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湯飲みを作ってインドに旅へ?~ご自身の釜を持つまで


― 札幌に戻られてからは、すぐご自身の作品作りを始められるんですか?

清水「それが、自分の窯も持ってないのに、たまたま、出版社の記念品で湯飲みを300個作ってほしいっていう話が来たんです。でもアナタじゃ出来ないよね?って言われて『やるやるやる!』って即答しました。技術も無いし、窯も無いし、仕事も無いわけでしょ。だけど、とにかく受ける受ける!って。その時に、後に結婚することになる旦那さんが、札幌の窯元に弟子入りしていて、そこで窯を使わせてもらえることになって」

 

― 作りましたか。湯のみ300個。

清水「バブルの時代でね。今でも覚えてる。1個2000円。技術も何も無いのにひどいよね。自分でも薄々感づいてるんだけど、それでもとにかく、釉薬(うわぐすり)も自分で調合して作って。作業場も道具もにわかにそろえて、仕事しました。最後はちゃんと箱に詰めて納品して、60万もらったわけ。そしたらね、なに?この、すっごい罪悪感」

 

― 罪悪感!?

清水「そのお金を持って、インドを目指して旅に出ました」

 

― 飛躍しますね!

清水「いい話でしょ。このお金がなくなるまで旅をしようと思って。後の旦那さんと一緒に、タイから入って、マレーシアを回って、ジャワ島、バリ、インドネシア、インドを目指して、クアラルンプールに着いたときに、私が高熱を出しちゃったのね。ひとまずインド行きは止めて、ゆっくりとインドネシアの小さい島をひとつひとつ回ったら、すごく面白くて。そのまま半年くらい旅行して、やっと戻りました」

 

― 素敵ですね。戻ってきてから、すぐに作品作りをはじめられるんですか?

清水「先ずは彼と2人でアルバイトをして、お金を貯めて。工房にできる家を探して。という風に準備を進めて、当別に移ってきます」

 

― それが、こちらのお住まいですか?

清水「最初に使っていたのは、前の建物。今は新しく建て直したけど、ここは元々、農家さんの空き家で、もう壊す家だからって安く貸してもらって。そのかわり、自分達で全部やってね。っていうことになったので、友達の大工さんと一緒に直しました。こちらの母屋を工房と自宅にして、隣にある農家さんの休憩小屋を借りて、そこに窯を置いたんです」

 
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― 自分の窯が出来た時、しおりさんはお幾つですか?

清水「その時、27歳くらいかな。工房はできたけど、仕事は無い。なのに、すごく自信があってね。自分達が本気で作ったら凄いよ? って思ってました。最初から売れないのは当たり前だよね。始めたばっかりだし。って。だからアルバイトもしない。してはいけない! と思って。どうにかして、作品を作って売るんだ! って思ってました」

 

― その時、不安になることはなかったですか?

清水「不安は全然なくてね。仕事は無いけど、日々、変化はあるから。作品らしいものが作れるようになった。とか、近所の人が興味持って見に来た。とか。1個買ってくれた。とか、そういうことが嬉しくてね。そのうち、友人の紹介で新聞から取材が来たんだよ。それで、そのために、にわかに『展示室』を作ってね。いつもこちらに作品展示してます。なんて言って、撮影してもらって。それで、その記事が掲載されてから、すっごい人が来たの!」

 

― そんなに反響があったんですか!

清水「もうね、戸惑うくらい人が来ちゃって。工房って言っても自宅だから、知らない人が勝手に階段上っていっちゃったり、収集つかなくなって大変なくらい。その時に、いろんな人が来て、いっぱい買ってくれたの。そしたら、売れるって嬉しくない!? っていう話しになって(笑)。自分達も忙しそうに、商品包んだりしてね。初めての経験。あれは、…本当に幸せを感じたよね。その、お客さんの中にお店をやっている方が居て、うちに置きませんか?って言ってもらえて、初めて仕事らしいことになって。嬉しくてさ。そこから、そのお店で個展をやったりして、そこからまた、別の人が見に来てくれて。地道に広がっていって」

 

― そのままの勢いで、どんどん商品が売れ続けていったんですか?

