㈱インデックス・コア 代表取締役 麻生 榮一

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年間で単位ゼロ!破天荒な学生時代から起業まで

 

― 本日はどうぞ、よろしくお願いいたします。

麻生社長(以下:麻生)「はい。どうも。何話したらいいかな」

 

― 今のお仕事を始められたきっかけを、学校卒業辺りからお伺いできますか?

麻生「高校を卒業して、東京の大学に入ったんですけど、中退してるんです。2年間で単位がゼロでね」

 

― ゼロですか!大胆な学生ですね!

麻生「というのも、ちょうど1970年の学生運動の時期で、学校に行くたびに、授業が無いわけですよ。それでデモ出たりしててね。試験もどこかで密かに行われてたらしいんですけど、単位ゼロだし、しょうがねえな。と思って。その頃、自分で8ミリを回して映画を撮り始めた時期だったので、そっちの方でどうにかできないかな。というのと、その頃、天井桟敷(寺山修司による実験演劇集団)とか、唐十郎の赤テントとか、舞台が面白い時期でね。そっちの方に時間を取られていったんです」

 

― それで2年後に札幌に戻っていらっしゃるんですね。

麻生「戻ってきてからも、作品を撮り続けるためにバイトしながら映像制作は続けていました。そのうち結婚したり、子供が出来たりしながらも、山田勇男監督(北海道出身の映像作家)の作品に参加したりして。その頃、たまたま、北海道アルバイト情報社の村井さんから、『うちの本を卸すから、書店に置いてきてくれないか?』って言われて。それが、当時、週に3日も働かなくてよかったんですよ。これはいいや!と思ってね(笑)。それで安定した収入が得られるようになるわけだから」

 

― それが、麻生社長の経営する出版関係の会社『コア・アソシエイツ』の始まりだったんですね。

麻生「あんまり人に言ってない話なんだけどね(笑)。当時、バイトしながら映画を作っていたんですけど、限界を感じていたのは自分の技術力だったんです。いくら自分でやってみても学べない技がある。それでCM制作会社に入ったんですけど、正社員にはなれなくてね。契約アルバイトみたいな形だと、やっぱり仕事の入りが不安定なんです。そんなときに、本の仕事に声をかけてもらったので、CMやりながら、そちらの仕事もやり始めました。そこからが仕事の恐ろしいところでね・・・」

 

― 週3回の配達から、本の問屋として会社設立をされるまでに至るんですね。

麻生「そう。その頃、ちょうど北海道にもコンビニエンスストアが出来始めた時期だったので、お預かりしている本が、他のライバル誌よりもいい条件で置いてもらえるように交渉したり、販促活動でCM制作もしたり。人を増やしたりしながら仕事を広げていく中で、自分はやっぱりCMの仕事も好きだったので、『インデックス・コア』というCM制作会社を立ち上げたんです」

 
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― それは、おいくつの時ですか。

麻生「会社を作ったのは30歳の時です。その後、出版関係の仕事はシステム構築をしてから、役員と社員に任せているので、実際に僕が関わっているのは、インデックス・コアのCM制作がメインです」

 

― 少しだけ補足で質問させてください。『コア・アソシエイツ』というのは、出版社ではないんですよね?本と雑誌の問屋さんというのは、どういうお仕事なんですか?

麻生「あんまりよく知られていない仕事なんですよね。今、道内の出版社から出ている情報誌が幾つもありますよね?その本の7~8割は、うちの会社を通してコンビニに置かれるんです。大手コンビニとうち会社との取り決めでそうなってるんです」

 

― 7~8割ですか!それはすごい。当時、そういう会社がなくて、先駆けだったからですか?

麻生「うーん。僕の力だけではないんですよ。それも、たまたま周りにいてくれた人たちが力を貸してくれて、努力してくれて。僕たちの方では、一応、銀座に事務所を構えて、普段、従業員なんか置いてないんですよ(笑)。でもそういう風に、一等地に事務所構えてやってます!と準備して、大手のコンビニへ営業に行ってね。そうしたら許可が下りたんです」

 

― 営業努力ですね。その後はシステムを構築して、順調にシェアを伸ばしていかれる。まさに先駆けの企業だったんですね。

 

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