丸吉日新堂印刷株式会社 代表取締役 阿部 晋也 インタビュー

 丸吉日新堂印刷株式会社 代表取締役  阿部 晋也

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 小学6年でサーファーデビュー? 行動派のグローバルな学生時代。

 

― 書籍『ちっちゃいけれど世界一誇りにしたい会社』をはじめ、多くのメディアで取り上げられ、全国的にも注目されている日新堂印刷の阿部社長にお話をお伺いできまして光栄です。本日はよろしくお願いいたします。

阿部晋也社長(以下、阿部)「はい、こちらこそ。よろしくお願いいたします」

 

― 先ずはプロフィールからお聞かせくださいますか?

阿部「1971年1月28日生まれ。血液型はA型。札幌生まれの札幌育ちです。」

 

― 学生時代は札幌のどのあたりでお過ごしになりましたか?

阿部「生まれたのは澄川です。その後は福住で小学校1年生から大学まではそちらにいました。羊ケ丘展望台のちょっと下あたりです。昔は近所に馬がいるような地域でした」

 

― 学生時代は部活動に参加していらっしゃいましたか?

阿部「僕は小学校6年生の時からずっとサーフィンをしていたので、土日は毎日サーフィンに行っていました」

 

― サーフィンを始められたきっかけというのは何だったのですか?

阿部「小学校6年生の時に、友人が『サーファーって知ってるか?』と言うんです。知らん。サーファーって何だ? と聞くと『サーファーはモテるらしい』。そうか。じゃあ、やろう。となりまして(笑)。どうしたらいいんだ? と聞くと、どうやらサーフボードとウェットスーツが要るらしい。そこからバスで街へ行って、サーフショップを探して、サーフィンやりたいんだ。でもお金はない。とお店に相談しました」

 

― 小学6年生が、サーフショップで!

阿部「そう。そうやって1年くらいお店に通ったんです。しつこいくらいに通ったら、『わかった。連れて行ってやる』って店主が連れて行ってくれたんです。僕らは毎週末お店に通って、そこに来るお客さんを捕まえるんです。海に行きたいんだ。車が無いんだ。と交渉するんです。ある大学生が『いいよ』って連れて行ってくれるようになって。今でもその方とは良い友人なんですよ」

 

― 信じられないくらい行動力のある小学生ですね! 初めてサーフィンをした海は、どうでしたか?

阿部「初めての海は、5月ぐらいに行ったんですけど、寒いのなんの。イメージとしてはハワイの海岸みたいな感じで、綺麗なお姉さんがいると思っていたら、誰もいないんです(笑)。想像していたのとはちょっと違ったんですけど、印象的だったのは、最初に波に乗ったスピード感。波ってすごくパワフルなんです。もっと簡単に乗れると思ったら、すっごく難しくて。それで夢中になっていったという感じですね」

 

― 中学生の頃からサーファーになった阿部少年はモテましたか?

阿部「どうだったんでしょう?(笑)」

 

― どんなにやりたい事があるとはいえ、小、中学生が大人相手に『サーフィンに連れて行ってくれ』と交渉するのは勇気が要りましたでしょう?

阿部「興味があることは、勝手に身体が動いちゃう。僕は子供の頃は人一倍人見知りで、上手く人とコミュニケーションが取れなかったんですけど、自分の興味があることに関してはどこへでも行けたんですね」

  

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阿部社長、中学校1年生の頃のお写真。苫小牧にて

 

― お父様が先代として印刷会社を興されたそうですが、学生の頃からその家業をお継ぎになる考えはお持ちでしたか?

阿部「いえ、全くなかったです。ただ、学生の頃からアルバイトで色々な仕事を経験していたので、将来的には自分で会社を作ろうと思っていました」

 

― 学生の頃にしていらっしゃったアルバイトで印象に残っている仕事はなんですか?

阿部「色々やりましたね。中学生の頃はスーパーの売り場で荷物出したり、高校生の頃はホテルで結婚式とか宴会の仕事をしていました。夏休み、冬休みの期間はルスツとかへ住み込みでアルバイトに行ってました。大学になってからは冬の除雪車に乗ったり。お給料の高い、稼げるアルバイトはなんでもやりました」

 

― サーフィンへ行くためにお金をが必要だったのですか?

 

阿部「サーフィンで世界中をまわりたかったんです。いつもインドネシアやハワイへ行っていたんですけど、他にもブラジルとか南アフリカとかいい波がある国へ行きたくて。学生の時に世界一周に出ました。スノーボードもやっていたので、アラスカからスノーボードに乗り始めて、南米を抜けてハワイでサーフィンをして帰って来ました」

 

― 学生のときにですか! 当時はインターネットで気軽に航空券購入が出来るような時代ではなかったですよね?

阿部「そうですね。その時は、同じエアラインで4箇所まで世界中自由に降りられる航空券があったんです。それを買ってまわりました。簡単な英語と『地球の歩き方』を片手に(笑)」

 

― そんな学生時代を経て、学校を卒業されてから、就職はどうなさったんですか?

