社長の出る邦画。こう記しますと、どうしても最初に頭に浮かび、そしてまたそこから発想が離れられなくなってしまいますのが森繁久彌の『社長シリーズ』。げに恐ろしきはプログラムピクチャーでございますね。

 しかしこれまでハリウッド映画はもちろん、オランダやフランスの映画までご紹介しておいて、自国のそれを取り上げないというのもフェアじゃない気持ちがしてまいりましたので、件のシリーズものを廃して頭の中を引っ掻き回しましたところ、ありました。正しくは社長ではなく『社長になろうとしている男』のお話、といえましょうか。

 半ば神話化したような映画ですが、理屈抜きに楽しめる上、実は『社長映画』の要素もある。そんな盛りだくさんな一作です。

 『天国と地獄』。1963年の日本映画です。

 

『天国と地獄』
1963年 日本映画
黒澤 明 監督

 

 ある日、靴会社の常務・権藤に子供を誘拐したという電話が入る。

 錯綜する状況。権藤と社の覇権をめぐる思惑が交錯する中、彼はついに身代金の受け渡しに応じることとなるのだった。

 受け渡し劇の末に子供が戻ってきた後、犯人逮捕に執念を燃やす警部・戸倉は、ある策を講じて記者会見に臨む。それに誘われるように動き出す犯人。

 戸倉の思惑と警察の意外な判断とは? そして捜査の行く末は…。

 

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『天国と地獄』 1963年 黒澤明監督 画像元:http://goo.gl/tXIOUj

 

 サスペンス映画と言うのはその過程が楽しさの肝でございますから、あらすじのご紹介はこの辺りにさせていただきますね。何せしょっぱなから軽いどんでん返しがございますので…。

 本作は黒澤監督のヒューマニズムであるとか、当時の司法に対する問題提起であるとか、今やさまざまな視点で語りつくされた感がございますが、やはりこの一言につきるのではないかなあ、と当方思うのです。

 極上のサスペンス。

『面白い映画を観せたい』という心意気が細部にまで行き届いた、娯楽作品の要素を全て揃えております。

 

 まず、登場人物像の適度な厚み。

 経営を掌握しようと闘争に明け暮れる野心溢れる常務。苛烈に社長の座を狙うその姿は冷酷にも見えますが、実はその行動の裏には『理想の靴を作る』という思いがあり、純粋な理想家であることが見え隠れします。

 厳しいけれど熱い。そんなタイプの社長さんになるんでしょうね。

 そして、事件を追う警部は、犯人への怒りを隠さない熱さを持っておりますが、それが行き過ぎて後半『え? それ、いいの?』というような手を使って犯人を追い詰め始めます。

 話を追うのに邪魔にならない程度に矛盾や癖を抱えた人物たち。ちょっとカドのある要素を持ちながらも、やがてどっぷりと感情移入してしまう絶妙のバランスは、地酒のような魅力に満ちております。

 

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『天国と地獄』 1963年 黒澤明 監督 画像元:http://goo.gl/o1vgP6

 

 また、映画全体の構成にも、観客を飽きさせない仕掛けが施されています。

 前半は部屋の中だけで展開する密室劇。映像をテンポよく繋ぐのではなく、丹念にじっくり映し出していきます。

 では退屈なのかと言うとさにあらず、誘拐発覚直後にいきなりどんでん返しがあるという衝撃の幕開けの後、警察の対応と当事者の思惑とが絡み合い、刻々と状況が変化していくさまは、まるで演劇の舞台のようにも見えます。

 そういった密室での緊張が頂点に達したとき、物語は一気に部屋の外へとなだれ込んでいくのです。身代金受け渡しの舞台となるのは列車の中。その後、主人公は事件を追う警部へと移り、描き出される世界は一気に広がっていきます。

 この、場面の鮮やかな変化を味わうだけでも、本作を観る価値があるかもしれません。

 

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『天国と地獄』 1963年黒澤明監督 画像元:http://goo.gl/48ifCS

 

 そして、とても印象的な映像。

 本作は白黒映画なのですが、とある部分だけカラーになるという仕掛けが施されています。これは今日でもなお、様々な映画に引用されるとても有名なシーンですが、改めて今見ても強烈な印象を残します。

 捜査会議の場面もまた、思わず引き込まれる映像作りです。写真や現場で撮影した8ミリなどなど、明確で直接的な資料が一切出てこない中、細かに検証を重ねていく過程を観て行くうち、新たな資料が提示されるたびに『手がかりはどこだ?』と劇中人物と一緒になって謎解きを始めてしまう。現在主流のフルCGで犯行の瞬間を再現してみせる手法とは次元の異なる面白さでございますね。

 その他『ここ、本当に日本?』と思わせるような、ちょっとやりすぎなくらいの横浜ドヤ街の描写などなど、静と動のメリハリの利いた場面展開は最後まで飽きさせません。

 

 誘拐に巻き込まれる常務・権藤を演じますのは三船敏郎、そして戸倉警部は仲代達矢。黒澤組の常連さんでございますね。

 そして犯人役は、当時新人だった山崎努。脅迫電話で聴かせる耳につく笑い声と、ラストの絶望的な名演とが心に残ります。

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『天国と地獄』 画像元:http://goo.gl/QUMTae

 
 と、いったように、リクツ抜きで楽しめるサスペンス映画でございますが、実は本作、見方を変えますと、社長映画(社長の座を狙おうとする人間の映画)でもあるのです。

 一人の会社重役の喪失と再生の物語。

 苛烈な理想家である一人の男が、誘拐に巻き込まれたことで自らの理想と引き換えに身代金を支払うこととなり、全てを失う。そんな彼が最後に得たものとは。

 この視点でご覧になりますと、また違った面白さが味わえるかもしれません。

 

 極上のサスペンス映画でありながらも、たたき上げ社長候補の再生の物語。

『天国と地獄』をご紹介いたしました。

 

 (2015.7. 文:黒田 拓)