こんにちは、西内恵介です。コロナ感染拡大防止のため、次々中止されるライブイベントやコンサート。音楽ファンには、厳しい状況が続いておりますが、ならばこの機会に、自宅でじっくり「音」と向き合う。
そんな聴き方にも、おすすめできる一枚をご紹介します!

 

ほうろう 』小坂忠(1975年)


小坂忠(Vo)、細野晴臣(Bass)、松任谷正隆(Keyboard)、鈴木茂(Guitar)、林立夫(Drums)、鈴木晶子(矢野顕子)(Keyboard)、吉田美奈子(Chorus)、山下達郎(Chorus)、大貫妙子(Chorus)

 

収録曲

1 ほうろう

2 機関車

3 ボン・ボヤージュ波止場

4 氷雨月のスケッチ

5 ゆうがたラブ

6 しらけちまうぜ

7 流星都市

8 つるべ糸

9 ふうらい坊

 

小坂忠 画像元: https://bit.ly/2xgUi7e

俺「ただいまー」

妻「手洗ってよ!うがいも!」

俺「はいはい!小学生か!」

妻「「はい」は1回!パパなんか小学生と変わらないしょ?」

俺「まてまて!小学生ってことはないだろ?」

妻「ゲームやサッカーじゃないけど同じでしょ?バンドなんか?」

俺「おっ?バンドは大人の趣味よ!大人の」

妻「はぁぁ?ジャズとかだったらアダルトな感じだけど」

俺「ロックはガキの聴くモンだと?」

妻「多分、真っ当な大人は卒業するもんだよ」

俺「う、ううっ(言い返せない)」

妻「まぁ、パパもパパの周りも真っ当な大人いないしね」

俺「う、ううっ(言い返せない)」

妻「ホント、みんな、そんな夫を捨てない奥さんに感謝しなきゃ」

俺「.....まぁ、捨てられたヤツも多いけどな」

妻「.....」

 

小坂忠 画像元: https://bit.ly/3acYzax

ふと思ったことがありまして。

 もしかするとこのアルバム、バックの参加ミュージシャンは、皆さんよくご存知で、肝心の主役だけよくわからない!みたいなことになっちゃうのかな?って(^^;)

 確かに、錚々たるメンバーがバックを務めてますもね。

 ベース細野晴臣御大、キーボード松任谷正隆、ギター鈴木茂にドラム林立夫、もう一人キーボードに旧姓の「鈴木」でクレジットされていますが、当時まだ19歳の天才矢野顕子、コーラスは、姉御吉田美奈子に、レコードデビュー前の、山下達郎と大貫妙子のシュガーベイブ組。

山下達郎 画像元: https://bit.ly/2xfFOEG

 念のため、ギターの鈴木茂とドラムの林立夫について少し。

 ユーミン聴いたことあります?井上陽水は?

 え?あまり聴いてない?でしたら、松田聖子は?

 日本で暮らしている以上、鈴木茂のギターと林立夫のドラムは間違いなく耳にしています。

 『ひこうき雲』も『やさしさに包まれて』も『風立ちぬ』も『赤いスイートピー』もぜーんぶこの人達の仕事です。

 どれだけ一流の人達が、このアルバムを制作したか、おわかりいただけると思います。

 次に、このアルバムがリリースされた1975年、つまり、昭和50年、日本のヒットチャートはどんな感じだったのか?今はウィキですぐわかります。

 年間売上1位は『昭和枯れすすき』さくらと一郎!2位は『シクラメンのかほり』布施明!

 他、若い世代に圧倒的支持されていたのは、『22才の別れ』『なごり雪』『いちご白書をもう一度』『我が良き友よ』といった、いわゆるニューミュージックのハシリです。

 以上をふまえて!

 YouTubeでも、お使いの配信サービスでも何でもいいです。

 小坂忠『ほうろう』と検索して、タイトル曲を聴いてみてください!

 どうです?自然とカラダゆれますよね?この曲、アレンジ、演奏、そして声!

 もろにR&B(リズムアンドブルース)!

 10年先、行っちゃってますよね?『昭和枯れすすき』と同じ年のリリースですよ?

 ちなみに、この10年後デビューしたのが、久保田利伸!やっぱ10年早いな。

小坂忠 画像元: https://bit.ly/2UflGvz

 ちゅうさんこと小坂忠。日本のポップス黎明期に重要な足跡を残し、現在もまだ現役として活動を続ける、偉大なR&Bシンガーです。

 小坂忠はバンド『ザ・フローラル』で活動を開始、1968年にメジャーデビューします。が、発売したシングル2枚は、鳴かず飛ばず。

 翌年『ザ・フローラル』に細野晴臣、松本隆(ドラマーにして偉大なる作詞家)らが参加する形で小坂2つ目のバンド『エイプリル・フール』が結成されます。同年に1stアルバムをリリース。細野にとっては、これがメジャーデビューです。

