こんにちは、西内恵介です。大人の事情(笑)により、今月は私が書かせていただきます。ビートルズの弟分としてデビュー。その成功は、約束されていたかのように見えたのに、どこで歯車が狂ったのか? よく「悲劇のバンド」と形容される、『バッドフィンガー』の一枚を。
『ストレート・アップ』
バッドフィンガー
『Straight Up 』
BADFINGER 1971年
メンバー
ピート・ハム(guitar piano vo )
トム・エヴァンズ(bass vo )
ジョーイ・モーランド(guitar vo )
マイク・ギビンズ(drums vo)
プロデュース
トッド・ラングレン
ジョージ・ハリスン
収録曲
A
1 テイク・イット・オール(TAKE IT ALL)
2 ベイビー・ブルー(BABY BLUE)
3 マネー(MONEY)
4 フライング(FLYING)
5 アイド・ダイ・ベイブ(I’D DIE BABE)
6 ネイム・オブ・ザ・ゲーム(NAME OF THE GAME)
B
1 スーツケース(SUITCASE)
2 スウィート・チューズデイ・モーニング(SWEET TUESDAY MORNING)
3 デイ・アフター・デイ(DAY AFTER DAY)
4 サムタイムズ(SOMETIMES)
5 パーフェクション(PERFECTION)
6 イッツ・オーヴァー(IT’S OVER)
妻「ヴァレンタインデーにチョコあげたでしょ?」
俺「…はい」
妻「ホワイトデーは10倍返しだって知ってる?」
俺「ホワイトデーなんてバブル時代の風習じゃないのか?」
妻「(スルー)…何買っていいか、わかんないんだったら、教えるよ?」
俺「いやいやいや、自分で選ぶ! 大丈夫!」
妻「大丈夫じゃないんだって、パパ、センス無いからさぁ」
俺「何だよセンス無いって」
妻「去年くれたの、これだよ?」
俺「ダースベイダーTシャツ! カッコいいじゃん?」
妻「どこで着るの? 私が? これを?」
俺「だって、ママって、ダースベイダーぽいって言うか…(パシッ!)痛っ!」
妻「暗黒面に落ちろ!!」
ロックスターにせよ、ハリウッドスターにせよ、人気も金も名誉も手に入れてしまい、それならば、もう、マネージメントも自分たちでやればいいじゃん? と、会社経営的なことに乗り出してしまうと、大抵の場合、それはうまく行きませんよね。
あのビートルズでさえ、ブライアン・エプスタインという、超有能な商売人だったマネージャーを失ったあとの、ビジネス面での迷走ぶりはひどいもんでした。
その迷走時代のビートルズが設立した『アップルレコード』。ビートルズ自身の他に、有望な若手アーティストを発掘し契約、メンバーが曲を提供したり、プロデュースにかかわっていました。
『バッドフィンガー』も、ビートルズの弟分として(当初『アイヴィーズ』の名前でしたが)、1968年にシングル『メイビー・トゥモロウ』でアップルからデビューしたバンドです。
彼らは、同年、シングルと同名のデビューアルバムを完成させます。
ところが、当時のアップル、経営ぐちゃぐちゃでした。ビートルズがあれだけ売り上げているのに、倒産寸前の有様です。
そこでビートルズの要望で、新社長に就任した(ビートルズマネージャーの)アラン・クラインは、諸問題をクリアにするまで、ビートルズ以外、一切のレコードリリースをやめてしまいます。
せっかく完成したデビューアルバムは、本国イギリスや、最大のマーケットであるアメリカでは、発売されないという、憂き目に遭います。
ケチのついたデビューの翌年、メンバーチェンジを経て、仕切り直しとしてバンド名を『バッドフィンガー』と改名。再デビューアルバムは、ポール・マッカートニーがプロデュース。アルバムに収録された、ポール作の『カム・アンド・ゲット・イット』がヒットしました。
メンバーは、自作曲のヒットではないことが不本意だったようですが、世間的には『ビートルズの弟分』を印象付け、注目を浴びるきっかけになったのです。
1970年に、セカンドアルバム『ノー・ダイス』を発表。のちに、マライア・キャリーなど180以上(ウィキ記述)ものアーティストにカバーされることになる、名曲『ウィズアウト・ユー』を含む名盤です。この曲はシングルカットされませんでしたが、シングル『ノー・マター・ホワット』も、トップ10入りする大ヒットとなり、いよいよアメリカ進出に踏み出します。
バンドは、アメリカでのマネージメントを、スタン・ポリーという男に託します。
スタン・ポリー。こいつがくせ者。
表の顔は、ニューヨークショービズ界の、やり手マネージャーなんですが…。
1971年秋、ヒット映画『真夜中のカウボーイ』の主題歌などで、人気のあったシンガーソングライターのニルソンが、先の『ウィズアウト・ユー』を、初めてカバーし、シングルリリース。これが当時としては破格の80万枚を超える、大ヒットとなり、全米、全英、その他各国で1位を獲得。
当然、バンドのオリジナルヴァージョンも注目を集めます。タイミングよく、同年冬には本作、サードアルバム『ストレート・アップ』がリリース。シングルカットされた『デイ・アフター・デイ』は、ビルボード4位と、バンド史上最大のヒットを記録します。
それぞれの曲のソングライター、ピート・ハムとトム・エヴァンズは、これでもう俺達もスターの仲間入りだと確信したはずです。『ウィズアウト・ユー』の印税だけで、一生食っていける額を、手に出来るはずだったんです。
出来るはず? ですよね?
