映画には色々なジャンルがございますが,その中のひとつが『原作モノ』というやつでして、こちらは良きにつけ悪しきにつけ,何かと議論の対象となります。


『役者がイメージに合わない』『展開が原作と違う』などなど、原作への愛が大きいほど、観客はあらゆる角度から厳しく検証・批評を加えます。中には,『映画化というものは原作を徹底的に破壊してこそ価値がある』なんて主張する映画監督も出てきたりなんかしまして,議論はますます混迷の一途をたどるわけでございます。


 原作に忠実に仕上げるのか、新解釈によって原作を越えようとするのか。


 原作の映画化に際して、この2つの相反するアプローチは、映画史と寄り添うようにして途切れることなく繰り返されてきたことでしょう。


 今回は、ひとつの原作を両極端のアプローチで映画化した、そんなちょっと珍しいケースをご紹介いたします。


 社長の息子にまつわる悲劇を描いた小説を原作とする、2本の作品です。

 

 まずは最初の映画化作品。『太陽がいっぱい』1960年のフランス・イタリア合作映画です。

 

太陽がいっぱい
原題:Plein soleil

1960年 アメリカ映画
ルネ・クレマン監督

 

 孤独で野心溢れる青年・リプリーは、とある大富豪から、放蕩をつくす彼の息子フィリップを連れ戻すよう依頼を受けてイタリアへやってくる。

 フィリップにうまく取り入ったリプリーだったが、フィリップには帰国の意思はなく、現地で恋人セルジュと贅沢三昧の日々を送るのだった。

 やがてリプリーとフィリップの間に広がる溝。そしてついにリプリーは、フィリップの持つ全てを手に入れようと行動を開始する…。

 

 言わずもがなの名作。アメリカの女流作家パトリシア・ハイスミスのリプリーシリーズ第1作『The talented Mr. Ripley』を原作としております。

 

 しかし実はこの映画、原作とは大きく異なる内容になっております。

 それは、リプリーの殺人の動機にもつながっていく登場人物たちの恋愛模様です。リプリーは、フィリップへの憧れや嫉妬を抱きますが、その大きな原因となるのがその恋人・セルジュの存在、という構造になっております。しかし、原作はもう少し複雑です。

 この、物語の根幹とも言える部分の大胆な改変の理由についてはつまびらかにされてはおりませんが、ひょっとすると、当時の世論や時代背景を踏まえてのことだったのかもしれません。

 ともあれ、この『改変』は肯定的に捉えられ、本作は時代を超えて語り継がれる名作と相成りました。『原作モノ』論争の文脈からすればかなりのアウトローでございますが、これは何故なのでしょう。

 

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『 Plein soleil 』 Alain Delon 画像元: http://goo.gl/CPBtRT

 

 思うに、この改変はむしろ些細なことで、映画を貫く人物描写の見事さがそういった議論をはるかに超えてしまった、ということではないでしょうか。

 繊細で孤独な青年が、大胆な野心に突き動かされていく。それを見事に演じきった、当時無名俳優のアラン・ドロン。そしてサスペンス要素よりも主人公の心理を丹念に描写した監督の演出。これが、本作を名作たらしめているのではないでしょうか。

 特に、主人公がつかのま市場を観て回るシーン。全てを手に入れつつある彼の姿にほの見える孤独と不安の影を、一切せりふを入れずに描写してみせる手腕は白眉といえましょう。原作モノ云々以前に見事な映画、というわけでございますね。

 

 さて。本作の『改変』の正体を明かす代わりに、後年作られたもうひとつの映画化作品をご紹介いたしましょう。こちらは、原作にかなり忠実な内容になっております。

『リプリー』1999年のアメリカ映画です。

 

リプリー
原題: The Talented Mr. Ripley

1999年 アメリカ映画
アンソニー・ミンゲラ監督

 

 孤独なピアノの調律師・リプリーは、とあるパーティで大富豪と出会い、放蕩をつくす彼の息子ディッキーを連れ戻すよう依頼を受けてイタリアへやってくる。

 ディッキーにうまく取り入ったリプリーだったが、ディッキーには帰国の意思はなく、現地で贅沢三昧の日々を送るのだった。

 やがてリプリーはディッキーに強く惹かれはじめる。しかし移り気なディッキーに拒絶された彼は、ディッキーを手にかけてしまう。

 こうしてリプリーは、彼自身とディッキー、2つの人物を演じ分けてその全てを手に入れるのだが…。

 

 ご覧のように、こちらは憧れや嫉妬という要素よりも、同性の恋愛感情が強めな物語となっております。そしてこれこそが、『太陽がいっぱい』が原作からそぎ落とした『改変』部分だった、というわけでございますね。

 本作は、その配役もこういった要素を濃厚に意識したモノのように思えます。

 リプリーを演じるのは、演技派なのにあどけない匂いのするマット・デイモン。放蕩息子ディッキーは、甘いマスクのイギリス伊達男ジュード・ロウ。ほら。いかにも、という布陣でございましょう?

 ストーリーはより込み入っており、サスペンス要素、犯罪映画としての性格が前面に押し出されています。マッド・デイモンの理知的なまなざしが要所要所でしっかりと生き、アラン・ドロンのリプリー像とはまた一味違う姿を魅せてくれます。

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The Talented Mr. Ripley  画像元:http://goo.gl/F4ctR0

 

 実は『太陽がいっぱい』のほうにも、原作のこういった要素を匂わせる要素がたくさんちりばめられています。特に、リプリーがフィリップを手にかける舞台となるヨットの上のシーン。ポーカーをしながら相手の腹を探りあう一連の演出は、かなりの艶っぽさです。

 

 そうそう。本作には『太陽がいっぱい』との大きな違いがもうひとつございました。

 それは、フィリップのお父さんがちらりと登場すること。個人的には『え! こういうタイプだったんだ!』とちょっと驚きました。

 

 こうしてみてまいりますと、原作の映画化というものは、元に忠実か否かかということは置いておいて、やはり『何を映像として切り取るのか』という明確な意図があってこそ、それぞれに輝いて見えるものなんでございますね。

 

 社長とその息子をめぐる1つの原作から生まれた、方向性の違う2本の映画。

『太陽がいっぱい / リプリー』をご紹介いたしました。

 

 (2015.5. 文:黒田 拓)