 『エイプリル・フール』は、今聴けば何だか曲調も一貫性に欠け、ディスコ(当時はゴーゴー喫茶w)の専属バンドなどやりつつ、半年であえなく解散。

 その後、細野と松本は、大瀧詠一(Vo)・鈴木茂(g)と、ご存じ『はっぴいえんど』を結成。1970年に1stアルバムをリリースします。

はっぴいえんど 画像元: https://bit.ly/2vGCPVh

 小坂は、ミュージカルに出演しつつ、ソロ活動を開始!1971年に1st『ありがとう』をリリース。

 1972年には、『小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ』を結成。「フォー・ジョー・ハーフ」=「4畳半」ってなめたバンド名ですが、メンバーは、松任谷正隆(key)・林立夫(dr)・後藤次利(b)・駒沢裕城(psg))という超実力派が揃いました。が、メンバー忙しくて長続きはしませんでした。

 このころ、埼玉県狭山市に、米軍基地縮小で、空き家になった米軍関係者住宅が、賃貸物件として多数出回りました。通称「アメリカ村」と呼ばれたエリアです。

ジョンソンタウン 画像元: https://johnson-town.com/

 アメリカンスタイルの白塗り木造、広い部屋に芝生という家屋は、「別に東京に居なくてもいい」かつ「アメリカ文化へ憧れる」アーティスト達に人気で、若いミュージシャン、デザイナーなどが、こぞって移住しました。

 小坂忠もその一人。大瀧詠一は、自宅の他に音楽スタジオとして、もう一棟借りていたそうです。(ナイアガラレーベルの一連の作品が生まれたスタジオです)

 そして、『はっぴいえんど』を解散した細野も引っ越して来ました。小坂家の隣に(笑)

 小坂家と細野家は、糸電話でつながっていた!というのはウソのようなホントの話しらしいです。

細野晴臣 画像元: https://bit.ly/3bhRTYI

 1973年、『元フォー・ジョー・ハーフ』に、『元はっぴいえんど』の細野・鈴木が加わる形で音楽ユニット『ティン・パン・アレー』が結成されます。

 メンバーは、細野晴臣(b)・松任谷正隆(key)・鈴木茂(g)・林立夫(dr)の4人。

 当初『キャラメル・ママ』と名乗っていましたが、後に改名。バンドではなく、音楽ユニットとしたのは、他アーティストの制作にプロデュースから、アレンジ、演奏と、総合的にかかわることが多かったからです。

 彼らのサポートは、松任谷の妻となった、ユーミン始め、雪村いずみ、南沙織、など、ジャンルも多岐に渡りました。

 そして、1975年。『ティン・パン・アレー』を中心に、豪華ミュージシャン達のサポートを得て、リリースされたのが本作『ほうろう』です。

 時代を先取りしたサウンド、ハイクオリティな演奏。それに余裕で乗っかる小坂の歌。

 確かに、歌詞やタイトルの言葉選びは、時代を感じさせるでしょうが、それも引っくるめて、ものすごく愛着を持てる一枚です。

 当時シングルカットもされた、アルバムのリードナンバー、6曲目『しらけちまうぜ』は、東京スカパラダイスオーケストラfeat.小沢健二のカバーや、横山剣(クレイジー・ケン・バンド)のレゲエバージョンも最高です。

 スカパラ+オザケンのバージョンは、オザケンの曲に聴こえちゃいますよ。基本まんまなのに。

 小坂忠という人は、常にメジャー音楽シーンで活動をしていたわけではありません。

 娘さんの不幸な事故からの生還をきっかけに、キリスト教に改宗、牧師にもなりました。そしてゴスペルシンガーとしても活動し、少年院、刑務所への慰問なども行っています。

小坂忠 画像元: https://bit.ly/2wvb7eG

 2010年、本アルバムのマルチトラックテープが状態良く発見されたことで、バッキングをリミックス、ヴォーカルを小坂自身が差し替えた『HORO2010』を発売。

 これの出来が実はかなり素晴らしい。元も子もないけどオリジナルよりある意味いい(笑)

 2017年に末期癌を宣告されますが、10時間超の大手術のうえ、奇跡の生還!その後は精力的にライブ活動を行い、現在71歳!まだまだ、ソウルフルな歌声を聴かせてくれています。

 それにしても、盟友細野晴臣も凄い。オリジナル『ほうろう』リリースの3年後、1978年には、イエロー・マジック・オーケストラ、YMOをスタートさせるわけです。

 常に、その時代の日本ポピュラーミュージックシーンの中心に細野晴臣あり!って感じです。

YMO 画像元: https://bit.ly/3bobd6J

追伸:
 狭山「アメリカ村」には、「ワークショップMU!!」というデザイナー集団が拠点を構えていました。小坂のデビューアルバムのジャケットデザインを皮切りに、この時代の多くのジャケットデザインを手がけています。

 ジャケットにアーティスト写真を使わず、イラストや一般写真だけで構成した先駆者で、特に有名なのは、大瀧詠一の一連の作品。アメリカンポップアート調の!と言えば見たことありますよね?

デザイナーの一人、奥村靫正は、平面を超え、後にアーティストそのもののコンセプトをプロデュースする、アートディレクターとなりました。YMOのビジュアルも奥村の仕事。デビュー前は、革ジャンにリーゼントだった、チェッカーズを「ああいう売り方(笑)」をして大成功させたのもこの人です。藤井フミヤは恨んでいたようですが(笑)

                                                              ケイズ管理株式会社 西内恵介

 

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