音楽プロデューサー 伊禮武志さんインタビュー

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またまじゅーんぬまや~。 プロデューサーは沖縄スタイルの大らかさ

   

― 本日はどうぞ、宜しくお願いいたします。伊禮さんは、音楽プロデュース以外にも色々とご活躍されていらっしゃいますが、今日は音楽中心にお話を伺わせてください。

伊禮武志さん(以下、伊禮)「はーい。プロフィールね。1973年12月30日生れ。血液型はA型。沖縄那覇市、首里というところの出身です。10代の頃は車に憧れて、車関係の仕事をしていたんだけれど、20歳の時にライブハウスの仕事を手伝ったのをきっかけに音楽の方へ進みました。スタートが1995年だったから、今年が20年目」

 

― 今年が節目の年なんですね!その20年間のお話につきましては、後程伺わせていただきますね。まずは、そのお人柄からお聞かせください。好きな食べ物、苦手な食べものはなんですか?

伊禮「好きな食べ物はおにぎり。苦手な食べものはレバー」

 

― おにぎりですか。中身は何がお好きですか?

伊禮「みそ」

 

― 味噌ですか!?

伊禮「そう。沖縄は『あぶらみそ』っていうのを入れるの」

 

― 好きな言葉がありましたら、教えてください。

伊禮「またまじゅーんぬまや〜」

 

― 標準語訳してくださいますか?

伊禮「また一緒に飲もうね〜。です」

 

― 沖縄の方らしいと申しましょうか!素敵な言葉ですね。

 

 

きっかけは店舗工事 ~メカニックからプロデューサーへ 華麗なる転身

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1997年頃 沖縄ピースフルラブロックフェスティバルにて(ご本人のFacebookより転載)


― それでは音楽の世界に入られる経緯を聞かせてください。最初は車のお仕事をなさっていたのですね?

伊禮「バイクのレースがしたくて、何故か名古屋に行って、モトクロスで色んなコースにチャレンジしてみました。そしたら、頭の上からA級ライダーに追い越されて(笑)。あきらめて、車のメカニックに転職したんです。ART GAREGEというドラッグレースの車両を作っている会社に就職して、レースの世界の厳しさを色々教えて頂きました。楽しくなってきた頃、おじいちゃんが病気の為沖縄に戻り、解体屋を始めようと車の部品を集めて生活を始めたとき、店舗工事と荷物運搬の依頼が…。行ってみると、そこにステージがあったんです」

 

― 運命的な出会いですね!きっかけはライブハウスなんですね。

伊禮「そう。沖縄のライブハウス『LIVE HOUSE CLUB D-SET』で毎日違うアーティストのライブを観て感動を覚えました。また、そこでお皿を洗っていたこの僕を、とてもかわいがってくれたヒゲのおっさん『かっちゃん』(※伝説のロックバンド『コンディショングリーン』のボーカル)に影響を受け、沖縄の音楽の歴史に興味を持つようになりました」

 

― 沖縄は音楽の土地ですよね。ライブハウスではどんなお仕事をなさっていたんですか?

伊禮「皿洗いから始まって、その数年後に『D-SET』の店長としてお仕事することになりました。その傍ら、かっちゃんのマネージャーとして3年程過ぎたとき、沖縄の若いバンドを応援していきたい…とD-SETを退社しました。沖縄のアンダーグラウンドの音楽を広い地域に広めていけたら面白いな。と思って」

 

― 沖縄のロックシーンというのは、非常に熱いですよね!

伊禮「僕が影響を受けたバンド『コンディショングリーン』のかっちゃんは、本当にロックスターなんです。僕がマネージャーしてたときは面白くてね。ライブの時には、いろんな格好して出てくる。ビンラディンとか、安室奈美恵になりきって出てくる。それで、歌詞なんかほとんど忘れてるから、(歌詞の替わりに)ケッケロケって歌ってる(笑) 最近、BIGINのプロデュースでかっちゃんのアルバムが出たんだよ」

 

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