丸吉日新堂印刷株式会社 代表取締役 阿部 晋也 インタビュー

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 時代の変化への対応から、世界の力を繋ぐ仕事へ。

 

― お父様の印刷会社を引き継いで代表を変わられたところまでお話を伺いました。代替わりされてから印刷業界のお仕事に変化はありましたか?

阿部「はい、以前とはまるっきり変わりましたね。当時は業務の9割が伝票の印刷でした。納品書、請求書、領収書、全部が手書きだったので、その台紙がなくなったら注文が来る。それを配達するというのが主な仕事でした。windows95が出て、パソコンがオフィスに普及してきた時、『あ、自分たちの仕事、無くなるな』と思ったんです。その頃は版下屋さんとか、製版屋さんという仕事がありました。そこへ行って、『自分たちの商売も変化していかないと、マズイですよ』って話してみたら、みんな『俺たちの目の黒いうちは大丈夫だ』って言うんです。僕はそこからパソコンを少しずつ勉強し始めましたけど、3年、5年と経つうちに版下屋さんと伝票印刷の仕事はどんどん減っていきました。この15年は印刷業界が激変した時代だったと思います」

  

― 日新堂さんは、そこから徐々に名刺のお仕事へ重心を移していかれるのですか?

阿部「当初うちの会社では、名刺印刷をおじいちゃんとおばあちゃんが2人でやっている下請けの会社にお願いしていていました。当時から名刺印刷というのは『早くしろ、安くしろ』と言われる仕事で、可哀相だなと思っていたんです。何とかしなくちゃと思っていたところ、そこの会社がもう会社を辞めるというので、ちょうどいい機会だから人の嫌がる仕事をやってみよう。と思い、当社で名刺の機械を買い入れました。そんな時に僕が肺に穴の開く病気になりまして。当時は僕1人で仕事していましたから、1人だと入院も出来ない。これじゃあ仕事を続けられない。と思って人を雇い、手術をし、事務所も福住の方へ移し、名刺印刷をする準備を整えました」

 

― それは何年くらい前のお話ですか?

阿部「15~16年前の話ですね」

 

― 当時は印刷業界に大きな変化が起こり、仕事も減り、会社の状況は苦しかったのではありませんか? そこで新しい事務所を構え、人を雇用して新しい事業を始められるというのは、勇気ある決断ですね

阿部「そう、会社の状況としては苦しかったですね。でもそうするしか方法が思いつかなかったんです。当時は1人で仕事をしていたので、経費は掛かりませんから、ある程度、お金も時間も自由で楽だったんです。ただ、このままだと、もし自分になにかあれば、お仕事をいただいているお客様を守れない。と、その時に気が付きました。僕が仕事を辞めてしまえば、お客様にも迷惑がかかるから、たとえ赤字になったとしても、継続させる道を進もうと思ったんです。」

 

― その道を名刺印刷に求められたのは何かきっかけがあったのですか?

阿部「色々と調べていくなかで、ある記事を読んだんです。いち早く名刺印刷に特化した印刷会社が他にもあって、その会社は犠牲を払っても変化を怖れず、名刺に特化することで大きく成功していました。それを読んで、やっぱり間違いない。名刺はなくならない。そう思って決心しました。でも名刺は儲からないんです。(受注が)ある程度の数を越さないと儲からない。それを越すまでは土日も夜中もずっと仕事をしていた頃に、たまたまお得意先のキリンビバレッジさんから依頼をいただきました」

 

― エコ名刺制作への入口ですね

阿部「キリンビバレッジさんから、自社で販売して回収したペットボトルがあるんだけれど、それをリサイクルした名刺が作れないか? という依頼でした。そういう製品はそれまで存在しなかったので、難しい依頼でした。でもお断りするのは嫌だな。と思って、インターネットで調べたら、卵の殻でシートを作っている会社が滋賀県にあったんです。試しにそこへ電話してみました。その時、電話に出てくれたのが工場長さんで、『面白いね。ちょっと試作品をつくってみようか』と言ってもらえて。試作品を何度も作ってくださいました。そうしたら、今度はそのシートに印刷できる機械も探さなくてはならない。それが、たまたま見つかったんです。これでいけるかも! と試作品をキリンさんへお持ちしたら、採用! となりました。それからは、全国のキリンさんからお仕事を頂けるようになりました」

 

― 難しい依頼を諦めずに、調べて、行動することで、独自の商品開発につながっていったんですね。

阿部「その頃、多くの会社が環境に配慮するという名目でISO14000を取ったり、『うちの会社はこんなに環境に配慮していますよ』とさかんにPRをするようになりました。でも実際は、そこにいる社員の中で環境問題について真面目に考えている人は多くなかったんです。僕はサーフィンをやっていて自然が大好きで、環境の変化を肌で体験してしていましたから、ペットボトルを再利用した名刺を使うことで、環境問題に対してちょっとでも意識が向いてくれたらいいな。と思いました。キリンさんからは『この名刺を使って名刺交換をするたびに会話が弾むようになった』と。お客様に対して自分の勤める会社が環境に配慮しているというお話をしていくうち、社員に愛社精神が沸き、商品の売上も伸びているというお話を聞いて、これはすごいな! と思いました。名刺ひとつでお客様の意識が変わって、その方の生き方が豊かになる。ということがあるんです」

 

― 使う人に実感を与える名刺というのは、素晴らしい効果があるのですね!

