こんにちは、西内恵介です。梅雨真っ直中!北海道は梅雨が無い?まぁ「内地」のジメっとした、あの不快な感じは無いんですけど、やっぱり雨は多いですよね。そんな鬱陶しい毎日に沈みがちな心にも、染み入る大人な一枚を!
『ザ・コンヴィンサー』
ニック・ロウ
『THE CONVINCER 』
NICK LOWE 2001年
メンバー
ニック・ロウ(bass rhythm guitar vo )
ロバート・トレハーン(drums )
ゲラント・ワトキンス(keyboard )
スティーブ・ドネリー(lead guitar )
プロデュース:ニール・ブロックバンク
収録曲
1 家庭を壊す女(homewreeker)
2 オンリー・ア・フール・ブレイクス・ヒズ・オウン・ハート
(only a fool breaks his own heart)
3 ちゃらんぽらんな僕(lately I’ve let things slide)
4 シーズ・ガット・ソウル(she’s got soul)
5 怒ったキューピッド(cupid must be angry)
6 インディアン・クイーンズ(Indian queens)
7 僕等の街(poor side of town)
8 アイム・ア・メス(I’m a mess)
9 暗闇と夜明けの間(between dark and dawn)
10 どこにも行かない(bygones(won’t go))
11 ハズ・シー・ガット・ア・フレンド(has she got a friend)
12 家にいようよ(let’s stay in and make love)
妻「今日何の日か覚えてる?」
俺「えっ??....結婚記念日じゃないし、誕生日じゃないし....。」
妻「はぁぁ?」
俺「いやいや、ちょっと待て!娘の誕生日でもないし....あ?犬か?こいつの誕生日?」
妻「何それ?」
俺「いやいや冗談(苦笑)、えーと、えーと」
妻「はい!時間切れ!」
俺「ゴメン!何?今日?」
妻「私、娘達と三泊旅行してくるから、留守番お願いね!の日!じゃーね!」
俺「.....」
ニック・ロウというアーティストをご存知でしょうか?1949年イギリス生まれ、1966年にバンド「ブリンズリー・シュウォーツ」でデビュー、解散後は、ソロのシンガーソングライターとして、現在も活動している人物です。
しかし、ロックを聴いている人でも、「名前は聞いたことあるけど....。」って反応かと思います。
その名前も、80年代に、エルビス・コステロ、プリテンダーズ、ドクター・フィールグッド、ダムドなどの、プロデューサーとして聞いたか、もしくは同時期、エルビス・コステロが世に広めた、名曲『(What’s so funny ‘bout)peace love and understanding』の楽曲制作者としてかもしれません。
特に、『peace love and understanding』は、ホイットニー・ヒューストンの大ヒット映画「ボディーガード」の挿入歌として、やけにR&Bアレンジでしたが、映画同様死ぬほど売れたサウンドトラックにも、収められましたので、耳にされている方は、多いはずです。
僕にとっては、10代の頃から、現在に至るまで、ずっと追い続けている、数少ないアーティストの一人です。なので、ニック・ロウが、いかに素晴らしいか、熱く語ろうと思います。
とは言っても、おそらく、本人が熱く語られることを、一番望んでいないだろうという(笑)
それほど、どの時代においても、気負い無く、自然体を貫いてきました。
ニックがソロ活動を開始したのは、30歳目前の頃。
自然体のニックも、さすがにファーストソロは気負いを感じさせます。1978年、『Jesus of cool』と名付けられたアルバムは、「ジーザスはマズイ!」と、アメリカではタイトル変更を余儀なくされ、1曲目から、『music for money』音楽は金さ!と歌い、デヴィッド・ボウイをちゃかした2曲目へ繋げるなど、色々やらかしています。
翌年、セカンドアルバムではシングル、『Cruel to be kind』がビルボード12位のスマッシュヒット!そして、アルバム一枚の短命でしたが、デイブ・エドモンズとバンド「ロックパイル」を結成など、あれ?ポップロックシーンの中心に、踊り出るんじゃないか?というような活躍ぶりでした。
しかし、時代はMTV全盛期に突入。マイケル・ジャクソンが『スリラー』をリリース。70年代には「硬派」だったバンドも、次々にAOR化(シカゴとかね)して存命を計ろうとしている時代。
この時期にリリースした、数枚のアルバムは、どれも見事なポップロックアルバムで、今聴いてもひとつも色あせていません。しかし、ご想像の通りヒットには結びつきません。シンプルに「ギター一本でも聴かせられる歌」は、時代の音とは、あまりにかけ離れていました。
そして、1990年、『Party of one』を最後に、メジャーとの契約を失います。
万事休すか?いえいえ、実力のある人って、こういうもんなんだと、思わせてくれる、痛快な一発逆転があるんです。
1992年、冒頭で触れました、ホイットニー・ヒューストンの映画「ボディーガード」が公開されました。そのサウンドトラックは、全世界で4,200万枚(ウィキ記述)の売上!そう、ニックの、あの一曲が収録されていましたね?
突如、億単位の印税が入ったんです!
さあ!これで一発逆転だ!戦闘開始!.....って、ならないところが、この人を絶対的に信頼してしまうところ。ニックは、その膨大な印税収入を、楽曲制作時に一緒に活動していた、「ブリンズリー・シュウォーツ」の面々と分けてしまいます。自分で書いた曲なのに!いや、バンドやってた時なんだから、みんなで作り上げたんだよって。
そして、自分の取り分を元手に、4年ぶりのアルバムを制作します。名盤『The impossible birds』が誕生しました。
ここで聴かれる歌は、以前の「パワーポップ」なニック節ではありません。おそらく彼が幼少の頃聴き育った歌、まだロックンロールが誕生する以前の、職業作曲家とシンガー達が、ヒットさせていたような、歌達です。
次作、1998年の『Dig My Mood』は、1曲目から、「フランク・シナトラか!」とでも言うような境地。そして2001年、今回ご紹介する『The convincer』がリリースされます。
プロデューサー、バックメンバーは、前作と同じ。制作作業もこなれて来たのか、前作と前々作に多少感じられた、「こういう音を作ってやろう」という気負いも見えず、「集まって、演っていたら、自然とこんなの出来ました」としか聴こえない、見事な作品です。
1曲目、囁くように歌い始める、しかし結構辛辣な内容の歌。ここから一気に世界に引き込まれます。そして、ラスト「パーティなんか行かないで愛し合おうよ」と歌う、やけに色っぽい一曲まで、どれもが、説得力ある、短編小説を思わせる出来映えです。
以降も方向性は変わらず、2013年のクリスマスアルバムを除けば、オリジナルとしては最新作の2011年『The old magic』は、もう、この人がロックシンガーだったなんて思えない(笑)スタンダードにしか聴こえない、究極の一枚に仕上がりました。
この6月末に来日し、渋谷のマウントレーニアホールで2日間、引き語りでライブがあります。もしもお時間ありましたら、ふらっと覗いて見て下さい。
ニック・ロウは、今、ゆったりと「What’s so funny ‘bout peace love and understanding?」と歌い続けます。「平和と愛と理解しあうことの、何がそんなにおかしいんだい?」コステロが、こめかみに青筋立てて歌っていた時も、今の染み入るニックの歌声も、そして「ロス・ストレイトジャケッツ」が演奏するインストでさえ、この楽曲が訴えかける力は、寸分も変わりません。
最後に、ニック・ロウの盟友であり、本アルバムのプロデューサー、ニール・ブロックバンクが、5月に亡くなりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ケイズ管理(株)西内恵介