音楽紹介 [32] 『フォトグラフ・スマイル』


 こんにちは、西内恵介です。偉大な親を持つ二世タレントってのは、なかなかに大変な気苦労があるのだろうな?とは思います。もちろん親の七光りもあるでしょうが、やはり芸事は実力ですからね、七光りだけで生き残れる甘いもんじゃありません。さて、あのジョン・レノンの長男に生まれ、同じ歌手の道を選んだジュリアン。ある意味「究極の二世タレント」と言えますが?

 

 

フォトグラフ・スマイル
  ジュリアン・レノン

 

 PHOTOGRAPH SMILE  』
  JULIAN LENNON 1998年

 

 

収録曲

1 デイ・アフター・デイ(DAY AFTER DAY)

 2 コールド(COLD)

 3 アイ・シュッド・ハブ・ノーン(I SHOULD HAVE KNOWN)

 4 ハウ・メニィ・タイムズ(HOW MANY TIMES)

 5 アイ・ドント・ワナ・ノウ(I DON’T WANNA KNOW )

 6 クラッシィファイド(CRUCIFIED)

 7 ウォールズ(WALLS)

 8 ビリーブ(BELIEVE)

 9 グッド・トゥ・ビー・ロンリー(GOOD TO BE LONELY)

 10 キス・ビヨンド・ザ・キャッチャー(KISS BEYOND THE CATCHER)

 11 アンド・シー・クライズ(AND SHE CRIES)

 12 フォトグラフ・スマイル(PHOTOGRAPH SMILE)

 13 フェイスフル(FAITHFUL)

 14 ウェイ・トゥ・ユア・ハート(WAY TO YOUR HEART)

 

ULIAN LENNON 画像元: http://u0u1.net/HIxY

 

妻「JAW meets Pianoman クリスマスライブ!カッコよかったー!」

俺「一年の締めくくりに、いいもん見たね」

妻「あれはファンになるね。観客まぁまぁ若い女子ばかりなのわかるわ」

俺「「まぁまぁ」が余計ですよー」

妻「うちの娘もソッフェの人?とか知ってたしね」

俺「PE’Zも聴いてたって。来年は連れてけだと」

妻「そんなメジャーな2人と、よく恥ずかしくなくタシナム書いてるよね?」

俺「シーッ!みんな思ってるけど言わないとこでしょ!」

妻「あいかわらずマイナーなロック書いてるんでしょ?」

俺「いやいや、今回だって、超レジェンドの.....息子」

妻「.....JAWさん、YoYoさん、紺田社長、2018年もこんな主人を見捨てないでね?」

俺「ひとつよろしく!m(_ _)m」

JULIAN LENNON 画像元: http://u0u1.net/HIy2

 

 二世タレントというと、どんなイメージを持たれるでしょうか?大抵の場合、裕福な親に甘やかされて育ち、たいした才能も無いのに、七光りで芸能人の仲間入り。しかし鳴かず飛ばずが続き、しまいにゃ覚醒剤なんかに手を出して.....。って感じでしょうか?もちろん全員じゃないですが。

 さて、ジュリアン・レノンの場合はどうでしょう。

 1962年8月、ジョン・レノンと最初の妻シンシアは、ジュリアンの妊娠を機に結婚しました。当時、まだレコードデビュー前でしたが、アイドル人気に火がつき始めていたビートルズのリーダーの結婚は「極秘」にされました。

 ビートルズは1963年3月22日(英国での発売日)『プリーズ・プリーズ・ミー』で、アルバムデビューを果たします。そして、その半月後の4月8日に、ジュリアンは誕生。つまり、「ビートルズ狂騒曲」の幕開けとともに生まれたんですね。

 この後のビートルズを取り巻く状況はご存知の通り。父親になったからって、ジョンは家になんか居ません。女だって取っ替え引っ替えです。有名な逸話ですが、ジョンは、「(赤ん坊の)ジュリアンと、どう接したらいいかわからない」とポールにこぼしたそうです。先行きが思いやられます。

 案の定、ジョンは、ジュリアン5歳の時、シンシアとは離婚。そして、正直、我々下々の者には、わけのわからん前衛芸術家(この当時ね)オノ・ヨーコと再婚してしまいます。『ヘイ・ジュード』は、この時にポールがジュリアンを励ますために作った歌でしたね(ジュードはジュリアンの愛称)

 その後父子が会ったのは、ジュリアン10歳の時。ビートルズファンには「失われた週末」として有名な、ジョンの浮気と過剰なドラッグ摂取が原因で、ヨーコと別居していたあの時期です。

 ジョンを訪ねていったジュリアンは「父は心ここにあらずといった感じで、会話も続かず、ぎくしゃくした空気が支配していた。別れ際クリスマスプレゼントをねだると、後日ドラムセットとギターが家に届いた」と、その時のことを回述しています。

 その後「何回か」は会ったらしいですが「ぎくしゃくした空気」が2人の間から無くなることは、無かったそうです。

 どうですか?あれだけのスーパースターの長男の幼少期にしちゃ切なすぎますよね?それにしてもジョンのダメ親父っぷりも相当なもんです。ジュリアンにしてみりゃ『イマジン』なんて「何が愛と平和じゃボケっ!自分の息子に愛情のかけらも見せんくせに!」って感じでしょ?

