株式会社バイオゲイン代表取締役 廣瀬いづみ インタビュー

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 音大はモトが取れない? ~自力で切り開いたピアニストの道

 

― もう1つのお仕事、プロ・ピアニストとしての側面もお話を伺わせてください。ピアニストになられた経緯について、教えていただけますか?

廣瀬「音大へ行こうと思って、結局、ギリギリになって辞めたんです。辞めたのは変な理由でね。お金のことを考えたんですよ。東京の音大へ行ってね、防音のマンションに住んで、ピアノを買って、学費以外に別の大学の先生に1回10万円とか20万円とか支払って特別レッスンを受けて、それで大学4年通って。ちょっとまてよ、これ、元とれるのかな? って思ったんですよね (笑)」

 

― そこに疑問を感じた! なんてしっかりした高校生なんでしょう。

廣瀬「クラシックのプレーヤーとして生きていけるのは、本当に一握りです。そのためは海外留学も必要だし。そこまでして、私が音大に行くメリットってあるのかな。と思って、やめました。音楽の先生は、なんとなく私がそう言い出すんじゃないかって予想してたみたいですけど。『あなた音楽はやめないわよ。だけど、クラシックのピアニストは、たぶん向いてないわね』って言われました」

 

― どういうきっかけでピアニストの仕事に就かれたんですか?

廣瀬「その後、大学に入学して。ある時、ホテルのラウンジでピアノを弾く仕事があって、ひとつそういう仕事を引き受けたら、色んな所から頼まれるようになって。そのうちレギュラーで弾かないか、という話が来た時に大学を辞めました」

 

― そこからピアニストとしての人生が始まるわけですね。一般の会社に就職することは考えませんでしたか?

廣瀬「自分が普通の会社に就職するというイメージが全く湧かなくて。じゃあ、音楽の道で、やるだけやってみよう。と思いました。大学を辞めてからはキャバレーのショ―バンドをやったり、色々しているうちにコンサートをやるようになって、そのうちアレンジとかプロデュースとかもやるようになって、現在に至ります」

 

― 大きなキャバレーには専属のバンドがいた時代ですね。因みに、どちらで演奏していらしたんですか?

廣瀬「エンペラー。エンペラーは閉店する最後のバンドにいたんです」

 

― 最近の音楽活動についてお教え頂けますか?

廣瀬「去年の春に私がアレンジで参加したCDが出ているんですけど、丸石輝正さんというソロアーティストの作品です。お話をいただいた(シンガーソングライターの)佐々木幸男 さんと、チームでCDプロデュースしました」

 

― 廣瀬社長ご自身は、ライブにも出演されていらっしゃいますか?

廣瀬「はい。ライブでずっとご一緒しているのは、今、お話しした佐々木幸男さん。幸男さんは今年でデビュー40周年なので、色々企画があって、一緒にやらせてもらう予定です。それと、『SAWARABI (さわらび)』というユニットに参加してます。津軽三味線とアイルランドの太鼓や笛、チェロとピアノの4人構成です。2年前にCDを出してから、今は、みんな忙しくて活動できていないんですけど、またやりたいね。っていう話は出ています。去年の秋までは『la musique 上田』というシャンソンのお店に6年くらい在席して専属で弾いていました」

 

― ジャンルにとらわれず、音楽の中を流れるように生きて、自然にピアニストになられた。フォーク、三味線・民族楽器とのユニット、シャンソンと、自在に活動されていらっしゃるんですね! 

 

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『SAWARABI(さわらび)』Facebookページより転載:https://www.facebook.com/sawarabi.asia/

 

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