台北ナビ 細木 仁美 編集長 インタビュー

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 文学少女からバックパッカーへ。~『あっちの世界』とのボーダーライン

 

― 本日は、台北市中山区にあります、台北ナビ プラザにお邪魔しております。こちらのナビプラザは一般開放されているんですね。

細木 編集長(以下、細木)「はい。平日月曜から金曜日、午前10時から午後5時まで開けています」

 

―  ここで旅行者同士の情報交換も出来そうですね。台北を訪れる日本人旅行者の強い味方、台北ナビ さん。本日は台北ナビの細木編集長にお話をお伺いいたします。早速、プロフィールからお伺いしてもよろしいですか?

細木「1月4日生まれ。山羊座のO型です」

 

― ご出身はどちらですか?

細木「四国、徳島県です。北海道に比べたら小さな島ですよ。この前テレビを見ていたら、紹介されていました。北海道は四国の4倍強の面積があるそうですね」

 

― お好きな食べ物、苦手な食べ物がありましたら、教えてください

細木「甘酸っぱいものは基本的に好きですね。和食は全般、好きです」

 

― 台湾料理でお好きなものはなんですか?

細木「B級グルメということで言えば、臭豆腐、牡蠣のオムレツも好きです。夜市に行くとこの2つは必ず食べます」

 

― 台湾といえば、臭豆腐ですね。苦手な方も多いようですが、細木編集長は最初から抵抗感無く、おいしく召し上がれましたか?

細木「最初の1年くらいは抵抗ありました。今の臭豆腐はずいぶん匂いを抑えていますね」

 

― 細木編集長が台湾にいらっしゃった当時のものとは、違いますか?

細木「違いますね。時代の流れとともに、控えめな香りで味付けも食べやすくなっていると思います。昔はもっと強烈だったんですよ(笑)」

 

― 食べられるようになったきっかけは何だったのですか?

細木「台湾の友達がおいしい、おいしいって食べているので、一口ちょうだい。と横から頂いているうちに、おいしく食べられるようになりました」

 

― 好きな言葉がありましたら、教えていただけますか?

細木「色々考えてみたんですけど、自分の言葉で言うなら『好奇心』ですかね」

 

― 台北ナビでは、グルメや観光情報だけでなく、記者が原住民の村に滞在して古老に話を聞き、記事にする等、台湾文化についても幅広くご紹介していらっしゃいますね。10年以上、台湾からの情報発信を続け、なお枯れない細木編集長の好奇心について、是非、お伺いしたいです。

細木「みんなにね、『台北ナビさん、台湾中あちこち紹介してるから、もう紹介するところ無いでしょ?』なんて言われるんですけど、全然そんなことないんです」

 

― 既に台湾を2周、3周と回って、取材をしていらっしゃると思いますが、まだ知らないところがありますか?

細木「新しいものも出てきますし、取材に行けてないところもありますしね。まだまだです(笑)」

 

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台北中山エリアにある『ナビプラザ』。

 

― ご出身は徳島ということですが、おいくつまで徳島にいらっしゃったのですか?

細木「高校卒業まで。大学は東京に進学しています。一浪して東京の明治大学の英米文学科に入りました」

 

― 学生の頃から文学を読んだり、文章をお書きになるのがお好きだったのですか?

細木「本を読むのは好きでしたね。いろんな本を読んで早熟な子だったと思います。子供の頃の誕生日プレゼントは『本が欲しい』というような子でした」

 

― 文学少女だったんですね。

細木「田舎の子でしたから、田んぼを駆け回って泥だらけになって遊んだりもしていましたよ。小学校の頃から映画も好きでした。父が好きでしたから一緒に西部劇を観たり、『風とともに去りぬ』とか観たりね」

 

― 徳島から東京に出られた時は、環境の変化を実感されましたか?

細木「私は上京してすぐ大学の寮に入ったんです。当時、『中核』ってありましたよね。学生運動。世代としては、私のひとまわり以上も上の人達ですけど、明大も学生運動が激しかったので、寮の中にも開かずの間があって。そこに当時のものとか仕舞われてあったりしてね。ヘルメットとか棒とか(笑)」

 

― ヘルメットと棒!

細木「とにかくヘンな人がいっぱいいました。何年も大学に住んでいる寮の主みたいな人とか、門限を過ぎたら『ここから登るんだよ』と教えてくれる人とか、酔っ払って廊下で倒れていたら、部屋まで引きずって行ってくれる人とか(笑)」

  

― 無法地帯ですね!

細木「大学って、こんなに面白いところなんだ。と思いました(笑)」

  

― 大学は、4年で卒業なさったのですか?

細木「3年生の時に1年休学して、バックパッカーとして旅に出ました」

  

― どちらへ旅行してらしたんですか?

細木「中国に2か月いました。上海から列車で4日間、ウルムチに着いて、その後はタイ、マレーシア、ビルマ、ネパール、インドなんかにも行きました」

 

― インターネットで海外の情報が手軽に得られる現在に比べると、同時は旅をするのは難しかったと思いますが?

細木「当時『地球の歩き方』は出版されていたんですよ。それがメインの情報源でした。チケットは途中滞在ができる、パリまでのオープンチケットを買って出発しました。情報は現地についてから現地のパンフレットを見たり、そこで出会う人達からもらっていました」

   

― 女子大生が海外を1人旅する。勇気がおありですね。危ない目にあうことはなかったですか?

細木「その時はわからなかったけど、後から考えると、危なかったんだ。と思うことはありましたね。マレーシアでタクシーに乗ったら、運転手が助手席に友達を乗せていて、どんどん違う方向に走って行くので、途中で降ろして。と言ったら、とんでもないところで降ろされて。幸い、車が通っている道路だったのでヒッチハイクして戻りました」

  

― 細木編集長の中で、危険察知能力が働いたんですね。今降りないとマズイ! と。

細木「そう、その感覚は旅をする上で必要ですよね。この人は親切だけど、ちょっと、どうなんだろう?というようなところが、旅を続けていると次第に分かるようになると思うんです。当時は若かったから、若い女性には自然と男性が声をかけてくる。あまり深入りすると勘違いさせてしまいますからね」

 

― 勉強になります。アジアを回ってヨーロッパまで行かれたのですか?

細木「チケットはパリまで買ったんですけど、ヨーロッパまでたどり着かなかったんです」

 

― 何かあったんですか?

細木「インドにずーっと居ちゃった。インドに半年居て、そこから日本へ戻りました」

 

― インド滞在半年間。どうでしたか?

細木「時間が経つのを忘れてしまって。さすがに危ないな、と思いました。インドとかバンコクっていうのは、そういうボーダーラインがあるんです。これを越えたら、向こうの世界に行ってしまう。という境界線が。幸い、私はここで人生終わっちゃいけないなと思ったので、帰ろうと。その線を越えちゃっている人達にもたくさん会いました。こうなっちゃいけないと思って(笑)」

 

― なんとかこらえて、日本に戻っていらっしゃった。久しぶりの日本はどうでしたか?

細木「うーん、戻ったときのカルチャーショックがありました。服装もインド風になってて、この辺にアクセサリーがジャラジャラ付いてたし。友達から『ちょっとおかしいよ?』って言われたりして。でも、なんとか卒業しなくては。と、少しずつ元に戻ってきました。このとき旅に出たことで、将来海外で仕事をしたいな。と思うようになったんです」

 

― その時の旅の経験が、海外で働く決心をさせたのですね

細木「日本に戻って、大学4年生になった時点で、夜は日本語教師の養成講座に通い始めました。日本語教師という形であれば、すぐ海外にでられるかな。と思ったんです」

 

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