Jazz Spot SWING 桑原伸樹さん インタビュー

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アジアをまたにかける駐在員からJazzBar
へ。~音楽好きの憩いの場を目指して

 

― 当時は東京でお仕事なさっていたのですね。では、海外に出られるきっかけというのは何だったのですか?

桑原「26歳の時に日本で台湾女性と出会って結婚したんです。そこでHAMMOND オルガンの(メーカーの)方から、台湾で講師探してるけど奥さんが台湾人ならいいんじゃない? 行かない? って。それを受けたんです」

 

― 海外で教えるということには、抵抗ありませんでしたか?

桑原「台湾はね、奥さんの国だから、知ってるしね。外に出てみたいという気持ちも有りましたから」

 

― 奥様も音楽関係の方だったんですか?

桑原「ええ、まあね(笑)」

 

― 台湾からお嫁さんをもらって、お仕事で台湾に行かれたことで、運命が大きく変わりましたね。台湾にいらっしゃってからは、生徒さんを教えていらっしゃったんですか?

桑原「こちらのピアノの先生にHAMMOND オルガンの講師もやってみませんか? とオススメする仕事です。台湾中の楽器屋さんを回って演奏しましたよ。でもね、売れなくてさ(笑) HAMMONDはオタクの楽器だからねえ(笑)」

 

― 元々はどこの国の楽器なんですか?

桑原「アメリカです。ローレンスハモンドという人が、パイプオルガンの音を電気で出せないか?ということで1930年代に作られた楽器で、教会に多くあったんです。元はシアターオルガンって言ってね。無声映画のスクリーンの横に置かれて、映画にあわせて演奏された。アメリカだと大リーグの球場で演奏されています。僕も学生の頃は、後楽園で弾いてましたよ」

 

― そうでしたか! やっぱり桑原さんは名手でいらっしゃったんですね。しかし、当時の台湾では、HAMMOND オルガンの知名度はイマイチでしたか。

桑原「うーん。それで、色々あったんだけどね、30歳で辞めて、サラリーマンになったの」

 

― 心機一転ですね! 帰国して就職なさったんですか?

桑原「そう。その当時、中国語が出来る人間が少なかったから、うまいこと台湾の駐在員にしてもらってね、またこちらに戻ってきたの。それで、今度は駐在員生活をはじめたんだけれども、色々転勤があって、マレーシア、シンガポール、上海、香港と、10年くらい各地へ飛ばされて仕事をしていました」

 

― どんなお仕事だったんですか?

桑原「何箇所か転職もしたんですけど、あるときは大手飲料メーカーの飲食部門に居ました。その時に、飲食の世界もおもしろいな。と思ったんです」

 

― それが、後に『Swing』開店のきっかけにもなるわけですね

桑原「うん。それに家族を台湾に残して行っていたから。僕はどこの国に行っても、カラオケが苦手で、ゴルフもやらないから、こういう店を探すんですよ。飲みに行けて、楽器があって、音楽で遊ばせてくれるところ。それが、有りそうで、どこにもないの。じゃあ、自分で作っちゃおう。と思って(笑)」

 

― どこにもないから作っちゃおう! と、開業なさったんですね。

桑原「そう。最後の派遣先が香港だったかな。そこから台湾に戻ってきて、駐在員の人たちが気軽に遊びに来られるお店を作ろう。と思って始めました。それが11年前。49歳の時。最初はこの場所じゃなかったんですよ」

 

― 以前は別の店舗だったんですよね。もっと小さなお店だったとか?

桑原「そう。最初はアップライトピアノ一台置いて、僕がポロポロ弾いていたのが、面白いものでね。お客さんが『僕、ベースやるんですけど、楽器、お店に持ってきてもいいですか?』、『僕、ドラムやるんですけど…』って段々、楽器が集まってきてね。密かに、しめしめ。なんて思っていたんだけど(笑)、さすがにご近所からうるさいって言われちゃってね。この地下の物件が見つかったので、移ってきました。ここに来て6年目かな」

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― このお店の周辺は日本風のお店が目立ちますね。駐在員の方がよく利用される地域なのですか?

桑原「この辺りは居酒屋、飲み屋さんが多くてね。戦前は大正町っていう名前だったそうです」

 

― 夜遅くなっても、この辺りは特別にぎやかですね。

桑原「それでも以前に比べたら、随分と日本のお客さんが減りました」

 

― そうなんですか。日本の企業が低迷して海外に出られなくなったということなんでしょうか

桑原「4~5年前かな。日本の企業が台湾から中国大陸の方へシフトしたでしょう。今から中国へ行こうという日本企業は多くないでしょうけど。もうひとつには、駐在員の数を減らして現地化を図っているからでしょうね」

 

― 時代と共に変化しているんですね

桑原「僕は35年前のこの街を知っているから、寂しいですよ。以前は夕方6時にもなると日本人であふれてね」

 

― 今、台北の街はインドネシア系の方が随分多くなりましたね。観光客は中国と韓国からが多いようですし。でも、依然として日本からの駐在員にとっては、このお店がオアシスになっていると思います。マスターに会いたくてお店にいらっしゃる方も多いでしょうね。

桑原「それはね、僕自身が以前は駐在員で、楽器で遊びたい! と思っていたから。こっちに来たらカラオケとゴルフしかなくてね、みんな飽きちゃうのよ(笑)。だから、昔、ブラバンやってました、とかロックバンドやってました、っていう方が遊びに来てくれてね。また楽器やってみるよ! って言ってくれて。この店が、そういう方の発表の場になってくれたら、それが幸せですね。そういう遣り甲斐が無きゃ、続けて行けないよ(笑)」

 

― さっきも、各地のジャズバー、ジャズ喫茶を回っていらっしゃるというお客さまがいらっしゃいましたね。そういう方がここに来て、現地で生活する他のお客さまと交流できたり、日本人同士で知らない地域の方と出会える。そこに音楽がある。とっても素敵だと思います。

桑原「そうやって、続けていけたらいいな。と思ってるんですよ(笑)」

 

 

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