株式会社 ジャパン・マルシェ 代表取締役 今野 広美 インタビュー

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キーワードは『誰かに必要とされること』。 ~OL
から社長までの道のり


― お仕事のことを聞かせてください。今野社長は就職当初から台湾に携わるお仕事をしていらっしゃたのですか?

今野「最初は畑違いの医療関係でOLをしていました。何百人という社員の中で、歯車のひとつというか、ネジのひとつにもなっていないかもしれない。という感じで、毎日ルーティンの仕事をしていました。自分の性格的なものもあるのかもしれないのですが、ある日、『毎日毎日、同じ仕事を定年退職するまでやっていかなくてはならないのかな?』って気付いた瞬間に、転職しなきゃ。と思ったんですよ」

 

― ご自身でそこに気付かれたんですか。

今野「うーん。向いてなかったって言うかね(笑)。就職して5年目にして気付いてしまったんです。その時が23歳だったんですけど、この先、何をしたいっていうのも特に考えず、辞めます。と。そこで何をしたかというと、有給消化のため、初めての海外旅行へ行きました。一緒に行く予定の友達にキャンセルされて、一人でグアムへ行くことになって」

 

― 初めての海外旅行に一人で行かれたんですか。どんなお気持ちでしたか?

今野「どきどきハラハラで、マニュアルを見ながら入国書類を書いたりしました。でもグアムは案外、日本語が通じるのね。報奨旅行で来ていた日本の美容師さん達と現地で知り合って、一緒にスカッシュしたりして、一人でも結構楽しく過ごせました」

 

― さすが、適応能力が高いですね。戻られてからは、どうなさったんですか?

今野「帰ってきてからね、さて、どうしようかと。ここが人生の分岐点だったと思うのですが、次は、スポーツ用品店のお店で事務員として働き始めました。そこは、ダイビング用品を扱っているお店で、夏になると従業員は、お客さんと一緒に海に出てしまうんです。事務員の私は、お店で留守番をしているわけですよ」

 

― 事務処理とお留守番がお仕事だったんですね。

今野「土日、1人で店番をしていましたら、お客さんがいらっしゃるので、私も説明しますよね。ダイビングはこういうものですよ。って。そうしているうちに、そのお客さんがお帰りになる際には、ダイビングのコースを申し込んで、ウエットスーツやダイビング器材を購入していかれるようになったんです。社長が一人で店番している私を心配して、電話を入れてくれるんですけど、『大丈夫ですよー。今、お客さまがいらっしゃって、コースのお申込みと、器材の購入をしていかれました』って言うと、社長がびっくりして、『もう、あなたは事務の仕事はしなくていいから、店に出て販売をしなさい』って言われて。どうも、その以前から私の事務計算が間違っていたりして、どうやら事務員に向いてないっていう話もあって(笑)」

 

― 確かに、事務に置いておくにはもったいない人材ですものね

今野「お店に出て、お客さまとお話するのも楽しくて。お客さまも喜んでコースの契約や機材の購入をしてくださる。社長には褒められる。なんて楽しい仕事なんだ! って。その時、初めて仕事をする楽しさを知ったんです。それまでは日曜日になると、イヤだな。明日からまた月曜日が始まっちゃうな。と思っていたんですけど、土曜日でも日曜日でも、遠方のお客さまがその日にしか来られない、ということなら、いつでもお店を開けて対応していました。気がついたときには、そこのお店で部長職を任せられて、店長のような形で働いていたんです」

 

― 販売と接客のお仕事で才能を開花なさったんですね。

今野「その時まで気がつかなかった喜びというのが、『誰かに必要とされること』だったんですね。自分の存在感をアピールできる職場。そこで初めて仕事の喜びっていうのを知りましたね。」

 

― そのお店には、何年いらっしゃったんですか?

今野「5年居ました。そこを辞めたときが28歳くらい」

 
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― 部長職についてからお辞めになるのは大変そうですが、何か転職のきっかけがあったのですか?

今野「その次は、自分でサロンをやりたいと思ったんです。ネイルサロンを。そこから経営という仕事を始めるんですけれど。お店で働きながらネイルの学校で勉強を始めたんです。やっぱり、何度も前の会社の社長には引き留められましたけど、私は自分のサロンがやりたくて、やりたくて、もう、そこしか見えてないから(笑)」

 

― 元々、美容関係に興味がおありだったんですか?

今野「母親が美容師をしていました。私はそちらの方へは行かなかったんですけど、今度は『美』に関する仕事がしたい。と思いました。それまでは、ダイビングショップで働いていたので、重たいものを持ったりすると、どうしても爪が痛んでしまうんですね。ある日、ネイルサロンに行って、エクステンションをしたときに、すごく綺麗な指になって。その時に、この先ずっとこんな手で居たいわ。と思ったのがきっかけです(笑)。自分で開業すれば、その仕事に携わっていられるし、デザインとかも好きだったから」

 

― 部長職にありながら、そこをお辞めになって開業なさった。よく決心なさいましたね。

今野「もう自分にはそれしかない!って。それしか見えてないから。自分のお店を開業してからは、ネイルスクールも開業しました。それ以外にもエステとか美容関係のサロンを何店舗か作って経営して」

 

― それは、お幾つの頃ですか?

今野「28歳で独立しました。そこから31歳で結婚して、32歳で出産したんですけど、その時に爪は切ってしまいました。どうしても、赤ちゃんのお尻拭きがうまく出来ないから(笑)。小さい子供服のボタンとかパーツが操れないという理由で、すっぱり諦めて切りました」

 

― お店の方は、どうなさったんですか?

今野「最初は人に任せていたんですけど、やっぱり自分がお店に出られないので、美容関係の仕事は辞めました。そこからは、夫がしていた、観光関係の仕事を手伝うようになりました。

 

― ここから今野社長と台湾との関わりが始まるのですね。


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