阿部「そこで、キリンさんに一般のお客さんにもこのリサイクル名刺を販売させてほしいと相談したらOKがでました。販売するにあたって、ある広告代理店の社長に相談をしたら、『名刺1枚につき1円が何かに貢献できる仕組みをつくったらどう?』という提案をもらい、そこから『名刺でエコ活動』というキャンペーンを始めたんです。名刺1枚につき1円を北海道の野生動物基金に募金できる仕組みをつくりました。またそれがペットボトル再生名刺を広めるきっかけにもなりました」

 

― 『名刺プラス良いこと』の輪が広がって、需要を生み、仕事を生み、利益を生む。そしてそれを環境保護にも還元できる。いいことの連鎖ですね。ペットボトルのリサイクル名刺がエコ名刺のスタートだったんですか。

阿部「そうなんです。でもその後、世界的に原油価格が高騰し、その影響を受けてプラスチック原料費が高騰した時期がありました。そこで、再生用に回収した日本国内のペットボトルが全部中国に買われて、日本国内の流通が途絶えてしまうという状況になったんです。日本のペットボトル回収業者は材料が無いということで、どんどん廃業していきました。材料がなくなると、うちのお客さんも困りますよね。そこで社員が動いて、ペットボトルに変わる再生原料を見つけてきました」

 

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日新堂印刷では北海道産の小麦わらやオホーツクのホタテなど、様々なエコ名刺を展開している。

 

― 日新堂印刷さんでは、バナナ名刺をはじめとして様々なバリエーションを展開していらっしゃいますね

阿部「はい。あるとき、環境に関する講演会で、バナナの茎が紙になる。ということを聞きました。バナナは1年草なので、毎年大量の茎が廃棄されるんです。この茎を紙にすることで、これまで実を取るだけだった仕事から、もう1つの雇用が生まれる。さらに、木を育てるのには40~50年もかかりますが、バナナは毎年生えます。地球上の木を一本も切らなくてもいいくらい、世界中でバナナの茎や葉が栽培、廃棄されているそうです。これはスゴイな。と思いました。すぐにその講師の控室に行って『それは、どこで実践されているのか教えてください』と伺ったところ、バングラデシュにありました。最初はそこの紙を買ったのですが、そこには新しい雇用を生むというストーリーが無かったんです。その時、会社でご注文いただいていたお客さまの中に外国人のお客さまがいらっしゃって、何気なく肩書きを見ると、『環境コンサルタント ペオ・エクベリ』と書いてある。日本で環境に関する本も出版されている方のようで、なんとなく直感で、この人に連絡してみよう。と思ってメールを送ってみました」

 

― 直感ですか!

阿部「そうすると日本語でお返事が来て、是非お会いしましょう。ということで東京でお会いしました。ペオさんはスウェーデンの方ですが日本語がお上手で安心しました(笑)。早速、バナナの茎で紙を作る話をしたら、『素晴らしい。それは本当にできるのか!』と。環境問題において、紙というのは森林伐採に結びつく深刻な問題なんですね。その方はザンビアにいい村がある。と言うんです。自分達のNPOでその村に学校を建てたけれど、仕事がない。ここでバナナから紙を作る仕事ができないだろうか?と聞かれたので、『出来ます。やりましょう!』って言っちゃったんですよ(笑)」

 

― あ、言っちゃったんですか!

阿部「はい。言っちゃった。どうしよう。と思いながら(笑) でも、製紙工場を探したら、全部断られてしまって。諦める寸前になって越前和紙の工場が連絡をくれました。和紙の技術でなんとかできるかもしれない。と。そこで試作品をたくさん作ってくれて、ついに印刷できる紙になって。バナナ名刺が誕生しました」

 

― 紙への最終加工は日本で、その原材料はザンビアの村から日本へ輸入される。というシステムですね!

阿部「はい。伐採したバナナの茎から繊維をとる仕事を ワン・プラネットカフェ(以下OPC)のペオ・エクベリさんが指導し現地の方々を雇用してやってもらっています。今、30人以上いるのかな。ザンビアのエンフエ村近くにはこれまで製紙工場がなくて、紙を輸入に頼っていたそうなんです。そこでザンビアの政府関係者の協力で『この土地を好きに使っていいから、製紙工場を作ってくれ』というお話をいただきました。そう言われてもお金が無いので、OPCがクラウドファウンディングで協力者を募って。去年ようやく、現地に工場ができました」

 

― 出会いと、それを繋げて一本の道を作った阿部社長の行動力の成果ですね。『やりましょう!』と言った以上、何とかして実現させるために最大の努力をする。その結果、新しい商品と、仕事と、雇用を生み出した。素晴らしいですね!

阿部「各業種のプロフェッショナルが一緒に動いてくれた結果です。僕の力は大したことはないんです。最初はうち1社で名刺のために紙を作りはじめたんですけれど、その影響力というのはすごく小さいですよね。目的は『環境を守って雇用を生み出す』ということなので、その想いに共感する会社が集まってやりましょう。ということで『バナナペーパー協議会』というのを作りました。正規のマークを付けて、みんなでどんどん売りましょう。と、年に4回くらい集まってイベントを開いたり、活動しています」

 

― 夢のような事業が現実になり、人を豊かにする仕事になる。本当に素敵なお仕事をしていらっしゃいます。

 

【関連リンク】バナナ名刺協議会:http://oneplanetcafe.com/paper/committee/

 

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