陶芸家 清水しおりさん インタビュー

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好きな言葉は『なりゆきは自分の味方』。~衝撃の出会いから,押しかけ居候まで


― どうぞ、宜しくおねがいいたします。

清水しおりさん(以下、清水)「はいー。まず、プロフィールからでいいのかな。
1967年9月15日O型、札幌出身です」

 

― 元々は札幌の方なんですね。学生時代も札幌ですか?

清水「仕事で窯を持つことがきっかけになって、当別に越してきました」

 

― お好きな食べ物、苦手な食べものはありますか?

清水「なんでも好きだけど、魚介類は全部好き。最近は卵が好きで、肉類で歯ごたえがあるもの。軟骨とか、砂肝とか、モツ系がすごく好きなんですよね。やわらかいものよりも、肉を手づかみで骨ごとガリガリかじるのが好き」

 

― ワイルドですね!

清水「苦手なもの食べものっていうのは、ほとんど無いけど、唯一言えば、とろろごはん。すりおろした長いもがご飯と混ざってる、あのバラバラした感じ!必ずアゴがかゆくなるっていう。いつも食べながら、だからイヤだって言ったんだよ(怒)。って思うよね。敢えて挙げるならあれだね(笑)」

 

― 好きな言葉を教えていただけますか?

清水「生きていく上で、こういうことって大事だな。と思うことがいっぱいあってね。『なりゆきは自分の味方』とか、ありふれてるけど『笑う角には福来る』とか。特に最近、笑っていると本当に良いことがあるんだよね。言葉の上のことだけじゃなく、笑っていると相手との関係がうまく行って、良いことが舞い込んでくる。そういうことって、仕事しながら実際にあることだから、大事にしています。

『なりゆきは自分の味方』っていうのも、自然な流れでこうなった。ということは、必ず何か意味があることだから、そこらへんをスルーしないで、あらためて、ありがたいな。と思ってみるようにしています」

 

― 日常に意味を見出すというか、感じ取っていく。ということでしょうか。

清水「そうだね。感じ取るっていうのが近いかな」

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工房玄関前。あちこちにしおりさんの作品が見え隠れしています。

 
― 陶芸の世界に入られたきっかけというのは、なんだったのですか?

清水「元々、自分は絵が好きで、絵の方を勉強していたんだけど、デザイン事務所への就職だとか、イラストレーターになることを考えると、職業として絵を描く事で、絵を嫌いになってしまうような気がしたのね。それで、すぽーんとその道の仕事を一度、全部諦めて、一人旅に出ました。旅先でたまたま出会った人の作品を見た時に衝撃を受けて、その道に入りました。人が見た時に、うわーっ!と衝撃を受けるような作品を、作り出せるような生き方をしたいな。と思って。たまたま、その作家の作品が焼物だったので、ちょっとやってみようかな。と思って」

 

― その作家に弟子入りなさったんですか?

清水「その作家は、初めて会った時に酔っ払っていて『なんも俺のところに来ればいいんだー!』って言うので、私もそれを真に受けて、一人旅を切り上げて、改めてこの人のところに来よう!と思ったのが、陶芸を始めるきっかけでしたね」

 

― その方とは、どこで出会ったんですか?

清水「愛知県です。常滑(とこなめ)の方だったんですけど、なんにも知らないで町の中をぶらぶら歩いて居たら、面白い町で、陶芸の町なんですね。あちこち覗いてたら、なにやってるんだ?と声をかけられて。面白そうだから、見てたんです。って言ったら、その人が友達の陶芸作家さん達を紹介してくれて。色々なところにお邪魔して、夜、みんなで一緒にお酒を飲んでいたら、犬の話しになってね」

 

― 犬ですか?

清水「そう。変な犬を飼ってるやつがいるんだよ!なんて話を聞いてたら、その犬に会いたくなっちゃってさあ。じゃあ会いに行こう!って。で、行ったら、その飼い主がすごく有名な陶芸家だったのね。私は知らなかったんだけど、その時はただ、ベロンベロンに酔っ払ったオヤジだったんだよ(笑)。『まあ上がれ!』なんて言ってね。『泊まるとこないんだろ?泊まっていけ!』って言ってくれて。で、お借りしたお部屋にゴロゴロゴロって置いてある作品が、凄かったんだよね」

 

― それは衝撃的な出会いですね。

清水「で、朝起きると、奥さんがわーっと朝ごはん作ってくれたの。その全部の器がさあ、なんか、こう、生きているような感じでね。それまで感じたことのない感覚だったんだよね。それで、やっぱり生き方なんだよな。と思って。昨日、うちに来い!って言ってくれたしな。と思って、そこで一旦、札幌へ帰りました。全く陶芸の経験がなかったから、陶芸教室に通って、野幌の試験場の研修に通いました。自分は、常滑に弟子入りしに行くんだ。と決めてましたから、1年の研修が終わってから、常滑の作家に電話したんです。そしたらね、私のこと、なんにも覚えてなくて」

 

― あ!ベロンベロンだったから!

