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ブラジル研修当時の荒川代表 ( 荒川代表 Facebookより転載 )

  夢の魚屋から新聞記者へ ~ブラジルで見つけた『 道 』

 

荒川「サンパウロはカトリック教徒の街なので、教会を中心に広場がある。またその隣に教会があって広場がある。それをつなぐように道路が出来て、街が構成されています。その中の『セー広場』に行ったときだったと思うんですけど、4~5歳の子供たちが物乞いをしていたんです。物乞い自体は珍しくない。けど、それはちょっと異常な光景でした。ある子は肘から先がなかったり、膝から先が無い。ある子は細い体に青白い粉みたいなものを塗られて、横たわっている。帰宅して仲の良かったルームメイトにその話をしたら、後日、彼が『これじゃないか?』って新聞を持ってきました。子供を誘拐して危害を加え、物乞いをさせる組織があるんです。しばし考えました。僕はあの光景を見て可哀相だと思った。だけど、自分で見たものに対して、本当に責任を負えたのか? と。ただ可哀相だと思った。それだけで終わらせていたんじゃないかと。そこからスイッチが入りまして、じゃあ、どうしたらいいのか? そうだ、新聞記者になればいいんだ。と」

 

― 自分が見たものに責任を負えるかどうか? 非常に誠実な問いです。

荒川「それから、こういう考えに至った僕の土壌は北海道にある。だから北海道の記者から始めないと意味が無いんじゃないか? と思いました。1年後に日本に帰って来て、こちらの状況が全くわからないまま、勢いだけで北海道新聞のセミナーを受けましてね。採用してもらいました。当時の新聞社には面白い人間を採用しよう。という気風がありましたから」

 

― 荒川さんは新聞社に入社する意思と目的がはっきりとしていらっしゃったから、それが伝わったのでしょう。

荒川「セミナーは面接と一般常識と作文だったんですが、その作文の主題が『道』でした。自分はなぜ記者を志すのかということをずっと考え続けていたところへ、ドンピシャで主題がハマったんです。そこで書いた作文が90点以上の評価をもらいました。後でその話を先輩にしたら、『入社の作文で90点以上取るなんてあり得ない!』と言われて。入社して最初のランチ会で人事局長に自己紹介したら、『ああ、君が面接の荒川君か』と言われました。僕は面接と作文だけで入社したんです。一般常識の試験は本当に危なかったみたいです(笑)」

 

― 入社の時点で噂の新入社員だったのですね(笑)。その主題、まさに荒川さんのために用意されたとしか思えません。入るべくして入った。なるべくして記者になられたのですね。記者のお仕事は何年されたのですか?

荒川「21年間です」

 

― 長かったですか? 短かったですか?

荒川「短かったですね。あんな感じなんだろうなあ。自分としては、辞めるときもまだ入社した時の感覚が残っているような感じで働いていましたよ」

 

― その21年間の記者生活があって、1冊の書籍が生まれました。荒川さんの著書、『新聞に必ず取材されて記事になるたった一つの方法』。このあとがきにもありましたね。『新聞記者の駆け出し時代を何度も思い出しました』と。

荒川「一昨日、小樽へ行ったんです。僕の記者生活は小樽が振り出しで、当時は原稿用紙にボールペンで記事を手書きしていました。街をぶらぶら歩いて取材する。その経験が良かったんですよね。現在のように情報があふれている世界で、記者がどれだけ歩いて取材できるか? といえば、それは難しいです。ともすれば、右から左へそのまま情報を出さなきゃいけない状態になってしまうんじゃないかな」

 

― 足を使って取材することで、街の広さを身体で覚える。街の顔を覚える。そういう実感のある取材ですね。

荒川「そう、そして、他人と同じことをしていてはいけないと思っていました。先輩記者は今日どこへ行くのか? 同じ中心部を取材しても仕方がないから、じゃあ自分は手宮地区に行ってみよう。今日は手宮の日だ! とか言ってね。そういう感覚って必要だと思うんです。僕がブラジルへ行ったのもそういうことで、自らそこを選んで、得たことが自分の軸になるんです。その経験が自分の中で明確な判断基準になる。それがオリジナルになるということなんじゃないかな。今、振り返ってみるとね。そう思います」

 

