株式会社 菅原組 菅原 修 社長インタビュー

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 50歳でカムバック、現在も現役! ~シニアサッカーの世界

 

― 遊びのお話を聞かせてください。お休みの日はどうお過ごしですか?

菅原「土日は休みです。私は中学、高校、大学とずっとサッカーをやっていたんです。仕事を始めてから離れていましたが、50歳になって急にまたやりたくなって、函館のリーグでサッカーを始めました。シニア60歳のチームに参加してます。基本、日曜日は試合に出たり、練習をしています」

 

― 学生時代はサッカー部に所属していらしたんですね。

菅原「我々の時代のサッカー部というと悪いヤツばっかり集まってました。野球部はエリートでサッカー部は悪いヤツ。そういうイメージで完全に分けられていた時代です。今とはかなりイメージが違いますね」

 

― 50歳になってからフィールドへ戻られた時は、思ったように走れましたか?

菅原「それが、私のポジションはキーパーだったんです。あまり走らなくていいから、戻れたんですよ(笑)」

 

― キーパーは動体視力と瞬発力が問われますね?

菅原「動きはね。自分は昔のままのつもりで始めたじゃないですか。それがもうね、全然ですね(笑)。まあ、そこそこは普通にやってるかな、と思います。今月の9/17、18、19にシニア60の全道大会があるんです。これに勝つと全国大会進出。面白いですよ」

 

― 北海道はシニアサッカーが盛んな地域ですか?

菅原「チーム数が結構あるんです。今回は全部で15チームかな。優勝した1チームだけが全国大会へ行きます」

 

― 日頃から練習やトレーニングをしていらっしゃるんですか?

菅原「練習はしています。トレーニングはしてないけど、毎朝1時間、歩いています。朝5時に起きて、一時間歩いて、帰ってシャワーを浴びて、朝飯食べて出勤する。会社に来るのは私が1番早いか、2番手ですね」

 

― お仕事の前に1時間歩いてから出勤なさっているんですか。

菅原「そうです。そういうルーティーンですね。土日は夕方に10km近く歩きます。嫁さんに歩きすぎだと言われています(笑)」

 

― 菅原社長からは本当に若々しい印象を受けます。毎日しっかり運動をしていらっしゃるんですね。

菅原「たまたま東日本震災の時にね、震災の翌年から4年間、あちらに手助けに行っていたんです。その時に、やっぱりストレスがあったんでしょうね。血圧が200近くまで上がってしまって。体重も増えてね。こっちに戻ってから元に戻しました。もう大丈夫です。自分はストレスだと感じてはいなかったんですが、ああいった震災の現場というのはやっぱり、負担になってたんですね」

 

― 大変な現場だったのではありませんか?

菅原「震災の1月後に一人で仙台から車で入りました。岩手県の宮古の上、久慈まで見に行きました。伝手も何も無かったんですが、たまたま大船渡の会社が函館港にあった船を買った会社だったんです。会社の名前だけ覚えていたので飛込みで電話して、社長に会ってください。って連絡したんです」

 

― 飛込みで行かれたんですか! どうなりましたか?

菅原「社長と面談して、とにかく手伝わせくれ。とお願いして、やらせてもらうことになりました。1年目はしんどかったですね。人はいないし、泊まる所はないし。事前にそういう状況を見てきたので、建物は事前に北海道で用意して、運んで、現場で組み立てるだけにして、むこうで泊まる所を用意してから乗り込みました。急いで船を出して、直ぐに手伝いに行きました」

 

― 実際に現場を視察して、準備が出来次第、飛び込んでいかれた。素早い決断ですね

菅原「とにかく、仕事しなきゃ、という頭ですね。行かないことには何にも手伝えませんから。我々が行ってからも現地は頻繁に揺れていました。慣れましたけどね。ただ、寝ていても地震の前兆のP波(縦揺れ)が来るのがわかる。それだけ神経が張り詰めていたんでしょうね。被災したところにハウスを建てて2週間、みんなが来るまで一人でそこで待ちました。それもなかなか…」

 

― 勇気がおありです。

菅原「この何年間、職員の数を変えていないというのは、こちら(函館)とあちら(東北)で人のやりくりをしながら、仕事が出来ているからです。あの時行ってなかったら、どうなってたかな。職員の数を半分にしなくちゃならなかったかもしれない」

 

― 思い切って行かれて正解でしたね

菅原「ひとつの分岐点でした」

 
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 『子どもが戻ってこられる会社』を目指して ~亡き父との思い出と、会社の未来

 

― 菅原社長のご趣味は何ですか?

菅原「サッカーと、昔は映画も観ましたけどね。本を読むのは今でも好きです。今は単行本でなくても読めるじゃないですか。スマホでね」

 

― お好きな作品や作家がいらっしゃいましたら、教えてください。

菅原「重松清とか、ミステリーが好きなので、道尾秀介、伊坂幸太郎ですね。昔は松本清張を読んでいました。あと、歴史ものも好きなので、司馬遼太郎はほとんど読みました」

 

― お好きな映画は何ですか?

