こんにちは、西内恵介です。ポップソングライターとして、僕が敬愛する一人がキャロル・キングです。自身の歌にせよ、他シンガーへの提供曲にせよ、圧倒的に素晴らしい。しかし、今回は彼女ではなく、「イギリスのキャロル・キング」と形容されるブリティッシュの歌姫を。セッションシンガーとして、エルトン・ジョンからピンクフロイドまで担った彼女。名前は知らなくとも、歌声は耳にされているかもしれません。

『ムーン・ベイズィング』
レスリー・ダンカン
『MOON BATHING 』
LESLEY DUNCAN 1975年
メンバー
レスリー・ダンカン(Vo Guitar)
クリス・スペディング(Guitars)
ピート・デニス(Bass)
グレン・レ・フレール(Drums)
ジミー・ホロヴィッツ(Piano)
[プロデュース] ジミー・ホロヴィッツ
収録曲
1 アイ・キャン・シー・フェアー・アイム・ゴーイング(I CAN SEE WHERE I’M GOING)
2 ヘブン・ノウズ(HEAVEN KNOWS)
3 ムーン・ベイズィング(MOON BATHING)
4 レスキュー・ミー(RESCUE ME)
5 レディ・ステップ・ライトリィ(LADY STEP LIGHTLY)
6 ウッデン・スプーン (WOODEN SPOON)
7 ピック・アップ・ザ・フォーン(PICK UP THE PHONE)
8 ヘルプレス(HELPLESS)
9 ファイン・フレンズ(FINE FRIENDS)
10ジャンプド・ライト・イン・ザ・リバー(JUMPED RIGHT IN THE RIVER)
11ロッキング・チェア(ROCKING CHAIR)

LESLEY DUNCAN 画像元: http://u0u0.net/KHCP
妻「ねぇ?今日の夜、何食べたい?」
俺「うーん?魚かな?あっさり塩焼きに酢の物とか?」
妻「他は?」
俺「他??あぁ、肉ならショウガ焼きとか?」
妻「つまんない」
俺「つまんない?」
妻「そう。もっと私の創作意欲をかき立てるメニューは無いの?」
俺「じゃあ、北京ダックに、フカヒレスープ、ツバメの巣のデザート」
妻「オッケー!全部作るから、材料買ってきてねー!絶対だよ!絶対!」
俺「.....すまん。俺が悪かった。」
キャロル・キング作、リトル・エヴァ歌の「ロコ・モーション」って楽曲がありますよね。カバーバージョンもどれだけあるのか?見当もつきませんが、誰のバージョンにせよ、一度は耳にされたことがあるはずです。
耳当たりよく、一度聴いたら忘れらないメロディとリフレイン!しかし、ポップソングとしては、かなりヘンテコな構成の歌なんです。
普通の楽曲は、サビを聴かせるために、イントロ~主旋律~ブリッジ(繋ぎ)~サビ、って流れて行きますよね。印象に残るのは大抵は「サビ」のメロディじゃないでしょうか?
ところが「ロコ・モーション」、サビが言葉数少なく異常にあっさり終わる(笑)2番後なんか、「歌」じゃなく「間奏」になっちゃうヒドイ扱い!むしろ主旋律~ブリッジが印象に残り、なので、サビから頭に戻ると、しっくり落ち着き、永遠に(笑)リピート可能な、とんでもソングなんです。
こんな歌キャロル・キングにしか書けません。
そもそも歌い手のリトル・エヴァは、キャロル宅のベビーシッターだった女の子。彼女が歌い踊りながら子供をあやしているのを見て、「あんた歌上手いし可愛いからデモテープ作ってみようよ」がきっかけで、結果、ビルボード1位を獲らせちゃう!無名のベビーシッターに!
こんなことも、キャロルにしかできないでしょう。

