経営者インタビュー 2015年8月号

 ドラムとの運命の出会いから,録音編集まで。音楽活動はもはや人生の一部!

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Drums :西内恵介 / 写真撮影: Harper

 

― では、ここから遊びについて、お伺いいたします。休日の過ごし方について聞かせてください。

西内「まず、4匹のわんことできる限り外で遊ぶ。毎朝の散歩以外、あまり運動させてやれないので、休日は思い切り遊ばせてやります。去年、自宅の庭をドッグラン仕様に改造したんです。人工芝を入れて、わんこが飛び出さないようにフェンスをつけて。そこで遊ばせたり、天気が良ければ滝野公園が近いので、そこまで車で行ったりしています」

 

― ご自宅の庭にドッグランを!それは素晴らしい飼い主ですね。

西内「いえいえ。わんこと遊んで…、あとは、奥さんに「買い物行きたい!」と言われれば、はい。『温泉に行きたい!』と言われれば、はい。と(笑)。休日に一人になることは、まずないです。夫婦で行動していることが多いですね。土日はなるべく家にいようと思っているので、最近はバンドの練習も平日の夜に入れてもらっています」

 

― 結婚された当初から、家庭的な旦那様だったんですか?

西内「結婚した当初は3~4つのバンドを掛け持ちしていたので、練習に出るだけでも大変なんですよ。そんな時には、あまり家のことを意識したことはなかったですね。それが、バンドが1つ解散し、1つ休止したりして数が減ってから、なんであんな無茶してたのかな?って気づきました。最初のころは自分本位だったんでしょうね。常にバンドに参加しているのが当たり前の状態だったから、結婚してからもその調子で。振り返って、反省しました」

 

― ご家庭のこともそうですが、不動産関係のサラリーマンといえば、当時はお仕事も相当にお忙しかったでしょう。それでも音楽活動を辞めようと思われたことはありませんでしたか?

西内「辞めなかったですね」

 

― では、ここから、西内さんのバンド活動についてお聞かせください。楽器との出会いはいつ頃ですか?

西内「子供のころ、オルガンとかピアノを習っていたことがあったのですが、それはほとんど身にならず。小学校の同級生の中に、非常にギターが上手いヤツがいたんです。彼の家に遊びに行くと、色んなレコードが聞けるわけですよ。そこからですね。音楽に興味を持ち始めたのは。最初はやっぱりギターをやりたかったんですよ。でも、中学一年の時かな。ギターを始めてみたんですけど、全然だめでした」

 

― その後、ドラムに出会うわけですね。

西内「中学校2年の時に、転校する同級生の代わりに吹奏楽部に入りました。最初はトロンボーン担当だったんですが、間もなくして今度はパーカッションに欠員が出て。で、新入部員の僕がそっちに回されたんです。そうしたら、これが、面白くって!当初、うちの吹奏楽部には、大太鼓、小太鼓、シンバルしかなかったんですよ。でもよその学校でドラムセットを使ってビックバンドジャズみたいな演奏をしてるのを見たら、すごく羨ましくて。それを顧問の先生が感じ取ったのか、ある日『西内、おまえドラムセット欲しいか?』『欲しいです!』って。運の良いことに、その時の校長先生も、元々音楽の教師で、顧問の先生とも仲が良くて。話がとんとん拍子に進んで次の週にはドラムセットが導入されることになったんです」

 

― 運命の出会いですね!

西内「ヤマハのセットが届いて。ホントに、磨きましたよ。俺。面白かったですね。毎日音楽室に行けば練習できる環境になったわけですから、誰よりも一番真面目に練習してたと思います」

 

― その時点で中学生ですね。高校に入られてからは?

西内「元々、ロックが好きだったので、高校に入ってからは吹奏楽からロックバンドに移行するんです。同級生とトリオのバンドを組んで活動していました」

 

― ロックとの出会いはレコードですか?

