こんにちは、西内恵介です。アメリカ、メンフィスのソウル・R&Bの名門レーベル、スタックス。オーティス・レディング、サム&デイブ、ウィルソン・ピケット等々、まさに錚々たるレジェンド達のバックを支えたのが、スタックスのハウスバンド、『ブッカー・T&MG’S』です。独立したR&Bグループとしても、数々の名盤を残しましたが、今回はこんなのもあるんだよ、って一枚を。
『マクレモア・アヴェニュー』
ブッカー・T&MG’S
『MCLEMORE AVENUE 』
BOOKER T.&MG’S 1970年
メンバー
ブッカー・T・ジョーンズ(organ piano)
スティーブ・クロッパー(guitar)
ドナルド・ダック・ダン(bass)
アル・ジャクソン・ジュニア(drums)
収録曲
1 メドレー
ゴールデン・スランバー(GOLDEN SLUMBERS)
キャリー・ザット・ウェイト(CARRY THAT WEIGHT)
ジ・エンド(THE END)
ヒア・カムズ・ザ・サン(HERE COME THE SUN)
カム・トゥゲザー(COME TOGETHER)
2 サムシング(SOMETHING)
3 メドレー
ビコーズ(BECAUSE)
ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー
(YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY)
4 メドレー
サン・キング(SUN KING)
ミーン・ミスター・マスタード(MEAN MR.MUSTARD)
シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウインドウ
(SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW)
アイ・ウォント・ユー(シーズ・ソー・ヘヴィ)
(I WANT YOU(SHE’S SO HEAVY))
俺「あれ?Amazonのトップページが??」
妻「なしたの?」
俺「おすすめみたいなもんが、アクセサリーとかバッグばかりで?」
妻「ふーん」
俺「俺、そんなもん検索しないしさー」
妻「かわいい奥さんにプレゼントしろってことじゃない?」
俺「(スルー)あれ?注文履歴が??増えてる???」
妻「パパ?家のPC、パスワード保存しとくのセキュリティ甘いよ?」
俺「えっ?.....」
妻「実は、もう届いたんだー!さすがプライム!」
俺「.....」
まず、ジャケットに注目です。
あれ?(笑)どっかで見たことありますよね?
はい!ザ・ビートルズ『アビーロード』まんまです。まぁ、横断歩道無いですけど。
ご想像の通り、本家同様、アルバムをレコーディングした、スタジオ前の道路で撮影されました(左上に写る、オレンジ三角屋根がスタックス・スタジオ)
アルバムタイトルも本家同様、道路名そのままの『マクレモア・アヴェニュー』
裏ジャケを見ると、標識の頭に「E-」と付いているので、正式にはイースト・マクレモア・アヴェニューですね。
次は曲名に注目です。
あれ?(笑)どっかで見たことありますよね?
はい!.....って、そう、『アビー・ロード』のカバーアルバムなんです。
曲順が違うのと、4曲省かれていますが、全て『アビー・ロード』の収録曲が、インストナンバーとして収められています。
1969年9月、ビートルズがリリースした『アビーロード』は、『ホワイト・アルバム』以降の、何かちぐはぐなビートル達の活動に、もう解散じゃないか?という世間の思惑を見事に裏切る、素晴らしい完成度のアルバムでした。
世間が、「これぞビートルズ!」と、感嘆したのと同様、ブッカー・T・ジョーンズは、「世界一のバンドとして君臨している彼らが、まだこんな冒険作を作るなんて!」と、衝撃を受けたそうです。
当時、ブッカー・Tは、1967年のオーティス・レディング事故死以後、アトランティックレコードとの揉め事など、様変わりして行くスタックスと距離を置き、メンフィスではなく、LAを拠点に活動を開始していました。
そんな彼が、「こんな凄いもんを作った彼らに、我々流の敬意を表したい!」と、メンフィスへ戻り、MG’Sの面々と合流。本作のレコーディングに取り掛かったのは、『アビーロード』リリースから、なんと、わずか一ヶ月後でした。