JULIAN LENNON 画像元: http://u0u1.net/HIy1

 

 1980年、ジュリアン17歳の時、ジョン・レノンは自宅前でストーカー的なファンの男に射殺されます。

 この時もジョンの膨大な遺産が、ジュリアンには一銭も渡らない(!)など、この親子には世間が計り知れない何かが存在するのだなぁと、感じたものです(遺産についてはヨーコとの法廷闘争などもありつつ、約20年後(!)にジュリアンにも相続されました)

 そんなジュリアンが歌手デビューしたのは1984年の21歳。マジか?と誰もが思いました。風貌が、若きジョンに生き写しなのは、皆わかっていました。が、歌声まで、ここまで似てるなんて、誰が想像できました?

 当然、世間は「ジョン二世」を期待します。そこにプロデューサー、フィル・ラモーンの「70年代寄せ」な音作りは巧妙で、ファーストアルバム『ヴァロッテ』は、世界中でヒットしました。

 微妙ですよね?ジュリアンにしてみても、シンガーとしての父の偉大さは充分に理解できる。けど、自分にとってはクソ親父でしかない。しかし、世間が自分に求めるものは、そのクソ親父のクローンであること!

 そりゃ葛藤したでしょ。迷いを反映したのか、セカンド、サードとセールス的に落ちる一方。そのため、世間は「親の七光りでデビューしたけどダメだった一発屋」との烙印を押します。

 最悪の展開!

 しかし、ジュリアンって、しっかり曲書けるんです。歌も非常に上手い。けど、何か「これ!」というオリジナリティに欠けるのは否めません。

 1991年4thアルバム『ヘルプユアセルフ』は良盤で、『ソルトウォーター』のシングルのヒットもあり、復活を予感させるものでした。

 ところが、所属レーベルが大手に吸収された影響から、過酷なツアーなど営業活動が1年以上続き、ジュリアン本人は憔悴しきってしまいます。そして、音楽活動から距離を置いてしまいます。30歳を迎える直前ってのも、節目だったのかもしれません。

 世間的には「一発屋確定」ってところでしょうか?

 その7年後、1998年に突如リリースされたのが、本作『フォトグラフスマイル』です。

 ジュリアンも35歳。どう変わったのか?父の呪縛から逃れることができたんでしょうか?

 いいえ、逆です。堂々と「ジョン二世」を受け入れたんです。

JULIAN LENNON 画像元: http://u0u1.net/HIxY

 

 迷いが吹っ切れたのか、ここで聴かれる楽曲は、これまでのどっちつかずな感じは、何だったんだろう?と思わせる、丁寧に練られた、説得力に満ちたものばかりです。

 1曲目はシングルカットもされた『デイ・アフター・デイ』。一見、戦地へ旅立つ父と家族の歌に聞こえますが、どう考えても自身と父ジョンのことを連想させます。

 そして、父のクローンを期待する人達にも、そうしてみせます。5曲目『アイ・ドント・ワナ・ノウ』の歌い出しなんて、何度聴いても、ジョンにしか聞こえません。

 開き直りとも言えますが(本人の楽曲解説がインナーにあるのですが、「ビートルズみたいなの作らないの?って周りがあんまりうるさいから作ってみたよ」などと書いています)色々なことが「吹っ切れた」って方が正しいんじゃないかな。

 最終曲『ウェイ・トゥ・ユア・ハート』に至っては、ビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド』のメロディがそのまま引用されています。

 シーン復帰と思いきや、ジュリアンはこの後また、10年以上新作を発表せず、フォトグラファーとしての活動に重点を置きます。こちらでもU2のアートワークを担当したりと、才能を発揮します。

 2015年には、母シンシアが他界。ジュリアン始め、ポール、リンゴ、そしてヨーコまで追悼のメッセージを表したのは、記憶に新しいと思います。

 2017年末、発売されたばかりのU2の最新作には、ゲストミュージシャンとして参加もしており、「音楽稼業」から完全に足を洗ったわけでは無いようです。また気が向いたら(笑)新作も発表してくれるでしょう。円熟期を迎えるだろう、今後の活動に期待です。

 

                                                              ケイズ管理(株)西内恵介

 

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