西内「そうですね。ビートルズのホワイトアルバムってあるじゃないですか?結構、とっ散らかったアルバムですが、あれを初めて聞いたときに、なんじゃこりゃ!と思ったのが最初ですね。年上の従兄弟がいて、彼がキッスとか、レッドツェッペリンとか、ハードロックが好きで、『これ聴け』と貸してくれるわけですよ。それでまたガツンときて。それですっかりロック好きになってしまいましたね」

 

― 当時、影響を受けたアルバム、アーティストを教えていただけますか?

西内「ひとつには絞れないので、特にターニングポイントになった3枚を挙げるとすれば、ビートルズ『ホワイトアルバム』、イエス『危機』、ニックロウ『ローズ オブ イングランド』。この3枚は、ものすごく聞いてると思います。ジャンルがバラバラなんですけど(笑)。友達の家にビートルズから70年代のウッドストック界隈の『ザ・フ-』とか『オールマン・ブラザーズ・バンド』とか『サンタナ』のレコードがたくさんあったんですよね。友達のお父さんからそれを借りて『良かった!』って返すと『そうか、今度はこれ聴いてみな』って貸してくれるんです。そうやって勉強させてもらって、で、従兄弟のところへ行くと、ハードロックのレコードがある。そこで『これはスゲエな!』ってロックを聴くんです。そんな中、結局、自分が好きで最初に買ったレコードは何だったのかと考えてみると、全然ロックじゃなくて。なぜか富田勲のシンセサイザーのレコードなんですよ。当時の西内少年に何か思うところがあったのか(笑)当時は、イエローマジックオーケストラが出てたかなあ?という頃ですかね」

 

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― 西内さんは各種の音編集機材をお持ちで、楽曲の録音編集もご自身でなさるそうですね。機械で作る音楽というものに元々興味がおありだったのでしょうか?

西内「興味が行ったんでしょうね。ハードロックと70年代ロックからプログレッシブ・ロックに興味を持つようになるんです。『イエス』、『キングクリムゾン』、『ピンクフロイド』中でも『イエス』が好きで。プログレの音って電子音が特徴的に使われていますから、そこからシンセサイザーというものに興味を持つようになりました」

 

― 当時、シンセサイザーをはじめ、音の編集機器というのは随分高価なものだったと聞きますが。

西内「高かったですね!その頃、僕は高校を卒業するころで、アルバイトして自分で使えるお小遣いが持てるようになったので、マルチトラックレコーダーを買って、シンセサイザーを買って、リズムマシーンを買って。バイトもやりつつですが、自宅で一人、孤独な編集作業をしていました」

 

― その頃はどういう音楽を作っていらっしゃったのですか?

西内「プログレから、どんどん深みにはまっていくんですよ。『ゴング』とか『ヘンリー・カウ』とかを聴いていて。そんな時期にマイク・オールドフィールドのライブアルバムを聴いて、ザワっときたんですよ。あの音をライブで再現している、ということに。『これは、俺一人でやれるんじゃないか?』と思って」

 

― マイク・オールドフィールドを聴いて、これはいける!と!

西内「で、やってみたらダメだったんですよ(笑) だって俺、ギター弾けねえじゃねえか。って(笑)」

 

― (笑) その頃、バンドメンバーと一緒に制作していたのですか?

西内「そうですね。ギタリストの友達と一緒に作ってました。そいつと2人でマイク・オールドフィールドみたいにインストゥルメンタルを作ったら、結構なロックンロールアルバムが出来上がりまして、やっぱり、そっちが好きなんだな。と思いました」

 

― そんな西内さんの愛用のドラムをご紹介いただけますか?

西内「はい。このYAMAHAのスネアドラムは学生時代に買ったものなので、もう30年くらい前のものです。もちろん、細かいネジなんかは全部取り替えてますけど。これはそんなに高価な楽器ではないんですが、よく馴染んだ音が出ます。録音のエンジニアにも『このスネア、録りやすいね!』って言ってもらえるんで、いつも録音の時にはこれを使っています」

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