ケイズサウンド株式会社 風上哲也 代表取締役 インタビュー

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胸熱く、思わず涙する『音』 ~アメリカでの体験が浮き彫りにした日本のPA
事情

 

 専門学校を卒業された後は、すぐに就職なさったんですね。

風上「専門学校に通いながら、ホテルの音響照明係や、ライブハウスの音響としてアルバイトをして基礎を学んだ後、学校へ講師として来ていた方の会社に就職しました。『うちの会社へ入らないか?』と声をかけてもらったんです。PA(音響) 専門の会社ではなかったのですが、PAの仕事もできるよ。と言われたので」

 

 メインのお仕事はどのような内容だったのですか?

風上「テレビの『音響効果(SE)』という仕事でした。事前に選曲したものを、場面に合わせてリアルタイムに流していくという仕事です。慣れない仕事だったので、深夜2時くらいまで作業して、翌朝6時出勤ということを2年くらいやっていました」

 

 ハードでしたね。苦になりませんでしたか?

風上「いやいや、辛かったですよ(笑)」

 

― 2年お勤めになって、そこから音響の世界へ戻っていらっしゃったのは何かきっかけがおありでしたか?

風上「たまたまPA業務に触れる機会があって、忘れていた情熱が再燃したんです。そこからすぐにPAの専門業者を探して面接を受けました」

 

― 1993年に札幌の音響会社へ入社なさった。その後、その会社社長の勧めで海外研修へ行かれるのですね。

風上「95年でしたか。会社で機会を頂いてアメリカへ海外研修に行きました。その時に ニューヨーク・ブロードウェイミュージカル 『TOMMY』に衝撃を受けます。あまりの音の良さに無意識に涙があふれてきたんです。そういう体験というのは、日本ではしたことがなかった。きっとその場の雰囲気とかもあるんでしょうけど…」

 

 でも、明らかに音の印象が日本とは違ったんでしょうね。

風上「違いましたね。次元が違うんだ、ということをそこで思い知りました。機材の音質だけでなく、その時どきの音量だったり、そもそもの演奏力だったり、色々なことが段違いに違うんです」

 

― その場で演奏された音をPAが受取って、調節して、聴衆に届けるという仕組でしたら、PA技術の違いがはっきり音に反映されるのでしょうね。

風上「アメリカのエンターテインメントは日本よりも長い歴史があります。ブロードウェイでの公演は毎日世界中からお客さんを集めますから、当然、機材も圧倒的に良いものを使っていると思いますし、あちらの公演には音響のプランナーが存在するんです」

 

 音響のプランナーですか?

風上「オペレーターではなく、専門のサウンドデザイナーが居て、作品のためにイメージして作ったものをオペレーターに渡していく。あちらでは、そのポジションが何十年も前から確立しているんです。日本では、まだ一部の現場でしかシステムとして確立していないように思います」

 

 音に対する感じ方や、表現方法というのは、民族的に特徴や違いがあるものですか?

風上「世界各国の実情を知っているわけではないんですけれど、アメリカは音の重要性を意識しているように思います。日本のエンターテインメントはどちらかというと、まず、見た目を重要視している、という感じでしょうか」

 

― 確かに、日本では音がイマイチでも見た目が良ければ納得できる。というような風潮があるかもしれません。

風上「ディズニーも、音に対して非常に力を入れていますよね。そこが、インパクトの違いなんです。どんなにヴィジュアルが進んでいても、音が良くなかったら観客に強烈なインパクトを与えることはできないんです」

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 反面、日本にはオーディオ・マニアの方もたくさんいらっしゃいますよね?

風上「そうですね。例えば、1本何十万円のコードを買ってみたりね(笑)。確かに品質の良い機材なんだとは思うんですが、僕には正直、わからないです」

 

 値段が高ければ音も良いはず! という心理の違いが感覚の違いになっているのではないのでしょうか?

風上「心理の違いもありますし、もちろん、音自体の微妙な違いはあるはずです。ただ、好き嫌いと、合う合わないということがあります。単純に機材の良し悪しだけでは判断できないんです」

 

 合う、合わないですか?

風上「例えば、クラシックに合う音と、ロックに合う音というのは全然違いますよね」

 

 そうですね!そこをデザインされるというのは難しいお仕事でしょう。正解のない世界ですから。

風上「自分の感性の蓄積で判断するしかないです」

 

 技術の部分にプラスして、感性の部分も磨いていかなくてはいけないのですね

風上「そう、日本と海外を比較すると、日本は技術先行なんです。何かするためには、必ず先に技術を身につけていなくてはならない。それは当然なんですけれど、アメリカのエンジニアなんかには、実はあまり技術のない人間もいます。でも、結果的にいい音を出してしまう」

 

 なぜですか?

風上「到達点が分かっているから。『この音楽はこういう音にしたい』というイメージがはっきりとあるんです。それに到達するためには、どういう手段をとっても良い。ただ、日本では『この仕事のこの技術はこうでなくてはいけない』という固定概念が強い気がします」

 

 この場合、この機材じゃおかしいぞ。と音を出す前に方法を限定されてしまう可能性はありそうですね。

風上「向こうのエンジニアは仕事であっても、音楽そのものを自由に楽しむ雰囲気があります。日本だといつの間にか楽しむ感じではなくなっちゃうんですね。専門的な学問のような感じで。これも大切なことですけれど、挨拶はきちっとしなくちゃいけない、居住まいを正さなくてはならない。そうやって日本人が緊張している現場へアメリカの技術者が遅刻してきて入ってくる。挨拶もせずに珈琲なんかドーンと置いてね、ゆったりやってる。で、本番までに一気に集中して、それでいい音を出してしまう。悔しいんですけど、そういう感じです(笑)」

 

 1999年に仕事を休職なさって、アメリカ周遊、その後、中国から陸路でアジアを抜けて中東まで旅をしていらっしゃいますね。どういった理由から旅立たれたのですか?

風上「当時28歳でした。もっと色々な世界を見てみたいという思いが急上昇する反面、慣れてきたPA業務を淡々とそつなくこなす毎日が続き、会社や仕事に対して中途半端な姿勢で向き合っていることへの自己嫌悪を感じ始めたんです」

 

 各地を旅されて、いかがでしたか?

風上「様々な場所で貴重な体験をすることができました。それまでは、育った時代背景や少年時代に聞いていた音楽の影響もあって、消費大国アメリカへの憧れが強かったのですが、この東南アジアを中心とした旅で価値観が大きく変化しました。『物質面の豊かさが私たちの幸せにつながるとは限らない』、『当たり前という考え方はまったく通用しない』、『価値観は人それぞれによって異なる』。そんなことを渡航先で教えられました」

 

 戻っていらっしゃってから、北海道についての見方に変化はありましたか?

風上「帰って来て『北海道はなんてすばらしい場所なんだろう』と思いました。色々な意味で、かなり質の高い地域です。自分たちではそのことに気付いていないですよね。外に出てみないとわからないことが色々ありますから」

 

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