清水「そう!ベロンベロンだったからね(笑)。『なんだ、おまえ!?』って言われて、『えー!?』って(笑)。いや、一昨年、お世話になって…、って説明したら『いや、来てもらったって困るんだっ! 俺は弟子はとらないからな!』って。おやおやおや?と思って。でも、私はもう決めてるんだ。って強引に常滑へ行ったんだよね。そうしたら、ホントに迷惑そうな顔されてねえ(笑)」

 

― 断られても、押しかけて行っちゃったんですか。

清水「そう。その時は常滑じゃなくて、設楽(したら)の山の中に工房があって、ひとりで行けないようなところだったのね。私より1週間先に新しく入ったスタッフが1人いて、しょうがないからって迎えに来てくれて、なんとか工房まではたどり着いたんだけど。まあ、ホント、…なんで来た? っていう感じでね。いやいやいや、はるばる札幌から、こんなに荷物もってさ(笑)」

 

― よく、挫けずにたどりつきましたね!

清水「あの時は、なんか不思議とエネルギーというか、普段の自分にない、妙な積極性が出てね。絶対ここだ。と思ったのか、自分にとって凄く大切な、人生の岐路だったと思うんだけど、そういう時って無意識に力が出るっていうか。それで、断られているのに行っちゃったの。アルバイトで貯めたお金が幾らかあったから、しばらくは何とかなるし、そこに住みついちゃえばさ。ご飯食べさせてくれたりとか、お酒飲ませてくれたりとかするかなー。と思ってね(笑)」

 

― そこまで計算して! 度胸がありますね。

清水「でも最初はさあ、その作家にずっと無視されててね。『弟子は取らないし、教えることはない!』って言われて、困ったなあ。と思ったんだけど、スタッフの人たちが、まあ、来ちゃったし。仕方ないか。っていう感じで工房に入れてくれて。その作家も本当に忙しく仕事をしている人だったから、『あれ持ってこい!』って言われたら、私がそれを持って『北海道から来た、しおりですー』って挨拶して」

 

― それにしても、諦めない。素晴らしいです。

清水「さすがにその夜、大丈夫かな。どうしようかな。と思って、ひとりで座ってたら、初めて工房に来た時に、ヘンな犬を見たくて来たって言ったでしょう? その犬がさ、不思議と傍に来て、私に寄り添うわけよ。なんか、わかるよー。って感じでさ。よし、こいつは味方だ!と思って。『じゃあ、とりあえず、名前を呼んでもらえるようになるまでは居てみるわ』って犬に話しかけたりしてね(笑)」

 

― その犬が師匠とのご縁の始まりですものね。

清水「強引に居座って、そのうちなんとか居られるようになりました。許すとか、がんばれとか、言われるわけではないんだけど、向こうも仕方ないな。と思ったんでしょうね。結局1年間、居させてもらいました。期間は短かったけど、すごく長く感じたんだよね。山の人たちが本当にいい人たちでね。工房で飲み会するぞ! 焼肉するぞ! っていうと、近所の木こりとか、服の仕立て屋さんとか、喫茶店のマスターを呼ぶわけ。そうすると私の顔を見て、どこから来たの? って話しかけてくれて。すごく可愛がってくれたのね。その人たちに支えられました。去年、20年ぶりくらいに会いに行ったんだけど、本当にみんな、良くしてくれてね」

 

― 周りの人に支えられて、そのうち師匠も黙認してくれるようになったんですね。よかった。

清水「短い期間だったけど、その先の人生が完全に変わったよね。美術系の学校でデザインとか勉強してる時はさ、なんかカッコイイ作品を作って、みんなが認めてくれる。っていう絵を頭の中で想像しているんだけど、そういうことじゃないんだな。と。それまで、ちょっと絵が描けて、友達が褒めてくれることっていうのは、それだけのことで、自分には、まだ何にも無いんだな。ってその時に気付きました」

 
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― 設楽の工房では実際に陶芸について色々教わったんですか?

清水「ろくろの使い方とか、具体的な何かを教えてもらえるわけでもなくって。粘土練ったりして、作家の作品づくりに関わらせてもらう。その合間に、ちょっと自分でろくろ回したりして。そうしていると急に『ひと窯炊け!』って言われるので、はーい! って。なんの躊躇も無く、工房にある材料を好きに使ってひと窯分、作品を焼いたりしてました。だからって、それを見て、ああだぞ、こうだぞ。って言われるわけでもないんです。」

 

― 師匠は何もおっしゃらないんですか?