すでにスタックスを離れ、活動の拠点をニューヨークに移していた、スティーブ・クロッパーも、後日メンフィスへ戻り、ギターをダビング、年明け70年にリリースされました。
MG’Sも、これまでたびたび、ビートルズナンバーをカバーしていましたし、ビートルズのインストゥルメンタルって、世の中に溢れていますよね。オルゴールからお店用のBGMまで。概ねメロディが優しく、耳当たりがいいんでしょう。
しかし、本作はそれらとは一線を画します。これぞアレンジの勝利!数々の名演を世に出してきた、MG’Sの面目躍如!全くBGMにならず、聴く者をグイグイ、その世界に引き込みます。唯一、単独曲として演奏されている『サムシング』なんて、オリジナルに準じたイントロに気を許していると、みるみる展開して行き、えーっ!って(笑)
また、外された4曲が(ハー・マジェスティは別として)むしろMG’S的なインストアレンジに向いてるんじゃないか?と、思えることもおもしろい!『オー・ダーリン』はやらないんです。
つまり、チャレンジだったんでしょうね。「我々流の敬意」を表するには、ビートルズ側の想像を超えるものに、仕上げる必要があったわけです。
少し話し逸れますが、ビートルズとスタックスの間には、こんな逸話が残されています。
1966年、スタックスのアーティスト達の大ファンであった、ジョンとポールは、メンフィスのスタックス・スタジオでの、レコーディングを画策。もちろんスタックスのお抱えアーティスト参加での制作を考えていました。
実際、マネージャーのブライアン・エプスタインが、現地に下見までは行ったのですが、ビートルズが滞在するには、警備などが不充分で危険と判断、実現はしませんでした(相手がビートルズだというので、スタックス側がふっかけて、金銭面で折り合いがつかなかったとの説もあり)
その時にレコーディング予定だったのが『リボルバー』なんです。もしも実現していたら、『ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ』を、メンフィス・ホーンズが吹いていたかもしれないんですね。
さて、レコード会社本体の不穏な状況のために、バラバラになりかけていた、ブッカー・T&MG’Sですが、本作での集合をきっかけに、制作活動を再開、翌71年、ニューヨーク録音の野心作『メルティング・ポット』をリリースします。
まるで「もう一度キめてやろうぜ」みたいな、それこそビートルズの『アビーロード』のような、張りつめた緊張感ある、素晴らしい作品で、過去最高のセールスも記録しますが、状況は好転せず、スタックスとは決別、バンドも解散します(結局75年にスタックスは倒産)
その後、何度か復活の兆しを見せるも、アル・ジャクソンが強盗に射殺されるなどの事件もあり頓挫。しかし、78年『ブルース・ブラザーズ』バンドへの、メンバーの参加から、それぞれが、プロデューサー、作曲者などの活動が軸となっていたところから、プレイヤーとしての活動も活発化。
そして、1991年、来日したブルース・ブラザーズバンドの、ステージ司会を、忌野清志郎が務めた縁で、翌年、清志郎のソロ作『メンフィス』を、ブッカー・T&MG’Sが全面バックアップ!
アルバムのヒット、同年のMG’Sを従えた清志郎のツアーも大成功となり、結果的にMG’S本格再スタートの大きなきっかけとなりました。その後は、ニール・ヤング、ボブ・ディランらのバックを務めるなど、円熟のプレイで、シンガーとそのファン達を、魅了し続けました。
2012年5月。ドナルド・ダック・ダンとスティーブ・クロッパーは、その名も『スタックス』というユニットで来日しました。
ところが、ブルーノート東京での最終公演を終えた翌日、ダンが、ホテルの部屋で亡くなっているのを、クロッパーが発見。享年70歳。これでMG’Sの名前は、封印されます。
モータウンの『ファンク・ブラザーズ』、フィル・スペクターお抱えの『レッキング・クルー』などと共に、レジェンドシンガー達を支え続けた、バックバンドでありながら、メインストリームでも活動を続けた希有な存在です。その多岐に渡る活動は、とても本稿だけでは、書き尽くせません。ご興味を持たれたら、バンドと各メンバー名を検索!(笑)そして、ぜひご一聴を!
ケイズ管理(株)西内恵介