1日300投球の過酷な練習生活 ~ 投げ続けたエース
― 尋常じゃない怖さ! ですか。1年生はどんな仕事をするんですか?
佐藤「先輩のグローブを磨いたり、タオルを持っていったり。ただ、僕が3年生の時にそういうことは止めにしました。自分の道具は自分で磨け。という風にしたんです」
― 現実的で後輩思いの先輩ですね。
佐藤「挨拶とか、そういうことは必要ですけど、自分たちが先輩にさせられてきた異常なことは、もう止めよう。ということになりました。そんなことをしてもチームが強くなるわけじゃありませんから。そんな時間があったら、練習したほうがいい」
― 習慣に固執する集団はたくさんありますが、佐藤社長の世代から自主的に変わったんですか?
佐藤「大人な同級生がいっぱい居たんです(笑)。だから、僕達の世代は後輩とも仲がいいんですよ」
― 長く野球生活を続けていらっしゃって、身体の故障はありませんでしたか?
佐藤「投げ過ぎで肘の骨が砕けて、23歳の時に手術をしました」
― 投げ過ぎで骨が砕ける!
佐藤「昔は投球制限なんかなかったので、ピッチャーは異常な数を投げてたんです」
― 1日に何球くらい投げるんですか?
佐藤「300球くらい投げてました」
― 1日300球! それも、毎日ですよね?
佐藤「そういう生活が3年間続いて、高校3年のころは手一杯でした。イタリアン(シェフ)の松田がキャッチャーで、僕がピッチャーで」
― お2人は、バッテリーだったんですか!
佐藤「そうです。僕のコントロールが悪いから、よく彼にいじめられました。『なんだ、この球。自分でとりに来い』って(笑)。僕達はずっと同じクラスで、監督も自分の担任だったから、『お前たちはふたりでひとりだ』とよく言われていました。長いんですよ。松田とは」
― 高校3年生、最後の大会はどうだったんですか?
佐藤「それがですね、ボロ負けでした。でも、すっきりしました。終わったんだな。って。やりきった。自分は充分やった。という思いがありました。3年生の時はずっと痛くて握力が無くて、箸が持てない。箸を使ってごはんが食べられない生活をしていたので、これでようやく終わったんだ。という思いでした」
― そんな状態にあっても投げていらっしゃったんですね
佐藤「一時、弱くなっていたチームが、僕の上の世代から全道大会に出始めたんです。そうすると『復活!』と言われて、周囲からの期待もありました。エースでずっと投げてきたので、投げなきゃならない。」
― 生活できないくらいの痛みを抱えながら、それでも投げ続けていらっしゃった。
佐藤「好きなんでしょうね。同級生も後輩も良くて。本当に良いチームでした。それでも、高校野球の大会が終わったときには、野球から離れよう。と本気で考えました。物心ついたときからずっと野球、野球で来ましたから。その後、野球で会社に入ることができたので、就職が決まった時は、やっぱり野球をやってて良かったなあ。と思いましたけど(笑)」
㈱SEIKI 佐藤貴彦 社長インタビュー 【1】 【2】 【3】 【4】