株式会社 スマイルブーム 小林貴樹社長 インタビュー
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 進化するゲームと共に育った少年時代

 

― タシナム5月号の経営者インタビューでご登場いただきました、㈱バイオゲインの廣瀬いづみ社長からご紹介をいただき、お伺いいたしました。本日は、どうぞよろしくお願いいたします。

小林貴樹社長(以下、小林)「光栄です。いやあ、怖ろしい(笑)。よろしくお願いいたします」

 

― それでは、プロフィールからお伺いしてもよろしいでしょうか?

小林「1967年4月1日生まれです。生まれたときからネタを仕込んでもらっています。血液型はB型。夕張出身です」

 

― 学生時代は夕張でお過ごしだったんですか?

小林「いえ、小学校へ上がる前には一家で札幌へ移動してきました。小学校から高校までは札幌北34条、太平、屯田、新琴似と北区を転々と移動していました」

 

― 学生時代はどんな学生でしたか?

小林「いや、そんなに悪いこともしてなくて…。真面目でもないですけど、そこそこ普通の学生じゃないかと思います。転々と移動が多かったので、すぐその場で仲良しを作らないといけないので…あまり暗いタイプではなかったです」

 

― 順応性のあるお子さんだったのですね。

小林「そうですね。…お楽しみ委員会。みたいな感じの子でした」

 

― 小学校の通知表によく書かれたこと、覚えていらっしゃいますか?

小林「うーん。5教科以外は良い。図工以外はあまりやる気も無い。ほとんど野生児でした」

 

― モノを作るのは小さい頃からお好きだったんですか?

小林「そうですね。よく、紙工作をしていました」

 

― 最初に自分で作ったものを覚えていらっしゃいますか?

小林「記憶にあるのは紙でエビを作ったのを覚えています。でっかいエビ。なぜエビなのか…」

 

― 小林代表の小学生の時はどういう遊びが主流でしたか?

小林「当時はコカコーラ ヨーヨーとか、バンバンボールとか。しゃもじみたいのにゴムとボールが付いていて、びよんびよんする1人テニスみたいなものが流行っていました。中学生くらいになってようやくテレビゲーム的なものが出てきます」

 

1078年頃のゲームセンター

1978年頃のゲームセンター 画像元:http://goo.gl/TRPbqm

 

― 小林代表とテレビゲームの出会いについてお聞かせください

小林「新琴似とか、あの辺りのゲームセンターです。不良の溜まり場。悪い場所です」

 

― おそらく薄暗くて、不良がたくさんいて。怖くなかったですか?

小林「今でも付き合いのある悪い友達何人かと一緒に、あんまり気にしないで出入りしていましたね。なにかあったら逃げればいい。と思って」

 

― 今でも印象に残っているゲームはありますか?

小林「色々記憶に残っています。当時のゲームは技術的に表現できることがシンプルだったので、(現代の)全てのゲームの元ネタみたいなゲームばかりだったんです。撃つ、逃げる、食べる。今、新しいゲームを作るときにも、新しい映像表現はしますけど、やってることはパックマンだよね、っていう風に、当時のゲームひとつひとつが自分の中では発想の元になっています。『あの当時だったらどういうゲームに出来るかな?』ということを考えないと、結局は表示だけに騙されるゲームになったり、遊びを忘れるところがあったりするので、そこは元に戻って、シンプルにしたときに面白いゲーム、ルールをどう作るか? ということを考えるようにしています」 

 

― 今は技術が進歩して、ゲームの表現や操作の多様性というのは、ものすごく幅が広がっていますよね

小林「それを削ぎ落とすと、シンプルに人間の操作に対する表示や動きということが見えてきます」

 

― 人間が面白いと思う操作や表示、遊びやゲームには基本というか、原則があるんですね?

小林「そうです。以前、大学でゲームの講義をしていたんですけど、ルールとは何か? と、いうところから授業をスタートします。きらびやかなツールは使わず、ゲームの本質というのはこういうことで、この新しいルールを生み出せると、爆発的にヒットする時もあるよね。ということを伝えていました。今は最初から3次元表現とか、ハードルの高いところからスタートしちゃうので、そういうことでもないんだよ。という話です」

 

― それは素晴らしい授業ですね。因みにどこの学校で教えていらっしゃったんですか?

小林「北海道科学大学です。元北海道工業大学ですね」

 

― 人気のある講義でしたでしょう。

小林「はい。人気がありすぎて今年は辞退したんです。最初は学生30人くらいでスタートしたんですけど、3年で120人に増えちゃって」

 

― 北海道でゲームについて学べる大学は他にもありますか?

小林「情報大と科学大くらいでしょうか。情報大の方では夏休み3日間で連続15コマ。みたいな授業を予定しています」

 

― 夏休み強化合宿ですね!小林代表ご自身がゲームのプログラムへ関わって行かれるのはいつ頃ですか?

小林「中学2年ですかね。お父さんがコクブに勤めている友達の家にコンピューターがあって、そこに入り浸っていました。あと、シャープに勤めているうちの子にコンピューターが入ってきて、そういう友達の家を転々としていました」

 

― 当時のコンピューターというのは、どんな形ですか?

mz80c

SHARP MZ-80C 画像元:http://goo.gl/rZLOJD

小林「モニター一体型とかですね。こういう形のコンピューターです。SHARP さんの MZ-80C。これがお父さんがシャープの家にあったコンピューターですね。」

 

― 当時のコンピューターは、プログラムしないと動かないんですよね。

小林「そうです。カセットデッキがついていて、カセットテープにデータを記録するんです。当時僕たちはまだ自分でプログラムを組むという段階ではなくて。発売されていた雑誌にプログラムが書いてあったんです。これを全部打ち込むとゲームが出来る。っていうので、みんなで集まってプログラムを打つ。それが原点ですね」

 

― 当時、クラスに何人くらいプログラムに興味のある子がいましたか?

小林「仲間にそういう友達が多かったんですけど、あの頃はコンピューターが非常に高価だったので、全体的にはそれほど多くなかったのかも知れません。40人クラスで2~3人いるかいないか、だったかも知れないです」

 

― 大人も上手く使えなかった初期のコンピューター。子供にとってハードルの高いものではなかったですか?

小林「その、ハードルが高いということすらわからなかった。この機械がなんなのか理解してないので、この通りにプログラムすればゲームができる装置。という感覚です。中学校の頃は、学校が終わったらほぼ、友達の家で集まって、みんなでプログラムを打ってました」

 

 

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