経営者インタビュー 2015年6月号

株式会社ワークスロケーションクルー代表取締役  風間 彰

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今回お話を伺いますのは、ワークスロケーションクルー代表取締役の風間彰社長。
『ロケーションコーディネーター』という、一般にはあまり知られていない分野でご活躍されている社長に、どんなお仕事なのか? そして、そのお仕事に至った意外な経緯をお聞きします。

 

『人生は常にポジティブに』

 

 ―どうぞ、よろしくお願いいたします

風間社長(以下『風間』):「はい。よろしくおねがいします」

 

―まずは、プロフィールからお伺いいたします。 
1951年6月20日生まれ、O型、旭川のご出身なんですね

風間「はい、パルプ町というところ出身でね。39号線沿い、永山の方です。」

 

―学生時代は旭川で過ごされたのですか?

風間「中学校2年くらいまで旭川で、そのあと九州八代へ行きまして。その後は『北の国から』の布部に移り、そこで卒業して、札幌へ出てきました」

 

―特別な資格免許はお持ちですか?

風間「なし。自動車の免許は大型車両から二輪車、大特(大型特殊免許)まで、色々と持っていますよ。大型二種もあるから、観光バスの運転手もできる」

 

―そうですか!やはり、ロケーションのお仕事には必要な免許なのでしょうか?

風間「今の時代は、ロケ車両というのも営業ナンバーを取得していないといけないんです」

 

―ロケーションに関しても法整備が進んできているんですね。

風間「そう、中央のテレビ局なんかで、いろいろ問題になってから規制が厳しくなったんですよ。ここ10年位でね。それで免許を取らざるを得なくなって。それでも、今、札幌で(営業ナンバーを持っている)会社は2~3社しかないんです」

 

―そうなんですか。

風間「元々ね、この業種ってあんまり会社がないですからね。だから、うちの会社の説明をするのになかなか苦労するんですよ」

 

― 一般の方は、『撮影』と言っても、どんなお仕事があるのか想像しにくいのかも知れませんね。

風間「そうなんです。お話してもあまり理解していただけない。『広告代理店ですか?』ってよく言われます」

 

―ご説明が難しいお仕事ですね。具体的なお仕事につきましては後ほどお聞かせいただくとしまして、まずは社長の人物像に迫ってみたいと思います。まずは、お好きな食べ物についてお聞かせくださいますか?

風間「昔からカレーが好きなんだけど、最近はスープカレーが好きですね。」

 

―辛いものがお好きなんですか?

風間「そう、好きですね。あんまり辛いものは(身体に)良くないんだけどね。」

 

―度が過ぎるとそうかもしれませんが、代謝が高まって元気が出ますよね。オススメのお店を教えていただけますか?

風間「よく行くのはサボイ(Curry Di.SAVoY 札幌市中央区南1条西5丁目7番地 豊川南1条ビル地下1階)というお店。時々、テイクアウトして持って帰ってきます。」

 

―このお店のカレーは、他のお店と何が違いますか?

風間「スープカレーの鶏肉って素揚げにして出すところが多いんですが、このお店は油通ししていないんですよ。で、素揚げしていない鶏のスープカレーだと、(普通は)クサミが出るんだけど、ここのはそれが無いんです」

 

―いい素材を使って、鶏そのものの旨みが楽しめるお店なんですね。では、苦手な食べものは何ですか?

風間「『生春巻き』。香草が入ったのは苦手なんだよね。(ベトナム料理の)フォーとか。でもね、それしか食べるものが無かったら、好きになれるかも知れない」

 

―好きになれるかも知れない。なるほど!風間社長は前向きでいらっしゃいますね。続きまして、好きな色は何色ですか?

風間「最近は『赤』。昔は違ったんだけどね。最近は赤とかオレンジとか、身の回りのものは派手な色が多いですね」

 

―元気の出る色ですね。風間社長のイメージと合います。好きな言葉はなんですか?

風間「『人生は常にポジティブに』。あんまり考え事しないからね(笑)。突き詰めて悩まないんです。常に前向きにね。これは仕事についても、人生についてもそう。なかなかうまくいかないこともあるけど」

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ロケーションコーディネーターって、どんな仕事?

