Kazz&co. 代表取締役  風間和子  インタビュー
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 日本縦断家出少女! ~キャスティング会社設立まで

 

― どうぞ、よろしくお願いいたします!

風間和子社長(以下、風間) 「よろしくお願いします!一日で話が終わるかな?(笑)」

 

― 是非、色々なお話を聞かせてください。先ず、プロフィールからよろしいですか?

風間「はい。1951年11月2日。血液型はO型。札幌生まれです。子供のころは、豊平区月寒で過ごしました」

 

― 月寒。当時の様子、覚えていらっしゃいますか?

風間「覚えてますよ。36号線沿い。うちは代々商売をしていて、祖父の代から精肉店を経営していました。『ツキサップ じんぎすかんクラブ』の初代経営者の時に、ジンギスカンの卸しをしていたのが、うちのお店です」

 

― 月寒の『ツキサップ じんぎすかんクラブ』。老舗の人気店ですね。

風間「菖蒲の時期になるとお庭がきれいでね。お店が丘の上にあって、羊が放牧されているのが見えてね。

私が子供のころは、地方から集団就職っていうんですか。中学を卒業してから、うちへ精肉の見習いと、母も割烹というか、飲食店をやっていましたから、お手伝いの女の子たちをお預かりして、一緒に暮らしていました。もう、大家族でね。母はいつも忙しくて、祖父や祖母に可愛がってもらった記憶があります」

 

― お寂しくはありませんでしたか?

風間「うーん。そうでもなかったけど、そのせいか、独立心っていうのは早くからあったと思います。小学校の時にはお転婆娘でね。近所の男の子たちを弾き連れて、度胸試しですよ。自転車で公園の急な坂を降りられるか?ってね。男の子でも、怖がる子が居るんですよ。そうしたら『先ず私が行くわー!』ってね(笑)」

 

― 活発なお嬢さんでしたね!

風間「中学までは札幌の学校に通っていたんですけど、たまたま、伯母が大阪でアパートの経営をしていて、時々、大阪へ遊びに行っていたんです。伯母のことと、好奇心旺盛な私の性格もあって、高校進学の時に、大阪っていうところにも行ってみたい。という気持ちがありました。父に相談したら、先ず反対されたんですけど、自分で大阪の高校を調べて、当時の伊丹空港まで行き、伯母に迎えに来てもらって、受験するんです。そうしたら、なんとか合格したんですよね」

 

― 中学生にして、親の反対を押し切り、ひとり飛行機で大阪へ受験に行く!行動派ですね!

風間「ね。親には『合格したので、大阪へ行きます。』ということでね。そうなると、『まあ伯母のところなら、こっちで大勢と暮らすより環境がいいかもしれない』。ということで許可してもらって、高校は大阪に進学したんです。」

 

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― 
大阪での学生生活は、どうでしたか?

風間「それまでバスケットをやっていたので、バスケ部に入るんですが、そこがとんでもない部で(笑)。当時、バスケットでは無名の高校だったんですが、その年、日体大を卒業したコーチが配属になって『全国制覇、狙うぞー!』って言っているのを後から知って『しまった!』と思いましたよね(笑)。でもバスケットが好きだし、やらないよりは。と思って入部したんですけど、結局、高校3年間で2回インターハイ出場してるんですよ」

 

― え!まったく無名の高校が、ですか?それはすごい。

風間「もうね、地獄のようなトレーニング(笑)。高校生の女の子がですよ。自転車のチューブわかります?あれに砂を入れて、手と足に巻かれて、グラウンドを走らされるんです。まるでマンガでしょ?大阪の夏なんて気温30度以上じゃないですか。それで、20周とか走ると、バタバタ人が倒れていく。水かけられて起されてね」

 

― 恐ろしく過酷なトレーニングですね!

風間「春休み、夏休みになると、必ず合宿があって、奈良のお寺で共同生活。そんなわけで、2年間、北海道へ帰れなくて。3年生になると、そろそろ卒業を視野に入れて少し余裕が出てくるんだけど、部活は休みが無くて。そこでね、また私の…(笑)、行動力が発揮されてね。当時、京都に友達がいたんです。あるとき、そこに電話して、『今から私、家出するから。泊まらせて』って」

 

― ついに家出を。

風間「京都の友達のところへ行って『7千円貸してくれる?』って。当時、7千円で、鈍行で、札幌まで帰って来られたんです(笑)。自分でも幾らかお金を持っていたと思うんだけど、電車とフェリーを乗り継いでね。青森から青函連絡船に乗って。着ているのは学生服(笑)。それが、12月31日だったから夜12時になるとどこかの乗客が点けているトランジスタラジオから『紅白歌合戦』とか、『ゆく年くる年』の放送が聞こえてくるの。汽車の中で放送を聞いていて、だんだん、なんだか、ホームシックで。私、何で汽車になんか乗ってるんだろう。って思いながらね」

 

― 高校生の少女が夜行に乗って家出している姿というのは、切ないですね。それも年の瀬に。

風間「グリーン車から自由席へ車掌さんが来てね、『あなた1人なの?』って。私、これから北海道へ帰ります。って。よっぽど可哀相だと思ったのか、『とにかく今、寝台がひとつ空いているから、そこで休みなさい』って言ってくれて。青森までは休ませてもらってね。そこから連絡船。それが寒くてね。夜中に青森に着いて、出港まで3時間くらい待つのかな。その時に、売店が開いてお菓子だとか売っていて。そこでうぐいす豆を買って、ボリボリかじりながら行きました(笑)」

 

― お正月ですよね。実家でも大変に心配されたでしょう?

風間「伯母から両親へ連絡が入っていたので、駅で待っていたらしいんですけど、待てど待てど来ない。そうですよね、鈍行ですから、移動に丸2日かかったんです。結局、札幌に着いたのがお正月2日目の朝かな?母が言うには、『朝、店のシャッター開けたら、煤けて真黒な顔した女の子が立ってたんだ』って(笑)」

 

― いや、無事に帰り着けて本当に良かった!その後、また大阪へ戻るんですか?

風間「そこからね、よし、また頑張ろう!って、バスケットの練習に戻るんです。竹刀で叩かれながらね。当時はね、女の子でも、ひとりが何かしたら、連帯責任で全員ビンタ(笑)。親元を離れてね、大阪でそういう訓練を受けながら、部活の上下関係も教わって、鍛えられました。今でも、何かあったときに、あの時、頑張ったことっていうのが、いつもどこかにありますね」

 

― ありがとうございます。これはみなさんに伺っている質問なのですが、好きな食べ物と苦手な食べ物がおありでしたら、おしえてください。

風間「苦手な食べ物は、ないです。好きなものは、どちらかといえば、和食。お肉よりはお魚。フランス料理よりはイタリアン。ハーブ系のサラダとか、ワイン。ラーメンも田舎風のさっぱりしょうゆタイプが好きです」

 

― 好きな言葉を教えていただけますか?

風間「好きな言葉は、『蔵の財より身の財、身の財より心の財』。ひとは健康でなくちゃいけないし、健康でも心がきれいでなければダメ。最終的には心こそ大切なんですよ。っていうことね」

 

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