ウエブマガジン『タシナム』の読者の皆さま、ご無沙汰しておりました。
オーナーの紺田です。今月のCDコラムを担当しますのでよろしくお願いします。
調べましたら私の前回のCDコラムが2017年の1月号なので、なんと3年5ヶ月ぶりの登場です。少々カンが鈍っておりますので、お手柔らかにお願いします。
今回、悩みに悩んで選んだ1枚がこれ!
『Survivors’ Suite(邦題:残氓) 』
キース・ジャレット
Recorded April 1976 at Tonstudio Bauer, Ludwigsburg
ジャズからクラッシック、ソロピアノからフリージャズまで、変幻自在の天才ピアニスト、キース・ジャレットのアメリカン・カルテットでの最後のアルバムです。
ずっとインパルスで録音してきたのに、最後のアルバムだけECMで録音というのも興味深いです。
メンバー
キース・ジャレット(p,ss)
デューイ・レッドマン(ts,perc)
チャーリー・ヘイデン(b)
ポール・モチアン(ds,perc)
1971年〜1976年までの5年間の活動中にはあまり正当な評価を受けなかったのに
解散後にコルトレーンカルテットに匹敵する70年代最高のユニットと評価された。
活動中にちゃんと評価してやれよ!とツッコミたくなりますね。
70年代はフュージョンブーム真っ只中だったのでフリー色の強いこの手のカルテットなんかは一般受けはしなかったのでしょう。
当時チックコリア、バービーハンコック、キースジャレットが若手ピアニスト三羽烏と言われていました。チック、バービー共にフュージョン路線真っ只中、でもキースだけはアコースティックピアノから離れませんでした。そんなアメリカンカルテットには時代に左右されない芯の強さを感じましたね。
それにしても今考えると凄過ぎるメンバー・・・キラ星のようです。
メンバー紹介など必要のないほどの大物ミュージシャン達ですが、
若い読者のために簡単に紹介します。
キース・ジャレット
1945年5月8日〜
アメリカ合衆国
ジャズ、クラッシックピアニスト、作曲家
3歳からピアノを始め、8歳で自作の曲をコンサートで演奏したという天才ピアニスト。ピアノのほかに、ソプラノサックス、パーカッション、ハープシコード、リコーダーなども演奏する。バークリー音楽大学卒業。
1965年
アートブレイキー・ジャズメッセンジャーズに加入
1966年
チャールズロイド・カルテットに加入
1967年
アメリカン・カルテット結成
1970年
マイルスデイビス・バンドに加入
1970年代
ヨーロピアンカルテット
アメリカンカルテットで活躍
1980年代〜
主にソロ、トリオで活動〜現在に至る
デューイ・レッドマン
1931年5月17日〜2006年9月2日
アメリカ・テキサス州生まれ
ジャズ・サックス奏者
1967年
オーネットコールマン・カルテットに加入
キースジャレット・アメリカン・カルテットに加入
1976年
ドンチェリー、チャーリーヘイデン、エドブラックウェル、と共に
オールド・アンド・ニュー・ドリームスを結成
2006年
肝機能障害で死去。75歳。
テナーサックス奏者のジョシュア・レッドマンは実息。
チャーリー・ヘイデン
1937年8月6日〜2014年7月11日
アメリカ合衆国
ジャズベーシスト
10歳よりベースを始め1957年からはアート・ペッパー、ハンプトン・ホーズ、デクスター・ゴードン、ポール・ブレイ等とセッションを重ねる。
1959年
オーネットコールマン・カルテットに加入
1967年
キースジャレット・アメリカンカルテットに加入
カーラー・ブレイらとリベレーション・ミュージック・オーケストラを結成
1987年
チャーリーヘイデン・カルテットを結成
多くのミュージシャンとセッションをしており、デュオアルバムも多数制作。
2014年7月11日、ロスアンゼルスで死去。76歳。
ポール・モチアン
1931年3月21日〜2011年11月22日
アメリカ合衆国
ジャズドラマー
1959年
ビルエバンス・トリオに参加
リバーサイド4部作の4枚のアルバムを制作した。
1967年
キースジャレット・アメリカン・カルテットに加入
60年近くの演奏活動でジャズシーンを支えてきた。
2011年ニューヨークで死去。80歳。
曲紹介
1970年代のキースはソロピアノと並行してアメリカンカルテットとヨーロピアンカルテットの2チームを使い分けて活動していました。
世間では叙情的な香りのするヨーロピアンカルテットが人気なのかもしれませんが
私は火の出るようなアドリブでゴリゴリ押してくるアメリカンカルテットがたまらなく好きですね。
題名のSurvivorの意味を調べると、「生き残った人」「生存者」と出てくるので
Suiteの意味の「組曲」と合わせて考えると
「生き残った民族の組曲」こんな意味合いでしょうか?
