ソプラノ歌手 渡邊 優香 スペシャルインタビュー

 

IMGP3734-2


 海外で音楽を学んで見えてきたこと。

 

― では、ここから、音楽について伺います。音楽を始められたきっかけを教えてください。

優香「母が幼児教育をやっていて、ピアノが得意で、小さい子にピアノを教える先生をしていたんです。それで私も物心がついた時、1歳か2歳か、それくらいからピアノを弾いています。歌よりもピアノ歴の方が長いんですよ。祖母はずっと合唱をやっていて、生まれた時から音楽が身近にある生活でした」

 

― そこから歌を始められるんですね。

優香「小学校の頃、退院をした後ですね。江別の市民ミュージカルという企画がありまして、私が応募したのが第1回、設立の年だったと思うんですが、オーディションに参加しました。その時に出会ったのが、去年亡くなった、私の恩師の西井ひろえ先生です。童謡を教えてくださった時のことなんですけど、先生が『この曲、歌える人―?』って言ったので、私、真っ先に手を挙げたんです。歌はやったことなかったのに、先生に見てもらいたくて歌いました。そうしたら、『すごく良かったけど、みんなに拍手をもらった時の、その可愛い笑顔で歌ったら、もっといい声がでるわよ』って言ってくださったのをよく覚えています。子供ながらに『なんて魅力的な先生なんだろう!』って思って」

 

― 当時優香さんは小学校3年生くらいですね。

優香「10歳頃ですね。それで、先生に、個人的に歌を教えていらっしゃるんですか?と聞いて、私、先生に歌を習いたいです。って言ったのが一番最初のきっかけですね。なんですが、先生はオペラの先生だったんですね。オペラってある程度成長して、声帯が固まっていないと教えられないので、先生の方針としては、まだ教えられない。と言われたんですが、いや、私はやるんです!って言って」

 

― 私はやるんです!って素晴らしい勢いですね!

優香「そうなんです。母にも頼んで、最初は無理やり入れてもらった感じで先生のところに入門しました。先生がお亡くなりになるまで、おそらく9歳は最年少だったと思います」

 

― 不安はなかったですか?

優香「いや、もう!楽しくて!それがきっかけで、ずーっと先生に見ていただいて。先生がいなかったら今の私はないっていうくらい、育てていただきました。始めてから留学までの7~8年間通っていました。帰国の度に教えていただきました」

 

― その後、優香さんはイギリスへ音楽留学なさるわけですが、高校生で海外留学するというのは、音楽の世界ではよくあることなんでしょうか?

優香「どうなんでしょう。色んな意味で特殊なケースだったのかもしれません」

 

yuukasan2― 留学への経緯をお聞かせいただけますか?

優香「その頃、弟の進学の都合で、江別から札幌の真駒内へ引越ししたんです。私は1年だけ藻岩高校に通っているんですが、生活環境が変わってそれまでの自分との生活リズムとのギャップを感じました。それまでは、勉強とやりたいことの両立ができる環境だったんです。藻岩高校に通い始めてから、音楽の時間が充分に取れなくなったというのが、不安でした。自分はその道でやっていきたいと思っていたので」

 

― その頃から、音楽の道で生きていこうと思っていらっしゃったんですね。

優香「はい。音楽を始めた時から、そう思っていました。当時はミュージカルをやりたいと思っていましたし、バレエも習っていたので、踊りの時間も自主練習の時間も取れないまま、宿題をやって夜中になって、朝になったら学校へ行くという生活になってしまって。それまでも勉強は割と好きな方で、勉強している方でしたが、高校に進学したらその両立が難しくなりました。それを両方できる環境に行きたい!と思ったら、海外しかなかったんです。留学というのは後からついてきた感じです」

 

― 高校生で留学するというのは大変なことがたくさんありましたでしょう。ご家族は心配しませんでしたか?

優香「母は積極的に応援してくれました。当時は弟のヘルパー体制が確立していなくて、母と私で24時間、介護を回す日も多々ありましたから、私の生活ベースにも弟の介護があったんです。母は、『このまま行くと優香の人生を介護で終わらせてしまう』と、思ったのかもしれません。やりたいことがあるのであれば、ここから離してもやらせた方がいい。って応援してくれました。ただ、その頃は家庭内の事情もあって、留学は決まったけど、経済的に無理をかけられないし、弟の介護もどうしようかって、色々悩みました。そういう状況を留学先の学校側も把握してくれていたのか、当時の私の歌に対して奨学金を出してくれたんです。他にも皆さんに助けられて、留学が実現しました」

 

― 当初、あちらに行かれた時はどういうお気持ちでしたか?

優香「うーん。複雑でしたね。あの時だったから行けたのかもしれない。って。怖いもの知らずだったし、日本に置いてきた状況もわかっているし、目の前にある訳の分からない状況とも戦わなくちゃならないし、それを絶対にやりきってやる!って思えるバイタリティーは、若かったなあ。と思います(笑)」

 

― それだけ、音楽をやりたい気持ちがあった、ということですね。

優香「そうですね。あちらでは午前中は学科の授業で、午後からは夜7時までミュージカルの勉強ができる学校でした。とにかく休息の時間はなかったんですが、その1年目は言語を学ぶというよりは、ひたすら単語を記憶して、実践する毎日でした。環境は厳しかったですけど、それがあったから、英語の仕事ができるとか、音楽が身になってるって今になって思います」

 

― あちらで音楽を勉強される中で、日本と大きく違う点はなんでしたか?

優香「ヨーロッパって陸続きで、様々な言語が入り混じりますよね。オペラでは英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語が主流ですが、その発音の事細かなところまで、言語を大切にして歌を教えてくれるんです。今歌ったところ訳せる?って聞かれちゃうんですね。言葉を重視した教え方だなって思いました。そんな中で、日本の良いところも見えてくるんです。日本人はやっぱり勤勉で、本当にたくさん練習をするし、技術も繊細だし、そういうところに国民性が現れるんだな。って、あちらの大学に通って、多国籍の人たちと一緒にいると日本について考えさせられることがありました」

 

― 高校2年から留学されて、あちらで大学を卒業されて。何年イギリスにいらっしゃったんですか?

優香「合計で7年ですね」

IMGP3756-4― 7年ぶりに帰国された時に、ギャップに驚きませんでしたか?

優香「ありました!独特なことって日本にはいっぱいありますね。変わってるなあ!って思うことも色々あったんですが、元々日本人なので、慣れてきちゃって忘れちゃいました。うーん。日本では、街の中での知らない人同士のコミュニケーションが少ないなって思います。それは、礼儀だとか、相手を敬うために距離を置くということなのかと思うんですけど。あちらでは、カフェに行って隣の席の知らない人とおしゃべりしちゃうことがよくあって、その癖は日本に帰ってきてからもしばらく抜けなかったですね(笑)。知らない人に、あっ、ココいいよ!って相席をすすめたりして。今考えたらすごい変な人ですね(笑)」

 

― へえ!相手が日本人でも、話しかければ応えてくれますか?

優香「はい!みんな優しいですよね(笑)」

 
  ソプラノ歌手 渡邊 優香 インタビュー  【】【】【】【