菅原「一番好きだったのが『アラビアのロレンス』。嫁さんと初めて観たのが『小さな巨人』。ダスティン・ホフマン主演のインディアン映画。それだけは鮮明に覚えています」

 

― 初めてのデートで観た、思い出の映画ですね

菅原「硬派だったもんですから。女性とお付き合いするなんていうのは、ぜんぜん頭に無かったんですよ。初めて映画に行ったのも大学に入ってからでしたから」

 

― 音楽は聴いていらっしゃいましたか?

菅原「音楽は、昔はロックを聴いていました。ディープパープル。因みに一番最初に買ったレコードは、ビージーズです。映画『小さな恋の物語』を観たからかな。きっと、映画と関係してますね」

 

― 映画も書籍も音楽も、実に幅広く嗜んでいらっしゃいますね。

菅原「そうですね。うちの嫁さんも幅広いですよ。最近ね、和裁を始めたんです。孫に浴衣を縫ってやるってね。そういえば、最近の楽しみといえば、孫に会うことなんです」

 

― お孫さんがいらっしゃるんですか。お幾つですか?

菅原「上は3歳と下の子は8ヶ月かな。東京に居ます。娘がクラシックバレーを教えていて、月に1回、岩手に教えに来るんです。その時にこっちからも一緒に泊りに行きます。あちらで私達は孫の面倒を見てね。この間、初めて孫だけ北海道にさらってきました(笑)」

  

― あら! 泣きませんでしたか?

菅原「泣いたのは最初の1日目だけ。その後はなんでもなかったです。子供も良くわかってますから。この人達のほうが何でも買ってくれるぞってね(笑)。本当に可愛いです」

 

ー ご家族との時間も充実していらっしゃいますね。

菅原「あとは、先代が死ぬまでは、競馬をやってたんです。それは、休みの日に競馬に行くと、親父が競馬場に居るから。この仕事を始めたのと一緒。とにかく親父と一緒に居たかったっていうことですね。親父が死んでからぶっつり行かなくなりました」

 

― そうでしたか。お父様と一緒に居たいという思いから。

菅原「大好きだったんですよね。きっとね、親父のこと」

 
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― ずっとお仕事に集中していらっしゃって、ストレスを感じることはありませんでしたか?

菅原「子供が生まれて何年間は、子供に会えないストレスというのはありましたけどね。その後は、震災の時くらいかな。ストレスがあるのかもしれないけど、あんまり感じないですね」

 

― ストレスに負けない秘訣は、やはり身体を動かすことですか?

菅原「毎朝歩いているのは自然とストレス解消になっているんじゃないですかね。雑事を忘れ、いい空気を吸って、日の出を見て。今日一日、何をしようかな。ってね(笑)」

  

― お仕事をしていく上で、難しいことがありましたら教えてください。

菅原「一番の悩みは若い子が入ってこないことですね。今ね、苫小牧高専の学生がインターンで来てるんですけど、お客様ですから。大事な玉を扱うようにね(笑)。少しでもこの業界に興味を持ってもらいたいです。人は宝だと思ってますから」

 

ー 人は宝。そういう会社には、きっと良い人材が集まります。

菅原「他所はわからないけど、うちの待遇は悪くないと思います。東北へ行ってる若い子は給料が倍になるように手当てを出したり、年3回のボーナス支給、というのは、兄が社長の時に始めました。これを継続していくのを目標にしてます。職員に還元してあげることで、仕事が多少辛くても残ってくれますから。今の目標は、働いてくれている若い人が親になった時、自分の子供たちにこの会社を勧めてくれるような会社にしたいと思っています」

 

― それが、今後の目標ですね。

菅原「親が『この会社、いい会社だよ』と薦めてくれて、子供たちが戻ってきてくれるような会社にしたいです」

 

― ありがとうございます。プライベートで目標にしていらっしゃることはありますか?

菅原「サッカーシニア60の全道大会優勝。今年は勝てそうなんです。この間の夕張大会は全勝無失点で帰ってきましたから」

 

― それはすごい! 無失点キーパーですね。

菅原「そうなんです(笑)」

  

― どうか、お怪我にお気をつけて! 朗報をお待ちしてます。ありがとうございました!

菅原「怪我は出来ないですね。優勝の報告が出来るように頑張ってきます(笑)」

 

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菅原 修 (すがわら おさむ)

1954年 9月27日生まれ 函館出身 血液型 O型 

 函館の漁師町でやんちゃな子供時代を過ごす。
中学、高校、大学とサッカー部に所属。大学卒業後、
上京。建設現場での仕事を経験し帰郷後、菅原組に
入社。10年間、松前の現場を担当する。
 2015年6月 株式会社 菅原組 代表取締役に就任。
地域に貢献できる企業No.1を目指して地域活性化と
人材確保に意欲的な取り組みを行う。
 50歳からサッカーを再開『函館四十雀60』所属。
2016年全道シニア60
全道サッカー大会優勝。

  (取材:2016年 9月)

 

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