有限会社ビィクトリーポーク 代表取締役 中岡 勝 インタビュー

有限会社ビィクトリーポーク 代表取締役  中岡 勝

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 学生時代は硬派一筋! ~大らかな時代の養豚と反骨精神

 

― 今日はどうぞ、よろしくお願いいたします。生年月日からお伺いしてもよろしいですか?

中岡勝社長(以下、中岡) 「はい。昭和26年(1951年)8月15日生まれです。血液型はA型。出身は余市です。生まれてから、18歳くらいまで、ニッカウヰスキーの貯蔵庫の前あたりで育ちました」

 

― 学生時代は余市でお過ごしだったんですね。中岡社長は当時、どんな学生さんでしたか?

中岡「真面目でね、硬派で大変でしたよ。女性と話しする奴は友達じゃねえ! っていうくらい(笑)。ホントは心の中で羨ましいなあ、なんて思いながらね、硬派グループに居ました」

 

― 部活動には参加していらっしゃいましたか?

中岡「中学校までは柔道をやっていて、初段まで取りましたけど、その後は、自分の家の仕事が朝夕ありましたから、部活をしている時間はなかったですね。高校に入ってから、誰よりも早くバイク通学をはじめたんですが、免許を取ったその日には、親父がバイクを用意してくれてね。随分、考えてくれる親父だなと思ったら『バイク買ってやるから、朝はギリギリまで仕事していけ』ってね(笑) 。当時は家で50 ~60頭の豚を飼っていましたから、夕方も4時、5時となったら、豚の残飯回収や掃除がある。早く帰ってこい。バイクあるんだからって(笑)」

 

― 学生の頃から、家業であった養豚のお仕事を手伝っていらっしゃったんですね。

中岡「昔の農家ですからね。5人兄弟で、長男から順番に家の仕事をしていました。うちの母は教育熱心で、子供たちが中学入ると英語や数学、そろばんの塾へ通わせたんです。母は大正元年くらいの生まれで高校を出ている看護師でした。それで、教育に対して、特別な想いがあったんでしょう。長男が中学に入ると塾に行かせて、その仕事が次男に降りてくる。年の離れた兄弟が順番に仕事をして、私が一番下です。仕事を任せる次がいないわけですよ(笑)。私はあんまり勉強も好きじゃなかったから、家の仕事のほうが楽しい。自然な流れでした」

 

― お仕事の方が楽しかった。それでも学生が学校へ通いながら働くのは大変でしたでしょう?

中岡「仕事って言ってもね、当時はリヤカーにドラム缶を積んで、それを曳くカラフト犬を連れて、学校とか旅館とか病院とかへ残飯回収へ行くんです。冬はソリでね。生き物を相手にしてますから、雨でも雪でも365日休みなしです。子供の頃からそうやって仕事をしていました。中学校の頃かな。部活動を終えて帰ってくる同級生を見つけると、会いたくなくて、道を逸れたりしてました。残飯回収ですからね。臭いのある仕事、人の嫌がる仕事をするということは、仕事に対して自分なりの納得、理論的な価値感が無いと出来ないんです」

 

― 特に思春期の頃にそういった体験をされるのはお辛いことでしたでしょう

中岡「好きな女の子だっているわけですよ(笑)。その子が『中岡君、仕事、頑張ってるね』って声をかけてくれたりもしましたけど、どこか素直に喜べない。そういう仕事の中から培った反骨精神というものがあったと思います。今になってみると、個人の人間形成という意味で、いい経験をしたんだな。と思っています。逆境には強いですよ」

 

― そして、お父様の期待もありましたでしょう。『息子よ、早く帰って来て働け』と(笑)

中岡「いい時代でしたよ。中学校の頃に『トラックを運転して残飯の一部を川に捨ててこい』と親父が言うんです。それで車の運転をしてみたら、面白くてね。ちょっと踏むとスピードが出る。それで橋の欄干にドーンと激突して入院しました。自分が小さいころから良く知ってる軍隊上がりの医者が来て『おう、お前か! 警察来たか?』と言って、警察と話しをつけてくれました。『交通事故で届けださなくてもいいべ!』ってね。いい時代だ(笑)! 学校には報告なし。それ以来、車で仕事をしていました。親父がね、行け! というんですよ。真面目な学生だったから、ちゃんと学校の帽子をかぶって、制服姿で朝から運転、仕事をしていました。駅前交番で巡査に停められてね。『おまえ! 運転する時は帽子とれよ!』と(笑)」

 

― 大らかな時代ですね! 学生の頃から毎日お仕事をしてらっしゃって、嫌になることはなかったですか?

中岡「いや、…親父が上手だったんだなあ」

 

― お家の仕事に反発する子供というのも、少なくないと思います。

中岡「そうだね。反抗期とかあったかなあ。…ないなあ。うちの息子も俺に向かってきたことがないし」

 

― やっぱり、中岡社長もお上手だったんでしょう

中岡「いやいや、息子は高校大学と全寮制の学校にいたからね。一緒に生活してなかったから」

 

― 今は息子さんもご一緒に養豚のお仕事をされているのですね。

中岡「余市と苫小牧、離れてはいますけどね。農場長と所長としての話はしますよ。1時間半もしたら、『帰ります』って帰っていくけど(笑)。まあ、よくやってくれてると思います」

 

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ビィクトリーポーク樽前農場。常時17,000頭を飼育している。 (ビィクトリーポーク ウェブサイトより転載)

 

 

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