こんにちは、西内恵介です。ブラッド・ピット、レオナルド・ディカプリオのW主演でも話題の、クエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はご覧になりましたか?まるで『アメリカン・グラフティ』のように、1969年8月7日から9日のハリウッドの3日間を切り取った、監督のハリウッド愛溢れる、お見事!な作品でした。今回は、その一週間後、8月15日から17日の伝説的ロックフェスの記録盤を。
ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 オリジナルサウンドトラック
『WOODSTOCK ORIGINAL SOUND TRACK 』1970年
ジョン・セバスチャン、キャンド・ヒート、リッチー・ヘイブンス、カントリー・ジョー&フィッシュ、アーロ・ガスリー、シャ・ナ・ナ、カントリー・ジョー・マクドナルド、ジョーン・バエズ、CSN&Y、ザ・フー、ジョー・コッカー、サンタナ、テン・イヤーズ・アフター、ジェファーソン・エアプレイン、スライ&ザ・ファミリーストーン、バターフィールド・ブルース・バンド、ジミ・ヘンドリクス
妻「ブラビかっこいい!ワンコかしこい!」
俺「そこかい!」
妻「それ以外、2人で車乗ってただけでしょ?」
俺「.....確かに」
妻「デカプリオ女々しくて情けなくて笑ったね」
俺「いい俳優になったよな」
妻「一流俳優が二流俳優を演じても巧いわ」
俺「シャロン・テート役の女優さんもいいよね」
妻「かわいい!無邪気で愛くるしい感じがね」
俺「あんな無邪気な人がなぁ.....」
妻「なんで、あんな怪しいチビ監督と結婚すんのさ?」
俺「そこ?」
妻「え?そこじゃないの??」
今年で開催50周年を迎えた伝説のロックフェスティバル「ウッドストック」
50年経った今も、主催のマイケル・ラングの適当さは変わらず、ついに50周年記念のフェスティバルが中止になったのは、ごく最近のニュースです。
元祖ロックフェスのような言われ方もしますが、これより2年前の1967年に、すでに「モントルーポップフェスティバル」は始まっており、先駆けだったわけでもありません。
ではなぜ「ウッドストック」だけが伝説になったのか?
3日間で45万人(!)が集まったからか?ジミヘンが例の「星条旗」の名演を残したからか?
そんなことじゃなく、残念ながら現実はもっと単純です。
つまりは、このサウンドトラックの大元、「あの映画」によって「過剰に美化された」からです。
身も蓋も無いけど。
マーティン・スコセッシの編集による「記録映画」は、確かに「ドキュメンタリー」の体裁は整えていますが、出てくるのは「異常にものわかりのいい大人」「まぁまぁ節度ある若者」「にこやかな出演者」「安全に楽しんでいる観客」「非常に協力的な警察、軍関係者」こんな感じかな?
主催側の予測を大きく上回る来場者に、無料コンサートが宣言され、大渋滞、乗り捨てられる車、食料不足、トイレ不足、出回る悪質ドラッグ、大雨、ドロドロの会場、膨大に残されたゴミ....
でも、映画がとらえるのは、「そういった苦難を乗り越えて3日間の愛と平和と音楽を満喫したんだぜ!」です。
うそだろ?45万人だぞ?言い方悪いけど、映画終盤なんかどうみても難民キャンプだぞ?
俺があの街の住人だったら、バリケードでも作って、あいつらの流入阻止するわ(笑)
おまけにスコセッシ、音楽に関しては妥協しない(つまりは自分の趣味で押し切っちゃう)ので、時系列なんかめちゃくちゃで、「シャ・ナ・ナ」なんて、実際は大トリの、ジミヘンの直前にステージだったのに、前半に1分ちょっとしか映らない、ひどい扱いだもね。
現在、ソフトで手に入るのは「ディレクターズカット版」で、スコセッシ版をベースに、オリジナルより40分ほど長いバージョンです。
僕が子供の頃、まだMTV以前は、「動く外タレ」なんか、NHKの「ヤングミュージックショー」(すごいタイトルだな)が、たまに放送されるだけで、「ウッドストック」のリバイバル上映も、友人の青木君と、もの凄い楽しみに行った記憶があります。
いまだに映画ポスター手元にあるし。
見終わった直後は、スライの印象が強すぎて「ハーイヤッ!」って(笑)
あと動くザ・フーを初めて見て。ピート・タウンゼントがやばかった。
「イージーライダー」始め、アメリカンニューシネマを観たあとでは、「ヒッピー文化」なんてもんが、アメリカでどう受け止められていて、どう終焉を迎えるか、わかっているわけでして。
その頭で観ると、全てが幻想で、はかない夢に見えて、切なくなります。
それでも、あの地に集まった45万の人々が、単に「フェスを楽しもうぜ」で集まったわけじゃないのは確か。
それは主催側も、1日目の「フォーク・デイ」(1日目はフォークシンガー達の弾き語りでした)のトリを、当時反戦運動のジャンヌダルク的(嫌な言い方だけど)扱いだった、ジョーン・バエズにしたことでも明確です。
大規模な、ベトナム戦争に対する反戦集会の側面があったんですね。
実は、出演オファーを断った、大物バンドもたくさんありました。
それは、ヒッピー達の反戦集会のダシに使われるのは勘弁して、ってことが大きな要因でした、ビートルズ始め、レッド・ツェッペリン、ボブ・ディランも出演を拒否しました。
確かフランク・ザッパだったか(ちょっと不確か)、「なんで出なかったんですか?」ってインタビューされた時、「あいつらがラリってバカ騒ぎしてる間にも、ベトナムでは何百人も死んでるんだぞ?」って答えてまして、出演拒否も、なるほど意思表明なんだなと思いました。
そして、当日のグダグダの状態から、出演はしたが、映画での使用を断ったアーティストも居ます。ザ・バンド、CCR、など人気アーティストがオリジナル版に出ていないのはそういう理由です。
結果的に、あの散々な状況で奇跡的に「死者2名」(まぁ現代のフェスで死者1名でも出たら大問題でしょうが)で済み、「よき想い出」として50年後の今も語り継がれているのでしょう。
そして、出演ミュージシャンの出来、不出来は非常にバラつきがあるのですが、おそらく45万人の前で演奏し、歌うという、一種異常な体験に、ハイになった(おそらく、いけない薬のせいもあるでしょうけど)結果、神懸かり的なパフォーマンスも生まれました。
これは、映像無しで、このサウンドトラックを聴くとよくわかります。
大トリのジミヘンだけじゃなく、クロスビー・スティルス&ナッシュのパフォーマンスなど、何度も「神が降りる」瞬間が聴けます。リッチー・ヘイブンスなんか即興ですからね。あとは、やっぱり、スライ&ザ・ファミリーストーン!2年前、モントルー・ポップ・フェスで、オーティス・レディングが、白人の観客の度肝を抜いたのに匹敵するパフォーマンスで魅せました。
50周年記念で、CD10枚組(!)のスペシャルボックスも発売されたようですが、マニアの方にそこはおまかせして、オリジナルサウンドトラックで、当時に思いを馳せるのも、秋の夜長におすすめです(笑)
ケイズ管理株式会社 西内恵介