 

―続きまして、お仕事についてのお話を伺わせください。

風間「ロケーションコーディネーターという仕事です。職種で言うと広告業になるのかな。一般に広告業というと、広告代理店という印象をお持ちなんだけれども、うちの会社は、撮影をするためのロケ地を探すのが役目です。それに付随して、スタッフのホテルや食事や送迎を手配する。簡単に言えばそういう仕事です」

 

―札幌には他にもそういう会社がたくさんあるんでしょうか?

風間「今、札幌市内で5社くらいあるのかな。社員を抱えてやっているのは2社だけ」

 

―北海道は撮影地として人気があるのでしょうね。

風間「そう、でも今はインターネットが普及して主流になってきているので、コーディネータに頼らなくても、自分である程度は調べることが出来てしまうんですよね。よっぽどマニアックな場所で情報が一切無い場合は、依頼が来るけれども。そういう意味で、我々の職業も厳しい時代に入ってきていますね」

 

―『ワークスロケーションクルー』では撮影に関わる様々な業務があるとお聞きしましたが、今メインになっているのはどの業務ですか?

風間「メインは、今お話したロケーションのコーディネート。それと、増えてきているのは、車両部ですね。東京からの撮影でも、ロケ地に関しては事前にインターネットを使って調査、連絡を済ませてあって、後はその撮影現場まで運んで欲しい。という依頼です。それだけの仕事になりつつあるから、これから色々考えなきゃならない時期に来ているのかな。と思います」

 

―ワークスロケーションクルーのウェブサイトを拝見しますと、創業1990年8月とありました。会社創設のきっかけについてお聞かせくださいますか?

風間「独立せざるを得ない状況と言うのかな。その前は、同じような業種の会社に勤めていたんです。さらにその前は、実はアパレル(服飾関係)だったんです」

 

―え!そうなんですか?アパレルの方が、どういうきっかけで撮影業界に入られたのですか?

風間「最初は撮影用の衣装として商品を借りに来られたんです。それで知り合いになった人が、うちの会社に来ないか?と。オファーを頂いてね」

 

―撮影業界に入られる時には、迷いはありませんでしたか?

風間「いや、なかったですね。楽しそうだったし。芸能人にも会えるし!なんてミーハーだから(笑)」

 

―そういった思い切りの良さで、特殊な業界へ飛び込んでいかれたわけですか…。

風間「そうですね。当時はそこ1社しかなかったし、当時は監督やプロデューサーが自ら北海道に来て、撮影現場を探していたような時代ですから、なんでもやりました。若かったしね。後先考えず。失敗しても、またやり直せばいいと、常に思っていました」

 

―北海道のロケーションコーディネーターとして草分け的な会社にいらっしゃったのですね。そこからどういう経緯で独立なさったのですか?

風間「(勤めていた会社の)先代の社長の息子が帰ってきて、跡継ぎという形で代替わりしたんです。年齢の違いなんかもあって、仕事上、どうしてもぶつかっちゃって。それで、独立します。ということになったのですが、その後1年は、前の会社のお客さんとは一切仕事をしない。と決めて独立しました」

 

―それは大変な!そういう条件での独立だったんですか?

風間「何故かって言うと、先代の社長が亡くなって、息子が戻って代替わりしたんですけども、僕はこの仕事を先代に教わったんで、1年間だけはどうしても仕事を横取りしたくなくてね。前の会社のお客さんから依頼はたくさん来てたし、喉から手が出るほど仕事が欲しかったけど、理由を説明して遠慮してたんです」

 

―先代への仁義を通して、1年間は辛抱なさった。独立1年目というのは一番大変な時ですのに。

風間「うちの会社から出て行った人間も、うちのお客さんのお仕事受けたりしてるから、みんな生きていくために仕方ないんだけどね。僕はそうしたくなかった」

 

―風間社長のお仕事ぶりを象徴するエピソードですね。男気を感じます。社長になってよかった、と思われることは何ですか?

風間「いろんな人に会えること、より良い人材に巡り会えたことですね。ミュージシャンにも会えたり、面白いですよ」

 

―風間社長ご本人もTVコマーシャルにご出演なさっていらっしゃいますね。

風間「そうなんです。年に1本くらいは出てますね」

 

―菅野美穂さんと共演なさった『プリウス』のCM、素敵でしたね。あの後、出演依頼が殺到したんじゃありませんか?

風間「依頼ね、結構来てたけど、僕の本業はこっち(撮影スタッフ)だから(笑)。」

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(左)ボンネットが強化された撮影用の特殊車両。(右)オフィスに撮影備品が整然と収納されている

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