阿部「いずれは自分で商売をしようと決めていたんですけど、1回くらいは就職してみようと思って就職活動をしました。全国の会社を見てまわったんですけど、結局、就職に失敗してしまいまして(笑)」

 

― あら、どういうことですか?

阿部「面接の段階では非常に感じのいい会社だったんです。でも、実際に配属された東京の営業本部が毎年20~30人の新入社員が入るんですけど、先輩が1人しか居ないんです。おかしいな? と思ったら1年で新入社員が全員辞めてしまう会社だったんです」

 

― それはどういう会社なんですか?

阿部「商品は他社では作れない良いものを作っていて、黙っていても商品が売れるような会社だったんですが、経営は同族経営で、ちょっと問題があったんです。そこに1人カリスマ的な専務が居て、あまり会社に出てこないのに、会社に来れば怒鳴り散らしてばかりいる。あるとき唯一の先輩がみんなの前で土下座させられて謝っていて。その後、僕が『悪いことしてないのに、なんで謝るんですか?』って聞いたら『いいんだ。専務も年だからいずれ居なくなるから。それまで我慢していればいいんだ』って言うんです。それを聞いて、10年後の自分の姿が見えたような気がして、すぐ辞表を出しました」

 

― 残念な会社でしたね。

阿部「その会社を辞めた後、一緒にサーフィンをやっていた友人が長野で家具の会社をしていたので、僕がその会社の北海道支店をつくろうという話になり、準備を始めました。一応親に報告に行こうと思いまして、長野からバイクで旅をしながら北海道へ戻り、父と話をしたんです。その時、初めて父から仕事の話を聞きました。『もし、よかったら、印刷の会社やってみないか?』って。そういう選択肢もあるのか。と思って、1ヶ月だけやらせてもらうことにしたんです。友人には1ヶ月だけ待ってくれないか。と言って、そのまま、今まで待っててもらってるんです(笑)」

 

― その1ヶ月に何があったんですか?

阿部「初日に自分の名刺を1000枚くらいハイって渡されて『行ってこい』って言われました。印刷の知識もなかったんですけど、仕事が1件も無いんだから、仕事とってこなくちゃ。ということでバスに乗って中央区へ行って、朝から晩まで飛び込み営業です。知識もなければ資料もない。自分の名刺1枚しかないんです。ただ、当時はまだ会社に印刷物の必要性があったので、100件まわると1件くらい見積もり依頼が来ました。100件で1件なら、1000件まわれば10件もとれるな。と思ったら、これは楽だな! と」

 

― 楽ですか!

阿部「そうやってひたすら半月くらいまわると結構な売上になりまして、そうすると辞められなくなるんですよ。次の注文が来ちゃうから。そうやって2ヶ月、3ヶ月で少しずつお客さんが増えてきて、継続してみようかと思って、3年くらい父と一緒に仕事をしました。僕が25歳の時にお得意様の会社が上場することになり、その社長と友人だった父が取締役として呼ばれたんですね。それで父は『そっちに行くから、後よろしくな』って。そこで代表を交代しました」

 

― 25歳で会社代表になられたんですね。

阿部「代表といってもね、実家の一部、四畳半の部屋で営業から納品まで一人でやっていたんですよ」

 

― まったく経験のない分野で1000件の飛び込み営業から印刷のお仕事が始まったんですね。最初はどういうお気持ちで行かれたんですか?

阿部「最初はもう緊張して、怖くて。トントンってノックして、受付の人が居ればいいんですけど、ドアを開けるとみんな一斉にこっちを見るような会社だと最悪の状態で。『間違えました。すみません』ってドア閉めたくなりますよね(笑)。仕方なく名刺だけ出してサッと帰って来る。でも100件に1件くらいは、『ご苦労さんだね、がんばってるね。今すぐは注文無いけど、よければ見積もりしてもらえますか?』って言ってくれる神様みたいな人が居たんですよ」

 

― それは勇気付けられますね。

阿部「もちろんひどく邪険に扱われることもあります。その時の経験から学んだことがあります。僕は仕入先さんでもお客さんでも、全部同じように対応しようと思いました。飛び込み営業を邪険に扱う会社は、お客さんに対応するときも同じ態度なのか? 多分違いますよね。そういった裏表のある対応は自分ではやめようと思いました。そして、対応に裏表のない会社はなくならないんです。あの時、神様みたいな対応してくれた会社は、あれから20年経った今でも、ほぼ全社、うちのお得意様としてお付き合いを続けさせていただいています」

 

― そうですか。裏表の無い対応ができる会社はなくならない! これは阿部社長が実際に経験されて、経過をご覧になって導き出された事実ですね。

阿部「そうですね。不思議とそうなんですね」

 

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現在の日新堂印刷本社のミーティングルーム。明るくて開放的な居心地の良い空間。

 

 

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