― 荒川さんが元々お持ちの感受性というか、ご性格の部分もおありでしょうか。

荒川「そうですね。魚河岸で働いているときもそう。当時『3K』という言葉が出始めたころでね。キツイ・キタナイ・キケン。築地の仕事はまさにそういう世界です。旦那からはドヤされ、肩がぶつかったと言っては同業者と喧嘩になり。担いだ魚の発砲スチロールが割れて全身水浸しになって、魚を拾って帰ればまた旦那にドヤされる。っていう(笑)。でもそこで働くことで、全国にどういう気候があって、何が獲れ、どうやって流通しているのか? なぜそれが、東京に集まって来るのか? と、色々と学ぶことが多かったです」

 

― 魚屋さんの目線で眺める世界ですね。

荒川「3件の店で働いたんですけど、最後の店が活魚のお店だった。あるとき番頭が、『今日はカレイを買う。お前このカレイを5日間生かせ』といって、生け簀に5重になるくらいカレイを買ってきた。わけを聞くと、5日後に大きな宴会がある、だけど、その日は天気が荒れる。その日まで生かしておければ、絶対に売れるから。というんです。『だからおまえ、土曜日も日曜日も生け簀に氷入れに来いよ』と。そこから全部、僕一人に任せられるんです。氷を入れて、水を舐めて、足りなければ塩を足してね。そうやって、なんとか生かしました。よくやった! と言われてね、その日はカレイが飛ぶように売れるわけですよ。そんなことがあって、わかるんです。なるほどな。先を見て行動し、自分の経験で知っていることで勝負するっことは大切なんだな。って。僕、本当はね、魚屋をやりたかったんですよ(笑)。いや、すみません。話が逸れました」

  

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講演中の荒川代表 ( 荒川代表ウェブページより転載 )

 

― お勤めされていたときと独立された後では、大きな違いを感じられることはありますか?

荒川「記者を辞めた当時はかなり太っていたんです。それを一度リセットするために、先ずダイエットをしました。それから、あまりストレスを溜めないようにして生きよう。って思うようになりました。記者は毎日時間との戦いですから。今、この時間なら帰って記事を書き始めないと間に合わない。風呂に入るときも携帯を手から離さず、という生活です。それがないというのは大きいです。よく笑うようになりました。以前も笑っていたつもりだったんですけど、記者時代の写真を見ると、僕の顔は怖いです。あまり付き合いたくないなっていう感じ(笑)。それが、少しずつ変わってきました。毎日意識して、小さなことに感謝をしているうちに表情が変わってきた気がします」

 

― 現在はメディアコンサルタントとしてご活躍の荒川さんですが、メディアコンサルタントというお仕事は具体的にどのようなお仕事ですか?

荒川「僕が講演会でお話をしているように、ある会社、商品をどのようにPRしてマスコミに取り上げてもらうのか? ということを助言したり、具体的な企画や実現を助ける仕事です。個人や企業の広報部員を育成する仕事もあります。また最近は、記者会見を想定したマスコミ対策セミナーを行ってください。という依頼もあります。記者の質問にどう答えると、組織としてどういう印象を受けるのか? 企業においての危機管理意識が高まっているんですね。悪いものに蓋をするということではなくて、企業の姿勢を誤解無く伝えるためには、どうしたらいいのか? ということです。これから求められる分野なので、そこはしっかり協力していきたいと思っています」

 

― 荒川さんのセミナーは面白くて、時間が過ぎるのがあっという間に感じられました。一般人の私たちが聴いても、スッと腑に落ちる。そして、すごく身近なところに新しい発想や方法が見つかるので、とてもワクワクしました。個人の企画、商品をPRしたい方や、メディアについて関心の高い中小企業の方が受講されると、実践できる発見がたくさんあると思います。近々、セミナー開催のご予定はありますか?

 

荒川「次回は6月5日に札幌市民ホールで予定しています。よろしければ是非、ご参加ください」

 

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  最強のパーソナル発信セミナー

【時】6月5日(日)午前10時~午後5時(昼食休憩あり)

【所】札幌市民ホール第2会議室(わくわくホリデーホール)

【参加費】12,000円

【定員】50人

【申し込み】http://bit.ly/1o32T2Q

【Facebook】https://www.facebook.com/events/926451587462811/

 

 

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