ケイズサウンド株式会社 風上哲也 代表取締役 インタビュー

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三味線は武器? ~社長就任、そして全国、海外遠征へ

 

 旅から戻られて、2000年に現在のケイズサウンドの前身でもある ㈲ケイズサウンドクリエイトへ入社なさいます。

風上「当時、会社の機材、業務内容、業務体制はめちゃくちゃなもので、僕は入社から3か月間は1日も休むことなく、改善に取り組みます。お客様のところへ営業に行くと、どんどんお仕事がいただけて、『会社や機材ではなく、自分を信用してくださるお客様がこんなにいるんだ』ということがとても嬉しかったことを覚えています。ですが、結果、経営不振に陥ることとなり、2010年1月に社長から『会社をたたむことを決めた』と打ち明けられました」

  

 その後、前の会社を引き継ぐ形で風上社長が就任されるわけですが、その時は、ご自身で経営をしていこう。というお気持ちは既に決まってらっしゃったのですか?

風上「いえ、そうでもなかったんです。宣告を受けた直後はかなり気が動転しました。翌日には他のスタッフに事実を伝え、今後の方向性について話し合いました。投資家の方にバックアップを頼もうか、とか、社長になってくれる方を探そうか、という意見もありましたが、ただ、 自分が思う理想の会社にする為には、自分で責任を持ってやるしかない。という結論に割と早く落ち着いたんです 」

 

 ご自身が経営者になられてから、迷うことはありませんでしたか?

風上「確かに最初は不安でしたし、自分が本当に出来るのだろうか? と思うこともありました。ただ、それまで働いてきた経験を元に、会社経営上の数値的なデータを見て、こうすればプラスになる。というイメージはできていました。これまでの経営データを参考にして、自分なりに改良を続けることが出来た。というところが良かったのだと思います」

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ケイズサウンド 機在庫を見学させていただきました。

 ケイズサウンドさんの大きな特徴として、海外でのサウンドデザインやPAを手がけられている、ということがあるとお聞きしました。このことについてお聞かせください。以前から海外でもお仕事されていたのですか?

風上「他の社員は以前からアジア・アフリカ・ツアーへ行ったりしていました。私は自分の会社になってから数回、海外遠征に参加しています」

 

 海外での興行は大変ではありませんか?

風上「そうですね。色々ありますけど、行けば現場で何とかします。基本、機材は現地のものを使用します。マイクロフォンとか、小さいものだけ技術者が持参するんです」

 

 スタッフがあちらに行かれてから、現場に用意された機材を駆使して音響デザインをする。という方法なのですね

風上「そうですね。僕が行ったことがあるツアーでは、太鼓の方とご一緒したんですけれど、その時はコンテナひとつ分、太鼓を輸送しました。演者の方は大変です」

 

 楽器や音響機材はデリケートなものでしょうから、管理が大変でしょう

風上「2年前かな。サウジアラビアのツアーについて行ったことがあるんですが、その時は三味線の方と一緒でした。三味線なんかは壊れると大変なので、飛行機の荷物として預けたくないんです。機内に持ち込もうとしたら、空港職員の間で『これは武器だ!』という話になって、持ち込みできなかったですね。かなり交渉したんですがダメで。自分たちで厳重に包装して預けました。結果、何もなかったようで良かったですけど」

   

 ケイズサウンドさんはオリンピックの際にも各国へ遠征してお仕事をしていらっしゃいますね?

風上「2016年のリオ・オリンピックにも8Kスーパーハイビジョンの音響方式 22.2ch音響のサポートで参加しています。2014年のソチ・オリンピックから行っているのかな。ブラジルのサッカーワールドカップにも行っていますね」

 

 道内では『ライジング・サン・ロックフェスティバル』や『勝毎花火大会』などでもPAを担当していらっしゃる。実に幅広く活躍されていらっしゃいますね。遊ぶ時間はおありなんでしょうか?

風上「それがね。僕は本当に遊びっていうのが全然ない人間で。こういう仕事は遊びが大切だと思っているんですが、遊びが無くて困ってるんです(笑)」

 

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