株式会社 バイオゲイン 廣瀬いづみ社長 インタビュー
自分の事は自分でやる。~我が道を行く 超マイペース少女
― 本日は、どうぞ、よろしくお願いいたします! ばんけいスキー場の中にこんな素敵なカフェがあるなんて、知りませんでした。『ベルクヒュッテ』というドイツ風の名前にふさわしく、ロッヂ風の雰囲気ある店内ですね。ご紹介くださいまして、ありがとうございます。
廣瀬いづみ(以下、廣瀬)「いいでしょ? ここの珈琲が美味しいんですよ」
― それでは、生年月日から教えていただけますか?
廣瀬「9月28日生まれ、A型です」
― 出身地はどちらですか?
廣瀬「札幌です。小さいころは水車町のあたりに住んでいました」
― あの辺りは、今も変わりませんか?
廣瀬「変わりましたね。水車町って、昔は空き地が多くて、子供の頃は、よく草むらに基地を作って遊んでいました」
― 学生時代は部活動に参加していらっしゃいましたか?
廣瀬「してないです。私、女子高の藤女子に通っていたんですけど、部活があまり盛んではなくて。ほとんどのクラスメートが部活に入ってない状況だったんですよね」
― 空いた時間は、皆さん、何をしていたんですか?
廣瀬「中高一貫の6年制で受験が無いから、みんなそれぞれ将来の目標がある子が多くて。音大に行くって決めている子は自分でその準備をするので、部活動に参加している時間が無いんです。学校に音楽科があるわけではないから、個人の時間は全部、進学準備に費やすの」
― そうなんですか! ちょっと特殊な学校ですね。廣瀬社長はどんな目標をお持ちだったんですか?
廣瀬「私は音大に行こうと思ってたので、ずーっとその準備をしてました。学校が終わったら、すぐ家に帰って練習です」
― 今、ご自身で振り返ってみると、どんな女学生でしたか?
廣瀬「マイペース。全部、自分で決めてやる。家の中もそうでしたから。うちはずーっと商売をやっていたので、高校生くらいになってからは、あまり面倒をみてもらった記憶がないんですよね。親にお弁当を作ってもらうとか、お洗濯してもらうとか、そういった記憶があまりないんです」
― それを全部、自分でやってらしたんですか。素晴らしい娘さんですね。
廣瀬「親が自営業で本当に忙しかったから。ほとんど顔を合わす暇もないくらい。1か月に1回くらいですね。顔を合わせるのは。『元気だった?』みたいな(笑)。そんな感じなので、基本、自分のことは全部自分でやっていました」
― 早くから自立した娘さんだったんですね。
廣瀬「自分がどういう境遇に生まれたかということは、子供ながらになんとなくわかるじゃないですか。言って解決するなら言いますけど、言っても解決しないから、自分でやった方が早い。そのほうが、お互いにストレスもたまらないしね(笑)」
― 好きな言葉がありましたら、教えてください
廣瀬「これと言ってないんですけど、自分でよく使うのは『適材適所』です。結局それが、一番幸せだと思うんですよ。本人のやりたい事と、向いているかどうかは違うことがあるので、その判断、見極めは非常に難しいですけど、『適材適所』が成立すれば、物事は上手く進む」
― 先程のお話ともつながる気がします。言っても解決しないなら、自分でやる。必要とされていることなら、自分が望む、望まないに関わらず、求められていることをやる。姿勢としては共通しますね。男前ですね!
廣瀬「男前。…兄貴って、よく呼ばれます(笑)」
― 小さい時から、さっぱりした切り分けのできるご性格だったんですか?
廣瀬「どうなんでしょうね。幼稚園の参観日に来た父親の話なんですけど、お絵かきの時間にみんなで絵を描いている。みんながお絵かきを終えて、外遊びの時間になったんですけど、私は自分の中で絵が描き終わってなかったんですね。みんなが外に行っても、ひとりで残って絵を描いている。父親は誰もいない教室で一人絵を描く娘をぼーっとみてる。そのうち、外遊びの時間も終わって、みんながわーっと教室に帰ってくる。そして、次の活動が始まったころに、やっと絵を描き終えた私が顔をあげて、慌てるでもなく、ゆっくりお絵かき道具を片付ける。っていう姿を目撃したそうです」
― ものすごいマイペースですね! 全然動じてない。
廣瀬「元々、そういう性格ですね。父親的には、あの子は大丈夫なんだろうか? と(笑)心配してましたけど。」
― 自分がやるべきことをしっかりとやる。やると決めたら徹底してやる。そういう部分は廣瀬社長のご性格に根差しているのかもしれませんね。
廣瀬いづみ 社長 インタビュー 【1】 【2】 【3】 【4】