LESLEY DUNCAN 画像元: https://bit.ly/2yzQT3x
さて、ここまでのスーパースターと比較されちゃうだけじゃなく、「イギリスのキャロル・キング」と賞賛されるレスリー・ダンカンとは、どんな人物だったのでしょうか。
60年代のレスリーは、幼少の頃習得したピアノを活かし、ロンドンでソングライターとして活動し始めていました。ある時、シンガー達に聴かせるために録ったデモテープを、レコード会社に気に入られ、自身もレコードデビュー、シングル数枚をリリースしました。ただ、そのころは、ルルなんかのアイドル歌手と一括りにされていたようで、シンガーソングライターとしての評価を得るまでには、売れませんでした。
しかし、ただのアイドルと違ったのが、その歌唱力を買われ、様々なアーティストのバックシンガーとして、レコーディングやツアーに、呼ばれ続けたこと。そして、自身がデビュー後も、その言わば裏方の仕事を、辞めなかったことです。
彼女をバックシンガーとして起用していたアーティストの一人に、エルトン・ジョンが居ました。エルトンは、70年にリリースしたセカンドアルバム「僕の歌は君の歌」(ユア・ソング)が大ヒット!一躍スターの座に登り詰めました。
レスリーは、このアルバムにもバックシンガーとして参加していました。エルトンはプレッシャーのかかる次作を製作中、自分の楽曲以外、カラーの違うものを1曲加えたいと画策、ソングライターとしてのレスリーに話しを持ちかけます。
彼女は自身のシングルB面として、リリースされていた「ラブ・ソング」という曲を提案。タイトルと裏腹、いわゆる甘い愛の歌ではない、「愛ってこういうものでしょ?あなたわかってる?」的なクールな楽曲です。エルトンはこのシングルを持っていて、そのアイデアを受け入れました。
こうして、エルトン・ジョンのサードアルバムに、レスリー・ダンカン作の1曲「ラブ・ソング」が加わりました。おまけに、エルトンと彼女のデュエットの形で!!
あのエルトン・ジョンが、他人の曲歌うだけでもニュースなのに、作曲者とデュエットです。話題にならないわけがありません。
その結果、翌71年、レスリーは、シンガーソングライターとして、アルバムデビューを果たします。先の「ラブ・ソング」も再録にて収録されました。おまけにエルトンがピアノで参加です!
アルバムは決して派手ではありませんが、佳曲が並んだ素晴らしいものでした。この後も、夫であるジミー・ホロヴィッツの的を射たプロデュースで、コンスタントにリリースを続けて行きます。
職人ソングライターからの歌手デビュー、歌声の質も似てるっちゃ似てます。そして楽曲のクオリティの高さ!「イギリスのキャロル・キング」と呼ばれ始めたのはこの頃です。ただ、やはり根がイギリス人(差別じゃないよ)、キャロルの楽曲が、夏の抜ける青空としたら、レスリーの楽曲は冬の晴れた朝。評価は高いもののビッグヒットとはなりません。
本人がそれをどう感じていたのかはわかりません。しかし彼女は自分のペースを崩しませんでした。相変わらず、バックシンガーとしての活動も継続していたのです。
この頃、バックシンガーとして参加した作品にピンクフロイドの「狂気」があります。マイケル・ジャクソン「スリラー」に次いで、未だ世界第2位の売上記録を維持するモンスターアルバム!
彼女の歌声が、いかにミュージシャン達に信頼されていたか、ご想像いただけますよね。

LESLEY DUNCAN 画像元: https://bit.ly/2tv6MTi
長い前置きでした。さて、今回紹介させていただく「ムーン・ベイズィング」、彼女の4枚目のアルバムになります。タイトルは月の入浴、つまり日光浴ならぬ「月光浴」とでも言うのでしょうか?あぁイギリス人ですね(差別じゃないよ)タイトル曲はマンドリンをバックに浪々と歌われる、趣き深い楽曲ですが、他は前作までよりずっとポップな仕上がりです。
そして、どの曲でも実に効果的に楽曲を盛り上げているのが、名手クリス・スペディングのギターです。カッティング、ソロ、何を弾いてもハマっています。「レスキュー・ミー」のサビのバッキングなんて、カッコ良すぎ!見事です。
彼女はこの後、ジミー・ホロヴィッツと離婚し、オリジナルアルバム一枚を出しますが、それがラストアルバムとなりました。
単発では、アラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバム「イブ」の楽曲にリードヴォーカルとして参加したり、ケイト・ブッシュが、レスリーの「シング・チルドレン・シング」をカバーした際にコーラスで参加したり(このどれもが素晴らしい出来です)などの活動もありましたが.....
英国トラッドフォークの旗手ペンタングルの元ドラマー、テリー・コックスと再婚後は、スコットランドのマル島へ「家族で田舎暮らし」をするために移住。終生を島で過ごしました。村の人は「庭師」としての彼女しか知らなかったと言います。
2010年3月、レスリーは66歳で逝去しました。夫のテリーは「彼女は地元でも有名人だった。けど、それは昔歌手だったってことが理由じゃない。彼女が周りの誰からも愛される、朗らかで慈悲深い女性だったからなんだ」とコメントしています。
ケイズ管理(株)西内恵介