の内装、美装を行っています。あとは、リフォームや清掃、ビルメンテナンスも行っています。」

 

― このお仕事を始められたきっかけは何ですか?

小野寺「通常、建築屋って、建築業から始まると思うんですが、僕は、不動産の管理会社に勤めていたんです。大手の不動産管理会社で原状回復工事の業者発注を担当していました。当時は内装するなら内装屋さん、美装するなら美装屋さん、電気工事なら電気屋さんと、それぞれ分けて発注をしていかなくてはいけなかったんです。それが、大変なわけですよ。工務店なら受けてくれるのですが、現場管理だけして、業務は下請けに出すわけですから、結果、高くついてしまう。今、バラバラで発注している業務を、1社で、今と同じ価格で受けてくれる会社は無いかな。と思っていたんですけど、無かったんです。無かったから、じゃあ、僕がやろう。って、やり出したのがきっかけです。」

 

― そこで、独立されたわけですね。何年前ですか?

小野寺「えーと、僕が27歳になる年だったので…、平成8年ですね。その年に開業です。」

 

― お若くして独立されましたね。迷いはありませんでしたか?

小野寺「迷いはありました。自分で開業する前は不動産管理会社を辞めて、美装屋さんで仕事をしていたので、僕の思い付きを会社の業務としてやってみたい。と思っていました。社長に話をしてみると、やってみろ。って、言ってくれたので、僕がひとりで営業から始めました。同じように困っていた管理会社の人たちが賛同してくれて、いい感じで進んだのですが、最終的な決定権が自分に無いわけですよ。新しいことをやり出して、ここで行けば決まるのに!と思っていても、自分で決定できない歯がゆさがあって。自分で独立するしかないかな。と思ったときに、周りにいた職人達が『お前やれよ。』って言ってくれたんです。応援するよ。って。それで独立することに決めました。1年間でしたが、その美装の会社に入れてもらって、守ってもらったので、今でも感謝してます」

 

― 土台作りが出来て、人脈作りが出来て、ついに独立なさったわけですね。やはり、社長になってよかった。と思われる点は、『決定権があること』ですか?

小野寺「そうですね。自分で決定権を持って、前に行くときは行ける、引くときは引けるというところですね。ただ、社長になって良かったかどうかは、まだ微妙に分からないところもありますけど(笑)」

 

― 独立されてからも迷いはありますか?

小野寺「苦労はつきものだし、心配事も出てきますよね。ただ、行くしかない!という気持ちで進んでいこうと思っています。うまく行くときと行かないときがありますけどね(笑)」

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― 社長になっていなかったら、どうしていたと思いますか?

小野寺「そうですね。あんまり思いつかないんですけど、尊敬できる人に出会っていたら、その人に付いていって、一生懸命サラリーマンしてたんじゃないですかね。前に務めていた会社の社長さん達も、僕のことをうまく飼いならしてくれていれば(笑)ずっとそこで頑張ってたと思いますよ」

 

― そういう巡り会わせから、今は社長になられてお仕事をされているわけですね。それも運命ですね。

 

 

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