清水「そういう賑わいは、ホントに何日かの事で、その後はすーっとお客さんは引いていくんだけど、そこから先は、自分達の力で続けていくことが大事だから。お客さんが引いたところで、ちょっと落ち着いて、これから自分達の仕事をちゃんとやっていこうね。って。そこからはじわじわ地道に」

 

― いいきっかけになりましたね。

清水「ねー。売っていく喜びっていうのもそこでわかったし、人が来るということは、仕事ができなくなることだ。というのもわかったから。自分の家で販売することはせず、売ることはプロに任せよう。と思いました。その辺の切り分けができたのもよかったかな」

 
IMGP3360-2― 今、作品を出していらっしゃるお店は、どれくらいあるんですか?

清水「札幌、小樽、帯広、釧路、函館、東京、大阪、島根。ご縁のあるところへは置かせてもらっています」

 
― ご自身で営業に行かれたことはありますか?

清水「いろんな人に見てもらいたい、っていう気持ちで、いろんなところで展示をやったりはしていたんですけれど、自分で作品をお店に持ち込んだことは無いんです。作り続けて、発信はしていたので、そこで出会った方とのご縁で声をかけてもらって。地道に広がっていった感じですね」

 

― 先程、お伺いいたしました。学生時代は絵画を専攻していらっしゃったんですね。絵画と焼き物。平面と立体という違いにギャップを感じることはありませんでしたか?

清水「絵はね。好きだったんだけど、あんまり上手じゃなかった。卒業制作のときに、なんとなく絵だけじゃ物足りないなあ。と思って、粘土で何か創ったり、針金で作ったりしていました。その時は遊びのような感じで作っていたのが、きっかけといえばそうかな」

 

― じゃあ、元々志向性があるところに、陶芸に出会ったんですね。しおりさんの作品の魅力のひとつでもある、器の絵は、最初から描かれていたんですか?

清水「一番最初は描いてなかったとおもうんだけど、無地のものを見ると、なんか描きたくなっちゃってね。誰も頼んでないんだけどね、なんか描かなきゃいけない!って思っちゃってね(笑)」

 

― 焼き物自体の魅力もありますが、しおりさんの絵のファンの方も多いのじゃないかなと思います。

清水「それがさ、絵も器も好みがあるじゃない?焼き物の土の感じがすごく良いのに、ヘンな絵をかいちゃったことで、台無しにしちゃった。ってこともたくさんあってね(笑)。自分が好きで焼き物を買うときは、絵の付いたやつは買わないの。絵は要らないなって思うのに自分では不思議と描いちゃう」

 

― 生活の道具に絵がある、って素敵です。遊びがありますよね。

清水「ああ、先住民族の民具とか、昔の暮らしの道具とか、私は見るのがすごく好きで、博物館とか行くんだけど、いちいち、ここに白熊がいて、こっちはトカゲがいて。とか、無意味だと思うところにそういう遊び心があって、毎日使うものに動物がいる。使うたびに楽しさがあって、余裕がある。豊かな感じがするじゃない?せっかくなら、使い良いもので、いちいちそこに突っ込みたくなるようなキャラクターが立ってるって面白いな。って思うんです」

 

― 愛情を感じますよね。しおりさんの作品も、まさにそういう存在です。
陶芸家になってよかったと思うことは、なんですか?

清水「これはもうね、全部なんだよね。焼き物に限った話ではないんだけれど、ひとつのことをずーっとやっていくと、それに関わる人との出会いがあったり、そこで自分が成長させてもらえたりしてね。自分が思うことを共感、共有できる人に出会って、さらに考え方の幅を広げていける出会いがたくさんあったこと。お客さんと出会うということも大きくて、普段、まったく接点のない人に出会ったりね。

あと、自分で1人で作品を作ってるときには、できたできた!って喜んでるんだけど、実際、お客さんが来るところに並べてみた時に、がっくり落ち込むんだよね。こんなんじゃまだまだだな。ってイヤんなったりするわけ。でもお客さんが来て、これがオモシロイ!とか言ってもらえると、それが力になるんだよね。こういうのもありなんだな。と思ったり、肯定してもらえることが成長するエネルギーになる。ただやらなきゃいけない仕事をこなすだけじゃなくて、そこに結果として出会える人がある。というのが、よかったことで、それを続けていくことは、意味があるな。と感じてます」

 

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