しかし、儲かったのは、マネージャーのスタン・ポリーでした。
スタンは、バンドとのマネージメント契約の際、一切の利益は、バンドとスタンが共同で設立した会社(実質的にはスタンの会社)に入るようにしていました。通常は、作者に支払われるべき『印税』も全てです。バンドはこの会社から給料をもらうだけ!
この不当な契約に、バンド側が気付いたときには、すでに時遅し。しかし、スタンを切ろうにも、全ての資金はスタンが握っているわけです。
4枚目のレコーディングに取り掛かった際、スタンは、アップルとの契約があるにもかかわらず、大手のワーナーブラザーズとの、大型契約交渉を進めてしまいます。
当然、アップルは激怒し、バンドが9ヶ月かけて完成した自信作を約1年放置。最終的にリリースはしたものの、プロモーションもせず。売上は伸び悩みました。
1974年、バンドはワーナーに移籍。心機一転のはずだったんですが…。
ワーナーは、レコーディングの支度金として、スタンの会社に10万ドルを渡します。ところが、この資金が、あっという間に使途不明金として消滅。のらりくらり逃げるスタンに、ワーナーも激怒、バッドフィンガーのレコード販売は全て差し止められ、レコード店店頭から消えてしまいます。
そして、ワーナーは、バンドとスタンに対して訴訟を起こします。のちに、スタンは、犯罪組織のマネーロンダリングにも関わっていたことが発覚します。
実質的にバンドのリーダーであった、ピート・ハムは、経済的にも精神的にも、いよいよ追いつめられました。そして、もう1ヶ月待てば娘が誕生するという時、1975年4月に首吊り自殺を遂げます。「(スタン)ポリーを道連れにする」という遺書を残して。27歳でした。
その後、バンドは残ったメンバーと新メンバーで、数年後に復活を遂げますが、パッとしません。おまけに『ウィズアウト・ユー』という、巨大な利権を産む1曲を巡って、メンバー間で訴訟にまで発展してしまいます。
そんな状況が限界だったのか、トム・エヴァンズは、1983年、自宅でピート同様、首を吊ります。
つまり名曲『ウィズアウト・ユー』は作者の2人が2人とも、首吊り自殺で最期を遂げた、悲痛な1曲でもあるのです。
ロックの歴史においても、『悲劇の』と形容される出来事が、いくつかあります。先月の原稿に登場した、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのヘリコプター事故死や、メンバー3人が、飛行機墜落事故に巻き込まれたレーナード・スキナードなど。
いかにロックスターといえども、不慮の事故は避けられません。
さて、バッドフィンガーの場合はどうでしょう? マネージメントがしっかりしていれば、こんなことには、ならなかったですよね。狡猾な相手の策を見抜けなかった、自業自得なのかもしれませんが、22、3の若造ですよ? 事故でも不測の事態でも無いだけに、余計、悲劇に感じてしまいます。
本作は、こんな運命を辿るとは、誰もが思っていない、最高の状態のバッドフィンガーを、ポップミュージックの神様、トッド・ラングレンが見事に引き出した、最高傑作です。少々大仰なのは、トッドだからしょうがない! 珠玉のポップロックアルバムを、ぜひお聴きください。
ケイズ管理(株)西内恵介