音楽紹介 [38] 『ムーン・ベイズィング』

こんにちは、西内恵介です。ポップソングライターとして、僕が敬愛する一人がキャロル・キングです。自身の歌にせよ、他シンガーへの提供曲にせよ、圧倒的に素晴らしい。しかし、今回は彼女ではなく、「イギリスのキャロル・キング」と形容されるブリティッシュの歌姫を。セッションシンガーとして、エルトン・ジョンからピンクフロイドまで担った彼女。名前は知らなくとも、歌声は耳にされているかもしれません。

 

ムーン・ベイズィング
レスリー・ダンカン

MOON BATHING  』
LESLEY DUNCAN 1975年

メンバー
レスリー・ダンカン(Vo Guitar)
クリス・スペディング(Guitars)
ピート・デニス(Bass)
グレン・レ・フレール(Drums)
ジミー・ホロヴィッツ(Piano)
[プロデュース] ジミー・ホロヴィッツ

 

収録曲

1 アイ・キャン・シー・フェアー・アイム・ゴーイング(I CAN SEE WHERE I’M GOING)

2 ヘブン・ノウズ(HEAVEN KNOWS)

3 ムーン・ベイズィング(MOON BATHING)

4 レスキュー・ミー(RESCUE ME)

5 レディ・ステップ・ライトリィ(LADY STEP LIGHTLY)

6 ウッデン・スプーン (WOODEN SPOON)

7 ピック・アップ・ザ・フォーン(PICK UP THE PHONE)

8 ヘルプレス(HELPLESS)

9 ファイン・フレンズ(FINE FRIENDS)

10ジャンプド・ライト・イン・ザ・リバー(JUMPED RIGHT IN THE RIVER)

11ロッキング・チェア(ROCKING CHAIR)

 

LESLEY DUNCAN 画像元: http://u0u0.net/KHCP

 

妻「ねぇ?今日の夜、何食べたい?」

俺「うーん?魚かな?あっさり塩焼きに酢の物とか?」

妻「他は?」

俺「他??あぁ、肉ならショウガ焼きとか?」

妻「つまんない」

俺「つまんない?」

妻「そう。もっと私の創作意欲をかき立てるメニューは無いの?」

俺「じゃあ、北京ダックに、フカヒレスープ、ツバメの巣のデザート」

妻「オッケー!全部作るから、材料買ってきてねー!絶対だよ!絶対!」

俺「.....すまん。俺が悪かった。」

 

 キャロル・キング作、リトル・エヴァ歌の「ロコ・モーション」って楽曲がありますよね。カバーバージョンもどれだけあるのか?見当もつきませんが、誰のバージョンにせよ、一度は耳にされたことがあるはずです。

 耳当たりよく、一度聴いたら忘れらないメロディとリフレイン!しかし、ポップソングとしては、かなりヘンテコな構成の歌なんです。

 普通の楽曲は、サビを聴かせるために、イントロ~主旋律~ブリッジ(繋ぎ)~サビ、って流れて行きますよね。印象に残るのは大抵は「サビ」のメロディじゃないでしょうか?

 ところが「ロコ・モーション」、サビが言葉数少なく異常にあっさり終わる(笑)2番後なんか、「歌」じゃなく「間奏」になっちゃうヒドイ扱い!むしろ主旋律~ブリッジが印象に残り、なので、サビから頭に戻ると、しっくり落ち着き、永遠に(笑)リピート可能な、とんでもソングなんです。

 こんな歌キャロル・キングにしか書けません。

 そもそも歌い手のリトル・エヴァは、キャロル宅のベビーシッターだった女の子。彼女が歌い踊りながら子供をあやしているのを見て、「あんた歌上手いし可愛いからデモテープ作ってみようよ」がきっかけで、結果、ビルボード1位を獲らせちゃう!無名のベビーシッターに!

 こんなことも、キャロルにしかできないでしょう。

LESLEY DUNCAN 画像元: https://bit.ly/2yzQT3x

 

 さて、ここまでのスーパースターと比較されちゃうだけじゃなく、「イギリスのキャロル・キング」と賞賛されるレスリー・ダンカンとは、どんな人物だったのでしょうか。

 60年代のレスリーは、幼少の頃習得したピアノを活かし、ロンドンでソングライターとして活動し始めていました。ある時、シンガー達に聴かせるために録ったデモテープを、レコード会社に気に入られ、自身もレコードデビュー、シングル数枚をリリースしました。ただ、そのころは、ルルなんかのアイドル歌手と一括りにされていたようで、シンガーソングライターとしての評価を得るまでには、売れませんでした。

