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全ては珈琲のために! ~『匂い』で勝ち取った最先端珈琲店への道

 

― 大学を卒業されてから、保険業界にお入りになるんですね。

徳光「大学を卒業して、直ぐに起業して珈琲屋をやるというのも、ちょっとどうかな、と思いました。社会勉強も必要でしたし、金銭的な感覚を『経営』という方向に向けていくためにも、金融関係の会社で仕事に就きました。そこで、7年営業をやっていました」

 

― お勤めはどちらだったんですか?

徳光「最初は宇都宮に3年いて、渋谷に2年、五反田に2年です」

 

― 7年間、会社員生活を送る間にも、珈琲店を巡っていらしたのですか?

徳光「はい。その頃から自分でも手回しロースターで焙煎を始めました。マンションのベランダで…。南青山に大坊珈琲店(1975年創業~2013年閉店)というお店があったんですけど。この人が大坊さんです(※下のハガキ左側)。毎朝、手回しのロースターで焙煎をしていた人なんです。それを何十年も続けていらっしゃって。ひとつの文化ですね。その人のところに行って『あの、それ、欲しいんですけど、買わせてもらえませんか?』ってお話して、紹介してもらいました。これはその時に頂いたハガキですが、もう、インクの文字が見えなくなっちゃいましたね。」

 

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大坊珈琲店からの絵葉書図案/『大坊珈琲店の午后』 牧野邦夫 1982年 油彩

 

― 焙煎の実験を進めていらっしゃったんですね

徳光「はい。それをやりながら、保険会社の営業ですから、色々な代理店さんのところへ行きました。老若男女、色々な方がいらっしゃいます。対人コミュニケーションの良い勉強になりました。保険の営業っていうのは、自分で数字を上げるのではなくて、代理店さんに上げてもらわなくてはいけないので、他の営業職とはちょっと違うんです」

 

― そこはコミュニケーションや信頼関係が重要になってきますね

徳光「乗り合い(他社の商品も一緒に取扱うこと)してらっしゃる代理店もたくさんありますから、いかに自分のところへお仕事を持ってきてもらうか。そのために、コミュニケーションを大切にして、信頼してもらわないといけませんし、良い商品をおすすめしていかなくてはいけません。困ったことはありませんか? とマメに確認もして、何かあればすぐ対応が必要です」

 

― 会社員生活も順調にお過ごしだったのですね

徳光「そうですね。自分で企業向けに企画を出したり、色々やっていました」

 

― 普通の方だと、お仕事が順調であれば、本来やりたかったことも趣味で満足できてしまうと思うんです。お辞めになって、お店をお持ちになったのは、何かきっかけがあったのですか?

徳光「最初は、一度入社した手前、10年は勤め上げてから独立しようと思っていました。たまたま東京に転勤になったこともあって、東京でも珈琲のセミナーを受講したりしていたんですけれど、後に僕が働かせてもらうことになる世田谷の『堀口珈琲』さんに通っているうちに、なんとなく求人の匂いがしたんです」

 

― 求人の匂い! 募集広告を見かけたのではなくで、気配で匂いを感じたんですか!

徳光「表向きに募集をしていたわけではないんですけど、もしかして?と思って店長に話を聞いたら『実は2名探してる』と。うち1名は既に決まっていて、同期は男性だったんです。その後、直ぐに社長に面接していただいたら『もう1名は女性を採用したい』と。でもこんなチャンスめったにないので『是が非でも働きたいので、ご検討ください』とお願いして、その日は帰りました」

 

― どうなりましたか?

徳光「翌日、『いつから来れる?』と電話が来たので、『4月1日から行きます』とお返事しました」

 

― 即決なさいましたね! その時は、まだ会社にお勤めしていらっしゃいますよね?

徳光「3月2日の土曜日にお店から連絡がきたので、明けて3月4日の月曜日に出社して『課長、お話があります』と(笑)。課長も薄々感じとっていたようで、『本来、社会人としては1ヶ月以上前には…』なんて言われながらも、1ヶ月で引継ぎを終えました。代理店の整備工場のおじさんに『軽トラ貸してください!』とお願いして急いで引越ししたんです」

 

― 引継ぎも引越しも含めて1ヶ月ですか。

徳光「その1ヶ月はものすごかったですよ(笑)」

 

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― 徳光社長が入店なさった、堀口珈琲さんについて教えていただけますか?

徳光「1990年に創業して、開店25年以上になる、スペシャリティー珈琲を提供するお店です。この15年くらいの間にはげしい動きを見せているスペシャリティー珈琲、高品質珈琲を提供した先駆者的なお店で、生豆に対しても非常にこだわりを持っているお店です。入れるチャンスがあれば、是非、と思っていました」

 

― 生の珈琲豆は、自分で珈琲を焙煎するのに必要な原材料ですね。

徳光「当時、北海道の珈琲豆の流通は、商社があって、問屋があって、問屋があって、その下の問屋さんから出回るものしか選べない。そういう状況でした。東京から生の珈琲豆を引っ張るルートを確保しておかないと、選択肢がなかったんです。先々、自分が開店するときの仕入先のひとつとしてもこのお店注目していました。そこで『堀口珈琲』の門を敲きました。今では珈琲業界で知らない人はいないお店です。今は従業員も多くなって、仕事も縦割りになっていると思いますが、当時は色々なことをやらせてもらえたので、そのあたりが自分の今やっている仕事のベースになっています」

 

― 転職の際に迷いはありませんでしたか?

徳光「元々、動くつもりでいたので、それが3年早まった。という感覚です」

 

― 7年会社勤めをなさっても、ご自身のやりたいことを忘れず、諦めずにいられる秘訣がありましたら、教えてください

徳光「皆さんもそうだと思うんですけれど、ひとつのことに対して知らないことがたくさんあると思うんです。例えば、ワインってどうやって造られているの? とかですね。知らないまま、飲んだり食べたりしている。興味のあることに対して、知れば知るほど自分の知らないことがいっぱいある。将来、生業にしていこうと思うなら、飽きずに、より良いものを知っていくことが大事だと思います」

 

― 知らないことを知っていく時間が、7年間かかった。ということでしょうか。

徳光「7年でも全然足りないです。仕事を辞めて、堀口珈琲に入ってからの3年間は、すごい情報量でした。それまでの7年間は助走的な感じで情報収集をしていたので、新しい情報が自分の中に落ちていくスピードは速かったですね。4月1日に『3年勤めさせてください』と入れてもらって、3年後の3月31日に『3年経ったので』と辞めました。このときは、1ヶ月以上前にちゃんと『辞めます』と言いましたよ(笑)」

 

― 徳光社長のブレのなさは、ご性格ですか? それとも、ブレないために何か心がけてらっしゃいますか?

徳光「学生の頃に『珈琲を仕事にしたいな』と思った。それが大きいかと思います。その仕事をするためにどうするか? というのを色々と考えて生きてきました。諦めるという感覚も無いんです。自分はこの仕事をするものだと思っていましたから。友人に年賀状を出すときにも『いつか店をやりますので』と書いて送ってましたよ(笑)」

 

 

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