サックス奏者 山田拓児さん インタビュー

サックス奏者 山田拓児さん インタビュー
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 エレクトーンからドラム、そして、サックスとの出会い

 

― 初めまして。今日はよろしくお願いいたします。お持ちの愛器。どちらのメーカーのサックスですか?

山田拓児さん(以下、山田)「ヤナギサワというメーカーの物で、日本のメーカーです」

 

― そうなんですか。楽器のお話、後程ゆっくり聞かせてください。それでは、プロフィールからお伺いいたします。

山田「はい。1980年2月11日生まれ、B型です」

 

― 好きな食べ物、苦手な食べ物がありましたら、教えてください

山田「苦手なものはトマトですね」

 

― 煮ても焼いても苦手ですか?

山田「そうすると大丈夫。生食したときのグジュッとした感じと青臭さがちょっと苦手で」

 

― 特別に好きな食べ物はありますか?

山田「肉、魚、全般的に好きです。その時々の旬のものがいいですね。ここ何年か毎年秋冬にかけて北陸に行くんですけど、その時はノドグロとかブリが旬です。肉はどちらかというと赤身のガッチリしたところが好きです。とろけない肉が好き(笑)。納豆とか、植物性も動物性もタンパク質が好きなので、炭水化物より良く食べています」

 

― 甘いものは召し上がりませんか?

山田「食べます(笑)。ただ、白飯はなくても大丈夫。代わりに豆とかをよく食べますね」

 

― 豆ですか?

山田「ひよこ豆とか、自分で水でもどしてサラダにしたり、カレーにしたり」

 

― ご自身でお料理なさるんですか?

山田「します。ミュージシャンはよく料理しますよね。みんなお金がないから自炊する(笑)」

 

― 好きな言葉や、よく使う言葉はありますか?

山田「あまり座右の銘的なことは口にしませんが、強いて言えば『行雲流水』かな…」

 

― 流れに任せていく

山田「そうですね。あまり固執しない。流れるままに身を任せる」

 

― ご出身は札幌でいらっしゃいますね?どのあたりでお過ごしだったのですか?

山田「4歳まで札幌に居て、幼稚園から小学校5年生に上がるまでの6年間は横浜で過ごしました」

  

― では、この横浜が拓児さんの第2の故郷でもあるのですね。その後、札幌へ戻られて。

山田「はい。小学校から高校を卒業するまでの8年間は札幌で過ごしました」

  

― 音楽は何時頃始められたのですか?

山田「遡ると、本当に小さいころからです。上に兄がいるんですけど、エレクトーンを習っていました。僕が4歳になるときに『やってみる?』と聞かれて『うん。やる!』って言ったのを今でもよく覚えています」

 

― では、最初は鍵盤から音楽の世界に入られたんですね

山田「はい。横浜のヤマハに通っていました。僕の子供の頃は、男の子はまだまだ外で遊ぶ時代だったんですね。音楽は女の子の習い事、というイメージがありました。そういうこともあって、次第に練習もしなくなり、札幌への引っ越しを機に鍵盤を辞めて、ドラムを始めました」

 

― スクールバンドでしょうか?

山田「札幌のヤマハで習い始めました。今、活躍してるドラマーの竹村一哲くんは同じ先生に習っていましたから、実はおとうと弟子なんですよ(笑)。僕のおとうと弟子には素晴らしいミュージシャンがいっぱいいるんです。サックスの寺久保エレナちゃんとか、最近、洗足大学に入った松原慎之助 とか。彼はすごいですよ」

 

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― 鍵盤からドラムへ、そしてサックスとの出会いは?

山田「中学校の吹奏楽部でサックスを始めました。中学校1年生の時です。12歳だからそろそろ25年ですね」

 

― そのお若さで既に四半世紀、サックスを演奏していらっしゃるんですね!サックスを最初に吹いた日の事をおぼえていらしゃいますか?

山田「音は出たんです。ただ、良い音が出ないな。と思ったのはよく覚えています」

 

― サックスという楽器は、それまで習っていた鍵盤とも打楽器とも違いますよね。これだけ長い間演奏していらっしゃということは、どこか性に合うといったところがあったのでしょうか?

山田「そうですね…。高校卒業まではドラムもやっていましたし、鍵盤も習うのは辞めましたが、遊びで弾いたりもしていたので、いろいろやってみて、結局、一番最後に残ったのがサックスだった。という感じです」

 

― 高校卒業後はどういった進路を進まれたのですか?

山田「川崎の洗足学園音楽大学へ進学しました。洗足学園にJazz科が出来て3年目の年です。当時Jazz科は2年過程の短大でした。4期生までが2年制でその後は5期生からは4年制大学として認可されているそうです。そこへ2年通って、その後、留学しました」

 

― 海外留学はご自身で希望されていたことですか?

山田「そうです。高校時代から希望していました」

 

― 高校の吹奏楽とJazz というのは、ちょっと関係が遠い気もするのですが。

山田「僕が通っていた開成高校は、わりと自由な学校で、自主性を重んじる校風があったんです。吹奏楽部も硬い雰囲気はなくて、とても自由でした。顧問の先生もJazzが好きな先生で、先生からJazzのCDを借りて聞いたりしていたんですよ」

 

― 学生時代、最初に聴いたJazz が何だったか、覚えていらっしゃいますか?

山田「うーん。僕は父親からレコードで聞かせてもらったJazzが最初なんです。かなり小さい時です。多分、コルトレーン。か、マイルスデイビスのどちらかだったと思います」

 

― お父様がJazzをお好きだったんですね。

山田「そうですね。小さいころに聞かせてもらって、引っ越しを機にレコードはどこかに仕舞われて。僕が高校生になった時にまた出してきたんじゃないかな」

 

― 高校生の頃からJazz を意識して聞かれるようになったんですね

山田「そうですね。普段から音楽が鳴っている環境ではありました。そうそう、父の運転する車の中でかかっていたのもJazzでした」

 
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