 しかし、ただのアイドルと違ったのが、その歌唱力を買われ、様々なアーティストのバックシンガーとして、レコーディングやツアーに、呼ばれ続けたこと。そして、自身がデビュー後も、その言わば裏方の仕事を、辞めなかったことです。

 彼女をバックシンガーとして起用していたアーティストの一人に、エルトン・ジョンが居ました。エルトンは、70年にリリースしたセカンドアルバム「僕の歌は君の歌」(ユア・ソング)が大ヒット!一躍スターの座に登り詰めました。

 レスリーは、このアルバムにもバックシンガーとして参加していました。エルトンはプレッシャーのかかる次作を製作中、自分の楽曲以外、カラーの違うものを1曲加えたいと画策、ソングライターとしてのレスリーに話しを持ちかけます。

 彼女は自身のシングルB面として、リリースされていた「ラブ・ソング」という曲を提案。タイトルと裏腹、いわゆる甘い愛の歌ではない、「愛ってこういうものでしょ?あなたわかってる?」的なクールな楽曲です。エルトンはこのシングルを持っていて、そのアイデアを受け入れました。

 こうして、エルトン・ジョンのサードアルバムに、レスリー・ダンカン作の1曲「ラブ・ソング」が加わりました。おまけに、エルトンと彼女のデュエットの形で!!

 あのエルトン・ジョンが、他人の曲歌うだけでもニュースなのに、作曲者とデュエットです。話題にならないわけがありません。

 その結果、翌71年、レスリーは、シンガーソングライターとして、アルバムデビューを果たします。先の「ラブ・ソング」も再録にて収録されました。おまけにエルトンがピアノで参加です!

 アルバムは決して派手ではありませんが、佳曲が並んだ素晴らしいものでした。この後も、夫であるジミー・ホロヴィッツの的を射たプロデュースで、コンスタントにリリースを続けて行きます。

 職人ソングライターからの歌手デビュー、歌声の質も似てるっちゃ似てます。そして楽曲のクオリティの高さ!「イギリスのキャロル・キング」と呼ばれ始めたのはこの頃です。ただ、やはり根がイギリス人(差別じゃないよ)、キャロルの楽曲が、夏の抜ける青空としたら、レスリーの楽曲は冬の晴れた朝。評価は高いもののビッグヒットとはなりません。

 本人がそれをどう感じていたのかはわかりません。しかし彼女は自分のペースを崩しませんでした。相変わらず、バックシンガーとしての活動も継続していたのです。

 この頃、バックシンガーとして参加した作品にピンクフロイドの「狂気」があります。マイケル・ジャクソン「スリラー」に次いで、未だ世界第2位の売上記録を維持するモンスターアルバム!

 彼女の歌声が、いかにミュージシャン達に信頼されていたか、ご想像いただけますよね。

LESLEY DUNCAN 画像元: https://bit.ly/2tv6MTi

 

 長い前置きでした。さて、今回紹介させていただく「ムーン・ベイズィング」、彼女の4枚目のアルバムになります。タイトルは月の入浴、つまり日光浴ならぬ「月光浴」とでも言うのでしょうか?あぁイギリス人ですね(差別じゃないよ)タイトル曲はマンドリンをバックに浪々と歌われる、趣き深い楽曲ですが、他は前作までよりずっとポップな仕上がりです。

 そして、どの曲でも実に効果的に楽曲を盛り上げているのが、名手クリス・スペディングのギターです。カッティング、ソロ、何を弾いてもハマっています。「レスキュー・ミー」のサビのバッキングなんて、カッコ良すぎ!見事です。

 彼女はこの後、ジミー・ホロヴィッツと離婚し、オリジナルアルバム一枚を出しますが、それがラストアルバムとなりました。

 単発では、アラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバム「イブ」の楽曲にリードヴォーカルとして参加したり、ケイト・ブッシュが、レスリーの「シング・チルドレン・シング」をカバーした際にコーラスで参加したり(このどれもが素晴らしい出来です)などの活動もありましたが.....

 英国トラッドフォークの旗手ペンタングルの元ドラマー、テリー・コックスと再婚後は、スコットランドのマル島へ「家族で田舎暮らし」をするために移住。終生を島で過ごしました。村の人は「庭師」としての彼女しか知らなかったと言います。

 2010年3月、レスリーは66歳で逝去しました。夫のテリーは「彼女は地元でも有名人だった。けど、それは昔歌手だったってことが理由じゃない。彼女が周りの誰からも愛される、朗らかで慈悲深い女性だったからなんだ」とコメントしています。

 

                                                              ケイズ管理(株)西内恵介

 

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