株式会社 菅原組 菅原 修 代表取締役インタビュー
函館の海と山を駆け巡る。やんちゃ少年のイケナイ遊びとは?
― 本日は、どうぞよろしくお願いいたします。まずはプロフィールからお伺いいたします。
菅原修社長(以下、菅原)「はい。生年月日は1954年9月27日。洞爺丸台風ってご存知ですか? 青函連絡船が沈没した台風があって、その次の日に生まれました。台風がおさまった日に生まれたので『修』と名づけられました」
― お名前にドラマチックな由来がおありですね。血液型は何型ですか?
菅原「O型です」
― 好きな食べ物、苦手な食べ物がおありでしたら、教えてください。
菅原「苦手な食べものは一切ありません。一番好きなのは…、きっとカツじゃないかな?」
― カツ、トンカツのカツですか? 函館でオススメのお店がありましたら教えてください。
菅原「好きで行っていたお店がなくなっちゃったんだよな。有名なのは、五稜郭にある『とんき』とか、コロモがちょっと変ってる宝来町の『とん悦』かな」
― 函館はお魚の街というイメージがありますが、お肉もおいしいですか?
菅原「肉も旨いですよ。森町とか八雲町の方でブランド豚を作っていますから。昔の話ですが、うちの父親が漁師をやってたんです。毎日、魚を食べるのが普通のことで、なかなか肉が食えないから、それで肉が好きになったんじゃないかなと思います」
― 好きな言葉がありましたら教えてください。
菅原「『天才とは努力する凡才である』。アインシュタインの言葉です。これは、天才が言うからいいんですよね(笑)」
― ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
菅原「函館です。函館の立待岬の方に住吉町という漁師町があって、そこで生まれました。高校三年までそちらに住んでいました」
― では、学生時代はそちらで過ごされたんですね。当時はどんな様子でしたか?
菅原「函館で唯一、潮干狩りができた場所です。今はもうやってないのかな。子供の頃はよくそこで密漁したっていう思い出があります(笑)」
― 密漁ですか。それは、ちょっと書きづらいですね!
菅原「その当時はそんなにうるさくなかったですし、うに、あわびが豊富にありましたから、子供が小遣いかせぎに獲るくらいはね。誰も怒ったりしなかったんです。今じゃ絶対だめですけどね。自分で潜ってとってきて、すし屋に持っていくんです。そうすると小遣いをくれる」
― すし屋に持っていく! それはお寿司屋さんも助かりますね。獲れたてのウニ、アワビを子供たちが配達してくれるなんて(笑)
菅原「今は漁師さんが少なくなりましたね。子供心に覚えているのは、いわしなんかがよくとれた頃は、モッコ(網の四隅から伸びる紐で中のものを吊り上げる運搬用具)ってありますよね? それでたくさん背負って母さんとか婆さんが貰ってくるんです。その頃のいわしなんて、タダみたいなもんですから、もらっても困る(笑)。その当時、家ではまだ井戸水を使ってました。子供の役割として、井戸から甕(かめ)まで水汲みをする。あのあたりは水道が遅かったのかな。函館山が遊び場でした。まだ防空壕が残っていて、雷管が落ちていたりしてね」
― 菅原社長ご自身は、どんなお子さんでしたか?
菅原「やんちゃでしたね。ほとんど家に居なかったです」
― やんちゃな少年時代を経て、進学はどうなさったんですか?
菅原「高校進学の時に普通高校と高専と受験して、どちらも受かったんですけれど、親父がね、専門学校なんか行かないでいいから、大学行って来い。と言いましてね」
― その頃はお父様は、まだ海に出ていらしたんですか?
菅原「その頃はもう、この会社を興していました。父は元々磯舟を使った沿岸漁業をしていたんですが、身体が弱くて他人の倍の時間、船に乗っていないと同じだけ獲れなかったみたいです。父の弟が建設系の会社に勤めていたので、それを頼ってこの業界に入ったんです。その会社が倒産して、その時の松前町長さんがお前達2人で会社をやらないか? と言ってくれて、父と父の弟が松前で創業したんです。昭和31年の創業開始。今年で60周年です」
― 菅原組の創業者であるお父様は、どんな方でしたか?
菅原「父は私が物心ついたときから、ほとんど家に居ないんです。松前で仕事をしていましたから、盆と正月しか家に帰ってこない。私は父親が好きだったんですね。それで寂しかったんだと思うんです。小学校5年の時に将来この仕事をしようと自分で決めました。同じ仕事をすれば、父と一緒に居られると思ったんでしょう」
― 早くから決心されていたんですね。お父様も喜ばれましたでしょう
菅原「父親とそんな話をしたのも、大学を卒業した後2年間、東京の建設現場で働いて、嫁さんを連れて戻ってきてからでした」
― 東京で現場を経験されて、さらに、お嫁さんを連れてお戻りになった!
菅原「嫁さんも同郷で、中学校、高校が一緒でね」
― おふたりは東京で偶然再会なさったんですか?
菅原「そう。それまで特別な付き合いは無かったんですよ。ある日、友達が『雀荘に函館の子がいるよー』って」
― 雀荘に!
菅原「そう(笑)。行ってみたら、その人だった」
― それは、運命的な出会いですね
菅原「そうですね(笑)」
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