そうなると邦題の「残氓」というのも納得感がありますね。
キースにはインディアンの血が混ざっているとのことなので
題名の由来もその辺に関係あるのかもしれません。
それでは曲の紹介・・と言っても2曲です。
私の若い頃はLPレコードでしたから、A面1曲、B面1曲です。
商業ベースとかは全く考えて作っていませんね。(笑)
しかしそれなりに売れました!レコードが売れた良き時代。
1曲目:The Survivors’ Suite Beginning(邦題:残氓ー発端)
キースのバスリコーダーが呪術的な音階を吹き始めて、デューイとモチアンがマラカスとパーカッションを鳴らしながら割り込んできます。アルバムタイトルのイメージ通りの入り方。規則的なチャーリーのベース音に合わせてキースのソプラノとデューイのテナーがユニゾンでテーマを奏でます。妙に説得力のあるテーマが繰り返されて、その後キースのピアノが入ってきて、そこでまたユニゾンのテーマ・・・この辺から私はいつも瞑想状態に入っていきます(笑)
デューイのテーマからあまり外さないアドリブが続いて、その後はキースの唸り声とアドリブ。そしてデューイのアドリブ、チャーリーのアドリブと続きます。最後にテーマに戻りながらのキースのピアノソロ+唸り声。以上27分21秒
2曲目:The Survivors’ Suite Conclusion(邦題:残氓ー結末)
いきなり早いテンポからデューイのテナーが炸裂します。
キースに負けじと唸り声を絞り出しながらのデューイのアドリブが続きます。
その後はガチャガチャのフリージャズに突入していきます。
ところがテンポが8ビートに変わってキースのアドリブからはフリーが影を潜めて現在のコンテンポラリージャズへの展開になっていきます。この後の唸りながらのキースのアドリブが美しい、涙が出そうです。
そしてキースのアドリブの流れを引き継いだデューイのアドリブがこの曲の壮大さを広げていきます。チャーリーのアドリブと続いてキースのソプラノソロ、ドラムは暫し休憩。最後に全員で壮大なテーマをゆったり奏でて終了。21分18秒
長い曲だったり、難解なアドリブだったり、決してわかりやすい音楽ではないかもしれません。しかし、繰り返し聴くうちに自分の中の価値観や世界観が変わってきたり、なんてことはよくあることです。偉大なミュージシャン達が70年代のフュージョンブームに逆らって作ったこのアルバムを是非聴いて下さい。
今をときめくスーパーテナーサックス奏者のジョシュアレッドマンのお父様のデューイレッドマンの演奏にも触れて下さい。
目を瞑って聴いていると瞑想状態に、そして最後はトランス状態に陥ります。
聴き終わったらちゃんと日常生活に戻って来て下さいね。
ジャケットの写真がとても素敵なんですが、それもキースの撮影によるものです。
天才は何をやらせても凄い!
最後までお付き合い頂きありがとうございました。それではまた!
株式会社 蝶道社
代表取締役 紺田 晴久