徳光珈琲 德光康宏 代表

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 『いいものを求めている人』を求めて ~オープンから大通出店まで

 

― 2005年11月に石狩本店をオープンなさった当初はどんな様子でしたか?

徳光「知り合いは来ますけど、基本、どんどんお客さんが入るということはなかったですね。街中の路面店とは違いますから。ただ、どこにお店を作るにしても、しつらえは大事です。内装は全部、分離発注して素材も自分で調達しながら、しっかりと作りました」

 

― オープン前に、何か特別な準備をなさいましたか?

徳光「オープン前の8月、9月に小樽忍路にあるパン屋さん『Aigues Vives(エグヴィヴ)』の庭先で、週末だけ屋台を出しました。たまたま、自分が2件目にアルバイトしたお店の1階で、このパン屋さんのオーナーが働いていたんです。彼のほうが僕より先に動き出していて、このお店の噂は色々聞いてました。このパン屋さん、朝からお客さんが並ぶお店なんですよ。いいものを求めている人がこのお店に集まってきている。彼は、普段そういう申し入れを全く受け付けないんですけど、『徳光くんならいいよ』って言ってくれて」

 

― パン屋さんの軒先で珈琲の屋台出店。戦略的ですね!

徳光「この場所では、試飲と珈琲豆の販売をさせてもらいました。この頃は電動のロースター(焙煎機)を買って、自宅で焙煎した豆を販売していたんですけれど、結果、石狩のお店がオープンしてからは、ここで知り合ったお客さんが最初に来てくれました。今でもお店に来てくれる方もいます」

 

― しっかりとお客様を掴んでいらっしゃった。

徳光「このときに、『良いものを求めている人に、いかに早くささるか?』というのが大事なんだな。ということを如実に感じました。オープンしてからは選択的に案内を出すようにしました。ワインスクールに通ったのも、もちろん、自分の勉強のためでもあるのですが、上質のものを求めている人達に出会えるということがあって。円山に出店したのも、そこで知り合った方がきっかけでした」

 

― お店をオープンなさってから、経営者としての才能も開花なさったんですね。

徳光「円山店オープンまでの3~4年、その間、ずっと珈琲教室を続けていました。ホームページを早めに作って、そこで告知をしました。珈琲教室に参加してくださった方に話を聞くと、皆さん、石狩の方じゃないんです。だいたい、皆さん札幌、円山、宮の森。札幌でアンテナを張っている方が来てくださる。残念ながら、地元の人は求めていないことが分かりました」

 

― 逆に言うと、良いものを求めている方がはるばる石狩を訪ねてくださるようになった。地元に需要がなければ、自分からお客様を探して動く。

徳光「そう。こういう住宅街にお店が出来ると、周囲の人は先ず、様子を見ます。だから、外側からお客さんを呼んで、結果的に『ここのお店ってやっぱり美味しいんだ』と思ってもらわないといけません。そうなってからはじめて、近所のひとが歩いて買いに来てくれたり、おみやげに使ってくれたりするようになりました」

 

― 円山店をオープンなさって、札幌BISSEに出店されたのがその翌年ですね。

徳光「これはね。かなり無茶でしたね(笑)」

 

― 満を持しての出店ではなかったのですか?

徳光「円山店を出したときにお店を法人化したんですが、法人化1年で大通り出店。普通は融資を受けようと思っても通らない話です。ただ、石狩本店のほうが開店1年目からずっと利益を出しているので、そこを評価されて、融資のお話が通りました。じゃあ、やりましょうか。と(笑)。なかなか、ああいう場所でお店は出来ないので、チャレンジだな。と思って動き出しました」

 

― 実際に開けてみて、いかがでしたか?

徳光「実際には、大通りに出店して利益を上げるのは大変なんです。ですが、大通り店が動き出してから、豆の卸先が増えました。やっぱり説得力があるのかな。と思います。また、札幌の各店で珈琲教室をやり始めているので、そこに参加してくれた人達が卸し先になってくれたりしています。宣伝効果はかなりあると思います。契約期間があと2年残っていますので、その後は、どうしようかなと。やり続けていくことも大切ですけれど、状況をよく見定めて、判断したいと思います」

 

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