清水「ああ、ある時ね、器の中に鉄絵で描いていたのを見て、『こんなところにひじきはいらない』って言うわけ。鉄絵がひじきにみえたんじゃない?そういう余計なことはしなくていい。器にひじきをのせればそれでいいって。そういう要所要所に、ちょっとしたことは言ってくれました。あとは、私が作ったものを全部、ダーっと泥の中に投げ入れられたりね(笑)。結構、不思議な師匠だったのね」

 

― しおりさんの作品は、師匠の影響を受けていらっしゃるとご自身では思われますか?

清水「作品との向き合い方っていうのは、影響を受けてると思います。その作家は強烈なエネルギーで独特の作品を作る人だったので、技術的なこととか、良し悪しが問題ではないんです。気持ちの持ち方をどうするか。私がその工房に居たのは短い期間だったから、ほんのりと、自分がどう生きるか?ということを考えた上で、焼物があるんだ。と、わかった。っていうだけでしたね」

 

― そのとき、しおりさんはお幾つですか?

清水「23歳。だけど、もう彼からは、お前はもう北海道でやれ! って言われながら、もうちょっと。もうちょっとだけ、居させてください!ってね。もう、こっちも辛いんだけどね。なんでそこで怒るかなー? っていうところで怒られるしね。朝とか、『豆腐買って来い!』って言われて、ハイッって買ってきたら、『トマト無かったのか?』って言うから、トマト売ってました。って答えたら『なんでトマト買ってこないんだ!』ってものすごく怒られて、えー! 豆腐買って来いって言ったよねー!? みたいな人でね(笑)」

 

― 理不尽ですね!

清水「ただ、トマト食べたかっただけなんだよね(笑)。なんでも本気でやろう! っていう人で、こっちは23歳なのに、もうヘトヘトなの。その辺を自分で組み立てて、消化するのが大変だったんだけど、後々、奥さんとお話したときに、聞いたの。その作家のそういう怒りは全部自分に対してのことなのよ。って。自分に対して課題を持ってるから、仕事場の若い人にもそれをぶつけることになってしまって、しおりちゃん辛いわね。って。辛くても、せっかく来たんだから何か感じとって帰りたい。と思ってました」

 

― 1年間というのはご自身で決めていたんですか?

清水「いえ、居られるだけ居ようと思ってました。これが普通の弟子入りだったら、技術的なことも教えてくれるんだけど、そうなると師匠の癖が付いたり、作るものの雰囲気が似てきたりするんです。その癖が抜けるまで、そこから倍以上の時間がかかってしまう。自分の作品を作ろうと思ったら、それも困るな。と思ってはいましたが。出て行け、出て行けって言われながら、せめて、せめて、もう1日、居させてください! っていう感じで、1年居ました」

 

― 最後はどういう風に送り出されたんですか?

清水「最後はみんなでお別れパーティを開いてくれて。師匠が何も言わずに、札幌までの片道切符代をくれたんですよね。感動しちゃってね。でも、もう、帰って来るなってことかー。片道切符だもんな(笑)って思いつつ」

 

― お別れのときは、師匠は何もおっしゃらなかったんですか?

清水「その後どうするかっていうのは、自分次第だから、その時は何の言葉もなかったですね。それから8年後に、芸術の森の『ビアマグランカイ』っていう公募展に審査員として師匠が来ることになったのね。私は公募展には、ほとんど作品を出すことをしていなかったんだけど、師匠が来るなら、出しちゃおうかな。と思って。作品審査は無記名で行われるんだけど、こっちはもう、8年ぶりに師匠の名前を見て怖い! ってビビってるわけ(笑)。出品してから、師匠の奥さんから連絡が来て、ワークショップもあるから、もし来られるなら粘土の用意とか手伝ってあげて。って。喜んで行きます! って。会場に行くと、師匠が居て『おー! お前、出したのか?』って言うから、出しました!って。『どんなの出した?』って言われて、こんなのです! っていったら、『おお、そんなの見たぞ!』って。で、結果は『入選』だったの。『入賞』じゃないから、何も出ないんだけど、師匠が『入選でもすごいぞ!』って、生まれて初めて褒めてくれて。『入選祝』って言って金一封くれたの。認めてくれたんだな。って感動してね」

 

― よろしければ、師匠のお名前を教えていただけませんか?

清水「鯉江良二という陶芸家です。これまでは、自分のプロフィールに師匠の名前を出したことがなかったんですけど、8年経って、初めて褒めてもらえた時から、彼のところに居候させてもらいました。と公表するようになりました」

 
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